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麝香
ふと、外へと視線を向ければ、相変わらず得体の知れない夜を突き進んでいる。
風はなく、静けさが漂っているであろううつし世の闇を、不躾な前照灯が否応なしに引き裂いていく。
時おり、思い出したかのように街灯が現れるも、すぐにも光は消え失せる。
街からは随分と離れ、今ではすれ違う者もいない。
辺りには鬱蒼とした木々が生い茂り、先程から曲がりくねった道を登っており、人気のない光景に隠しきれない不安が募っていく。
「ていうか……、何処を走ってんの? 山? さっきからずっと坂道ばっかり……」
「……たぶん。暗くてよく見えねえけど」
「……まさかアタシ、始末されるの?」
「それは……、違うよ。アンタじゃない」
されるとしたら……、それは……。
外界へと注がれていた視線を、車内に戻してから前方を見遣り、哀れな生け贄の姿を思い浮かべる。
莉々香じゃない、これから何かあるとしたら、まずはきっとアイツからだ。
毛布を掛けられ、未だ微動だにしていないだろう男が横たわる席を、険しい顔で見つめながら思案する。
「アンタは……、気付いてないかもしれないけど、もう一人いるんだ」
「もう一人……? 何よ、それ。どういうこと?」
「アンタの他にも……、捕まってる奴がいるってこと」
「え? でもそんな奴どこにも……」
思わず顔を向ける莉々香に、慎むよう促す。
視線を外しながら、俯いた彼女が小さく唇を開き、助手席から目立たぬように言葉を紡いでいく。
「あいつら二人と……、來と、アタシ以外にもいるってこと?」
「ああ……。乗せられた時、見えなかったか?」
「え? ん……、周りなんか見てる余裕なかったし……。あ、でも何か、置いてあった? あいつらのすぐ後ろに」
考えるように口許へ手を添え、記憶を手繰り寄せながら情景を過らせていた莉々香が、やがてある一点にて思いとどまる。
「まさか……、アレ? 人なの?」
「……うん。アンタの前に……、拉致した」
ヒュ、と息を吸う音がして、傍らからは声が潰え、緊迫した空気が息吹のように身体を冷やしていく。
不測の事態に、莉々香は青ざめながら硬直し、状況を察して考え込んでいる。
つい先程までは、勝ち気な言動で希望を見出だしていたが、事はもっと深刻で一筋縄ではいかない。
「どうするつもりなの……」
か細く、絞り出された声が僅かに掠れる。
傍らでは、凍える指を温めるように手を擦りながら、莉々香が俯いている。
緊張感が伝わり、強張りそうになる身を解すように息を吐き、前を見つめる。
問われても明確な答えを紡げず、けれども無傷で帰されるとはとても思えず、それ相応の償いをこれからさせられるのだろう。
想像するだけで気分が悪くなり、口が重くなる。
「なに……? 着いたの?」
いつしか登り坂を越え、平地を走っていた事に気付かぬまま、暗がりで神妙な面持ちをしていた。
何て言おうかと考えていると、莉々香が顔を上げて辺りを見回しており、何事かとつられて視線を注ぐ。
何処までも駆け抜けていきそうな勢いであったが、速度を緩めて敷地へと入っていき、雑草が生い茂って荒れてはいるが駐車場であるとすぐにも分かる。
目を凝らすと、先には何やら建物が見え、他に人の気配は感じられない。
「あ~、やっと着いたか。ちゃっちゃと済ますかあ。後がつかえてるからな」
停車し、鼓動を止めた車内へと二井谷の声が響き、大きく伸びをしている。
次いで振り返ると、ふいと莉々香は隠れるように顔を背け、黙り込む。
二井谷といえば、彼女よりも件の男が気になるようであり、様子を窺っている。
それから由布がドアを開け、無言で運転席を降りると、二井谷が助手席を後にする様子が窺え、ジャリと小石を踏みしめるような足音が聞こえてくる。
暫し肩を並べ、何事か交わしている二人を逃すまいと、車内で目を細める。
これからの事を話しているのだろうが、残念ながら会話は何も聞こえない。
莉々香も何も喋らず、心配そうな表情で外を気に掛け、車内には束の間の静寂が揺蕩っている。
彼らを見守っていると、やがて由布が建物の方へと去り、二井谷は後部座席のドアを開けて乗り込んでくる。
「長旅お疲れさん」
背凭れへと手を添えながら、屈んで声を掛ける。
そうして毛布を払いのけ、隠されていた存在を目の当たりにすると、莉々香が悲鳴を抑えるかのように両の手で口許を覆う。
無理矢理に持ち上げられた男が、手足を戒められたまま引き摺られ、外へ運び出されようとしている。
「重っ。由布の野郎、さっさと行きやがって。おい、お前。ちょっと手伝え」
狭い車内では思うように動けず、悪態をついていた二井谷が顔を向け、手を貸せと声を掛けてくる。
選択肢なんて無いのだが、躊躇いが生じて一瞬呼吸を忘れるも、無言で立ち上がって近付いていく。
自然と息を殺し、引き摺られていた両の足を持ち上げ、車外へと運び出す手助けをする。
浅く、繰り返される呼吸を僅かに感じ取り、震えているように思える。
触れた手には温もりが伝わり、傷を負っていながらも彼は生きており、帰りを待つ家族がいるのだろう。
「よっと。悪いなあ、助かったわ」
「あの……」
「ん?」
外へ出ると、穏やかながらも冷えきった風が、そっと身体を撫でていく。
身震いしそうになりつつ、状況を忘れそうになるような笑顔を浮かべている二井谷を前に、住む世界が違うのだという事をまざまざと見せ付けられる。
「いや……、何でもないです」
「そうか? 暫く留守にするけど、お前あの子に手ェ出すなよ~?」
「そんな事しませんよ……」
「何だよ、冗談だろ? 拗ねんなよ。ちゃんと見張っておけよ? 薊さんの側に居たいならな」
薊さん、と聞いて目を丸くし、忘れかけていた目的を思い出して息が詰まる。
「はい……。見張ってるんで、行ってきて下さい」
「聞き分けのいい奴は嫌いじゃない。しっかり頼むぜ?」
笑顔で肩を叩かれ、何にも答えられずに眉間に皺を寄せ、二井谷は哀れな男をずるずると引き摺りながら倉庫のようなみすぼらしい建物へと向かっていく。
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