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麝香
反撃を躱しつつ、気になって辺りを見つめる。
ザア、と夜風によって木々がざわめき、まるで居場所を囁かれているようだ。
今にも由布や、二井谷へと居所を悟られてしまいそうで、追われる恐怖に背中を押されて足を速める。
「早く行こう」
「ちょっと待ってよ。そんなすぐ気付かないって」
「今のうちに引き離しておかないとやばい。あいつらは……、鼻が利くから」
荒野でずる賢くも、強かに生き抜く獰猛な獣のように、彼等は容赦がない。
まだ気付かれていないであろう今しか、二人から離れるチャンスはないのだ。
異変を察してからの追跡は、きっと恐ろしく速い。
もしかしたら見逃してくれるかもしれないなんて期待は、持つだけ無駄だ。
「うわ……、暗いな」
「だから言ったじゃん。もう、超気味悪い……。何よ」
「そこから結構、段差あるから」
「あ……」
刺客の目から逃れるべく、離れがたい道路から逸れ、階段を下りていく。
ところどころから雑草が生い茂り、打ち捨てられて久しいのは明らかだ。
足元に気を付けながら、下れば下る程に背筋がうすら寒くなっていくような闇が深くなり、辺りには何ものをも拒絶するかの如く木々が行く手を遮っている。
先に森林へと着地し、振り返って手を差し伸べると、莉々香が首を傾げる。
改めて言葉にすると、自らの気遣いを何だか無性に照れ臭く感じ、手を取り合って微妙な空気が流れる。
「うぅ、何か出そう」
「怖いこと言うなよ」
「何かあったら盾にするから。アンタが食われてる間に逃げる」
「何に出会してんだよ、それ……」
地に降り立つと、どちらからともなく手を放し、少しずつ前へと進んでいく。
暗く、足場も悪く、慎重に枝葉を押し退けながら、時には屈んで潜り抜ける。
パキ、と枝を踏みつけつつ、気を配ってもこのような状況では足音が響き、鬱蒼とした静けさからやけに大きく感じてしまう。
とにかく前へ、一歩でも先へと進まなければ、取り返しのつかない事になる。
今更戻ったところで、彼等はごまかされない。
それにあのまま居たところで、莉々香にとっては詰みなのだ。
俺は……、俺は、どうだろう。
薊さんに会いたくて、側に居たい一心で付いてきたけど、たぶんこのままじゃダメだろうな……。
でも、こんなの黙って見てられるわけねえよ。
とりあえず、後のことは彼女を送ってからだ。
不安を振り払い、目前に集中しようと改める。
背後では、黙って莉々香が付いて来ている気配がして、気付けばはぐれぬようにか衣服を掴まれている。
「当てとかあるの?」
「ない」
「ちょっと、適当に歩いてるだけ!? 逃げ切る前に遭難するっての!」
「救助されるならありか……」
「本気で言ってんの? 見つかる前に白骨化するわ」
「ハハ、言えてる。こんなところまず誰も来ねえよな。人が居るなんて思わねえよ。まっとうな奴は」
行く手を切り開きながら、険しい山道を下る。
夜空すら窺えず、時おり何処からともなく鳴き声がすると後方から悲鳴が上がり、その度に肝を冷やす。
「アンタの悲鳴のほうが怖ぇよ……」
「なっ、しょうがないでしょ! さっきの何!? 鳥!?」
「かなあ、たぶん」
「もう何でそんな、ぼっ~としてんのよ! しっかりしてよね!」
「いって! だからすぐ殴んのやめろって!」
「前向いてよ、危ないっての!」
立て続けに背中をバシバシと叩かれ、不愉快に思いながらも足は止めない。
何処を歩んでいるかは分からず、それでも導かれるように前へと進み、とにかく必死で距離を稼ぐ。
すると、遠くから何か音が聞こえてきて、不自由なりに見渡しながら方角を探り、地を踏みしめていく。
時には後方を気に掛け、手を取っては先へと進み、か細く聞こえるせせらぎを目指して歩を進める。
莉々香にも聞こえているようで、自然と両者の足が速くなり、暗鬱としながらも時々空が見えてくる。
「ハァ、は……、川だ。近い」
「うん……。もう、こんなとこからはおさらばしたい」
肩で息をしながら、景色にようやく変化を感じられ、少しだけ安堵する。
踏み外さないよう慎重に歩むも、お互いに気は急いていて、早く此処から出たいとばかりに先を急ぐ。
耳を澄ませば、慎ましやかな流れに手招かれ、いつしか自然と導かれていく。
逃げ切れていないのに、それでも何処か安心する。
清らかなるせせらぎを前にしては、何だか守られたような気になってしまう。
単なる願望と分かってはいても、心は随分と前から休息を欲していた。
「わあ、川……。やっと森抜けられたじゃん。ホントもうあんなの二度と勘弁……」
「おい、危ないって。ちゃんと前見てろよ」
「大丈夫だから。あいつら、追ってきてないかな」
「それは、何とも言えねえけど……。時間稼ぎは出来てるはずだ」
「うん、そうだよね。あ、見て。ちょっと月が出そうじゃない?」
「ホントだ。明るくなってくれんのは助かる」
「月も味方してんのよ~! 行きなさいって」
「調子いいなあ……」
幸いにも、川の流れは緩やかであり、心地好いせせらぎにほっと安堵する。
先程までと比べれば、小石が転がってはいるものの格段に歩きやすく、視界も開けていて落ち着く。
ようやく天候も味方に出来そうで、未だ姿は拝めないが、神々しい月光を遮ろうとも地上へ漏れている。
「ハァ~……、疲れた。一時はどうなることかと思った」
「おいおい……、まだ何も解決してねえから」
「でも第一関門は突破出来たでしょ? 偉かったじゃん、ワンコ~! 褒めてあげる!」
「犬じゃねえから! 何なんだよ、まったく……」
それでも、明るさに救われていたりもする。
一人ではきっと、とうに潰れていただろう事を思えば、彼女は力強い味方だ。
重たい足取りも、背中を押されて徐々に軽くなっていくようで、何としても此処から莉々香を連れ出してやりたいと思う。
「それにしても、随分歩いてきたよな……」
「うん。何処に居るのか全然分かんないけど、でもさっきよりは落ち着く」
「だな。昼間ならもっと綺麗なんだろうな」
「そうだね、きっといいところだよ」
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