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麝香
「どんな奴なんだ? その、漸て奴は……」
小声で紡ぐと、先程まで駆動音と、由布と二井谷のやり取りで満ちていた車内へと、重低音が轟く。
どうやら内緒話を始めたようであり、馴染みのない音楽が鼓膜を揺さぶる。
前方を窺えば、二井谷が運転席へと身を乗り出し、由布と何やら話している。
何の話だろう、と気になるもどうしようもなく、残念ながら聞き取れない。
けれども同時に、此方も話がしやすくなり、引き続き警戒は怠らないものの、莉々香へと視線を向ける。
「漸……。アタシも、よく分かんないんだよね。そんな親しくもないし」
「見た目は? どんな感じなんだよ」
「……色白で、銀髪。左の眉毛だったかな……、ピアスしてんの。二つ」
「へえ……、あとは?」
「すごく……、綺麗な顔してる。みんな振り向くし、みんな見ちゃう。その時は……確か、黒のスーツ着てたかな。似合ってた」
ぽつり、ぽつりと記憶の糸を辿るように、莉々香が漸について語っていく。
銀髪の男……、か。
そんな奴には……、会ったことないよな……?
自身もまた、記憶の糸を手繰り寄せながら探るも、そのように目立つ男と出会した記録は残っていない。
「だからまあ……、そんな奴に話し掛けられて、結構気分良かったんだよね」
「そういうもん……?」
「そういうもん。見た目を裏切らないお上品な佇まいで、でもサマになってて、悔しいけどめちゃくちゃかっこよかった。それは認める」
「なに話したんだよ」
「別に……、大した話じゃない。一人? て聞かれて。ホントは女友達と来てたんだけど、さっさと男漁りに行っちゃったし、付き合うのもたるかったから一人で飲んでたんだよね」
「へえ、その時に漸がやって来たわけだ」
「うん……。めちゃくちゃ甘え上手って感じ。あっちも友達と来てるって言ってたかな」
伏し目がちに、時おり宥めるように手を擦りながら、莉々香が思い出を語る。
窓からは、得体の知れない夜が駆け抜け、一体何処を走っているのだろうか。
ぼんやりと、たまに街灯が過ぎ去るも、殆ど恐れを促すような闇ばかりが広がっており、いつしか坂道が多くなっていく。
「そいつ、結構有名な奴とか?」
「う~ん、分かんない。でも、一度会ったら忘れらんない。良くも悪くも、何か引き込まれるっていうか。アイツ自体が、一種の麻薬みたいな感じ」
「麻薬……? んな大袈裟な……」
「アンタも会ってみれば分かるよ。本能的に、アイツの側に居たらやばいって事も。……ハァ。そう思ったのにこれなんだから、ホントついてない……」
溜め息をつく莉々香の隣で、薊を思い浮かべる。
話を聞いているうちに自然と過ってしまい、何だか似ていると感じてしまう。
彼も麻薬のようで、どうしようもなく惹き付けられて、抗うにはあまりにも甘美な誘惑が手招いてくる。
そんな奴が他にもいるのか、なんて驚きを隠しきれず、危険と分かっていながらも興味が湧いてしまう。
此処から生きて戻れるかも分からないというのに。
「他に何か言われた?」
「え? ん……、綺麗とか、可愛いとか、此処から離れたくないとか、なんか、アタシのこと、気になるとか、また会いたいとか」
「なにもじもじしてんだよ」
「う、うるさい」
会話の最中で、漸の表情から声までもを振り返るように、莉々香が口許に手を添えて恥じらう。
けれども、どうして急に歯切れが悪くなっていくのか分からず、首を傾げて問えば力強く腕を叩かれた。
「いてっ」
「アンタも会えば分かるわよ。思えば、その時に……、あのクソ女に見られてたのかも……。それしか考えられない。ムカつく」
「ああ、さっきの……」
「絶対に許さない……。何様なのよ、あのクソアマ。アイツの何なわけ?」
「いや、睨まれても知らねえけど……。怖ェよ」
現状へと陥れた諸悪の根源を思い出し、莉々香は低く唸るように声を漏らす。
端から見ても絶体絶命な状況なのだが、捕らわれながらも彼女は意外とパワフルなようで、拳を握っては闘志を燃やしている。
「絶対に後悔させてやるんだから」
「アンタよくこんな状況で言えるよな。スゲエよ……」
「アンタじゃねえし、莉々香だから。ねえちょっと、アタシを此処から出してよ。こんなところで死んでられない」
「し、死ぬって……、流石に、そこまでは」
「一緒でしょ。アタシの意思で生きられないなら、死んだも同じ。そんなの耐えられない。アンタだって……、嫌でしょ?」
救うつもりではいた、いたのだが、予想とはまるで違う展開に戸惑う。
ここは俺が、勇気づけて手を引くような、そういうイメージでいたのに……。
返す言葉もなく、先程までは投げやりな態度でこの世を憂いていたというのに、売られた怒りでどうやら奮起してしまったらしい。
「それで? 乗るの? 乗るわよね」
「それは、でも……」
「つうかさ、アンタ誰? 名前は?」
「ぐ……、失礼な奴……。來だよ。來」
「へぇ、來。歳は? いくつよ」
「……19」
「は? 年下じゃん。馴れ馴れしくしないでよね。莉々香さんとお呼び」
「こ、このやろう」
しおらしい態度が消え失せ、さん付けどころか様を付けろと言わんばかりの尊大さで、つんけんしている。
助けんのやめようかな……、なんて過ってしまうくらい、本来の明るさを取り戻していく莉々香を腹立たしく思うも、久しぶりに元の自分を呼び覚まされていくような感覚も混在する。
こんな、ただの友達みてえなやり取り、いつ以来だろう。
「それで、何処に向かってんの。コレ」
「……知らねえよ」
「ちょっと、仮にも仲間なんでしょ? そんなにザコで下っぱで役立たずで超絶使えないわけ? だっさ」
「おまっ、く……、落ち着け、腹立つ、落ち着け……」
「なに? 腹痛いの?」
両の拳を握り締めながら俯くと、莉々香が見当違いなことを言っている。
おかしい、絶対におかしい、何だこの展開。
一生懸命に自分を宥めつつ、このじゃじゃ馬と何とか手を取り合って、此処から抜け出さなければと冷静さをかき集めていく。
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