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麝香
「何か意地になってる」
歩いていると、聞き捨てならない台詞が耳に届く。
「意地? 俺が……? どういう意味だよ」
否定されたような気分になり、自然と剣呑な物言いになってしまう。
俺が意地になってる?
まるでガキが拗ねてるみてえな言い方しやがって……、納得出来ねえ。
「そのまんまよ。ホントはお兄さんの事が大好きなのに、何か必死に嫌おうとしてるみたい」
「な……、アンタに何が分かんだよ。俺のこと何にも知らねえだろ」
「知らないわよ。でも、アンタが悪い奴じゃないって事は分かるよ。ねえ、苦しくないの? そんなに突っぱねてさ」
不意に腕へと触れられ、気遣うように擦られる。
先を急いでいたはずの足が止まり、せせらぎだけが絶えず安らぎを奏で、仄かな月光に彩られた莉々香の表情が間近に映り込む。
「お兄さんのこと嫌いなの? 本当に?」
「だからそう言ってんじゃねえか」
「何か、拗ねてるようにしか見えないんだよね」
「なんだと」
「さっき久しぶりに会ったって言ってたけど、その時どう思った?」
「どうって……、うぜえに決まって」
「アタシにはホントのこと言って」
「何だよ、それ。大体、俺は嘘なんて……」
大事なものを取られたのに、許せるはずがない。
それなのに莉々香は、怒りだけではないはずだと疑わず、力強い眼差しで答えを求めて見上げている。
何も隠していない、それは本当なのに。
いつしか後ろめたい気分になって、澄んだ瞳に臆して視線を逸らしてしまう。
「來、ちゃんと考えて」
「何なんだよ、さっきから。お節介もいい加減にしろよ」
「大事なことだよ。何か理由があるんでしょ? ていうか、会った時って何か話したの?」
「アンタには関係ねえ」
「あります~! 言ってくれるまで此処から動かないからね!」
「勝手にしろよ。俺は一人でも山を下りるからな」
「ハァッ!? 最低! 人でなし! せっかく人が心配してやってんのに!」
「おい、あんま騒ぐなって……。心配してくれなんて誰も頼んでねえっつの」
「可愛くな~い!」
腕を叩かれ、すぐ暴力振るうんだからと恨めしそうな視線を注ぐも、彼女は不満げに佇んでいる。
「できのいい兄にコンプレックスを抱いてるとか」
「は? 何言ってんだ。アイツはそんなんじゃねえし、一人で拗ねて家飛び出してくようなできの悪い兄貴だよ」
「ふうん、そうなんだ。お兄さんグレてたんだ。今は?」
「今……、何か、落ち着いた感じだったな」
再び歩き始めると、ジャリ、と擦れ合う石が控え目に音を立て、すぐにも大人しくなる。
傍らには莉々香が居て、兄の話を聞かせろとうるさい。
思えば誰も彼もが、兄の話を聞きたがるような気がする。
気になるのは皆、アイツの事ばっかだよな。
「そうなんだ。お兄さんて」
「兄貴の名前は咲。女みてえな名前」
「綺麗な名前じゃん。ね、似てる? 來と」
「そうだな。子供の頃は似てるってよく言われたよ。今は分かんねえけど」
「ふうん、そうなんだ」
諦めにも似た境地で、お望み通りに目当ての人物の情報をさらけ出す。
淡々と紡ぎ、そこには何の感情も宿っていない。
急に喋り出した横顔を窺うような視線には気付かず、思い出したくない再会までもが脳裏を過っていく。
お前の事が心配なんだ、寂しい思いをさせて悪かった、側に居られなくてごめんな。
複雑な表情と共に紡ぎ出された一言一句が、昨日の事のように思い出される。
何を今更……、今になってそんなこと言われても俺は……、俺はやっとアンタを嫌いになれたのに。
「來?」
呼び掛けられて、ハッとする。
自分でも気付けなかったような想いへと辿り着いた気がして、急激に不安が込み上げてくる。
「ちょっと休もうよ」
「なに暢気なこと言ってんだよ。そんな時間なんてねえ。こうしてる間に奴等が嗅ぎ付けたら」
「もうずっと歩きっぱなし。ノンストップで麓までなんて無理だから。ねえ、お願い。少しだけだから」
そう言われては強くも出られず、渋々ながらも聞き入れて立ち止まり、麗らかに流れる川のほとりへと腰を落ち着ける。
座ってしまえばやはり疲れていたのか、自分でも戸惑うくらいに身体が重く感じる。
どうやら頭が一杯で、感覚が麻痺していたらしい。
「は~! 疲れた~! もう無理、歩けない」
「まだ先は長いぞ」
「おんぶしてってよ、來~!」
「絶対にごめんだね。足腰立たなくなっちまう」
「何よ、それ。どういう意味~?」
「またやんのか? すぐ手が出んだから」
「まだ出してないっての!!」
「いって!」
言ってるそばから叩かれ、これで何度目だと空を仰ぐも最早とっくに分からない。
勝手だなあとは思うも、何だか自然と笑みが零れてしまい、こんな時だというのに気が緩んで彼女を見つめる。
「あ、笑った」
「え? なんだよ」
「今の顔、超かわいい。ねえ、もう一回」
「ハァ? やだよ」
「お姉さんの言う事が聞けないって~!? そういう悪い子には、こうしてやる!」
「ちょ、うわ、やめ、やめろって!」
唐突にくすぐられて悲鳴を上げると、目の前では莉々香が楽しそうに笑っている。
まるで以前から友達であったかのような、そんな不思議な気分にさせられる。
極限の状況であるからこそ、結び付きをより強く感じてしまうのかもしれない。
「はぁ、は……、もう、やめろって!」
「ふふ、可愛いところある。ねえ、少しはほぐれた?」
「何の事だよ」
「來はさ、やっぱあんな奴等と一緒にいないほうがいいよ。アンタに似合わないもん。もっとさ、大事な居場所があるでしょ? ホントはもう分かってるんでしょ?」
真摯に訴えられると、茶化すことも憚られて口ごもる。
居場所……、俺の居場所……。
何にも言えなくなり、暫くはせせらぎだけが耳に残り、頭の中がこんがらがっていく。
「余計なお世話だ」
「來はいい奴だよ」
「バカにしやがって……」
「何でそう思うのよ、ひねくれてるなあ。最低最悪って言われるほうが嬉しいわけ?」
「それは……」
「誰にでも出来ることじゃない。そうでしょ? もっと自分に誇りを持ってよ。……家族にも」
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