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裁き
初めは、ひやりとした感触だった。
次第に硬く、突き放すように無機質な質感が痛みを思い起こさせ、それは毒のように身体中へと染み渡っていく。
自分が横たわっている事に気が付き、少しでも苦痛を和らげるべく身動ぐと、重く閉ざされていた目蓋をゆっくりと押し上げる。
ぼんやりとした視界へと薄暗い空間が映し出され、暫くはただか細く呼吸を繰り返す。
そうして視線を彷徨わせると、目の前で何者かが腰掛けている姿が見え、未だ膜が張ったような思考でアレは誰だろうかと考える。
「気が付いた?」
痛みに喘ぐ身体へと、柔らかな一声が降り注ぐ。
たった一言で緊張を強いられていた心身が解れ、穏やかな声音に落ち着きを取り戻していく。
「良かった。心配したよ」
頼りなげな視界へと、一歩を踏み出した誰かが近付いて、あっという間に目の前で膝をつく。そっと頬を撫でられ、僅かに芽生えた痛みに眉根を寄せながら、見上げた双眸に映り込む容貌を目に焼き付ける。
「あざみ……、さん?」
絞り出された声は、思っていたよりも掠れていた。
しかし名前を紡ぐと、視線の先で彼が笑ったような気がして心が安らいでいく。
ずっと会いたいと思っていた。もう会えないかもしれないと思っていた。
そんな尊ぶべき存在がいつの間にか目の前に居て、自分は夢でも見ているのだろうかと怪しんでしまう。
消えてしまったら悲しいから、彼に少しでも近付こうと床に手を付き、起き上がろうとする。鉛のように重たい身体を支え、痛くて仕方がない気持ちを押し殺しながら格闘していると、不意に甘やかな香りと共に肩へと温もりが触れる。
彼の繊細な手に労られながら、少しずつ起こした身体を壁へと凭れさせ、やっとの思いで座り込んだ時には傍らから息遣いを感じる。
会いたくて、名を呼ばれたくて、笑いかけられたかった相手が今や目の前にいる。
「薊さん……」
遠慮がちに名前を呼ぶと、うっとりするような声音で相槌を返される。
肩へと凭れ、甘やかな匂いに包まれながら瞬きをして、夢のような一時に暫し現実を忘れる。身体中が軋み、理不尽な痛みに苛まれて悲鳴を上げ、とうに限界なんて超えている。
それでも今は、疲弊した辛さよりも切なる悦びが込み上げており、全身へと痛みが駆け抜けようとも然程気にならなかった。
「來くん、大丈夫?」
「大丈夫……、ではないです」
「そうだろうね。こっぴどくやられたね」
「俺……、そんなに酷いですか?」
「うん。かわいい顔が台無し」
「かわいくなんて……」
不満そうに唇を尖らせ、視線を彷徨わせていると不意に額へと手を添えられる。
思わず顔を向けると、額を撫でていく薊と視線が交わったように感じ、次第に近付いてきた彼の唇が肌へと触れる。
額へと口付けをされ、何がなんだか分からぬままに双眸を向ければ、彼の手が慈しむように頬を撫でてきて心地好い。
大人しく身を預けていると、ぽっかりと穴が開いたような記憶へと一つ、また一つと断片が組み込まれ、次の瞬間には大きく肩を震わせて顔を上げる。
「來くん……?」
「あ……」
違う。微睡んでる場合じゃない。俺はどうなった? あいつらは?
警戒心を露わに辺りを見渡すも、由布と二井谷の気配は感じられない。
どっと冷や汗が吹き出して、何もかもが分からぬ現状に焦燥感が込み上げるも、傍らには確かに薊が居て拘束もされていない。
ただ身体中が苦しみに悶えていて、河原で対峙してからの記憶が抜け落ちており、怪我はしていても無事であることに首を傾げてしまう。
「俺……、俺、なんで……」
「來くん。大丈夫だよ」
「ここは、どこですか? あいつらは? なんで薊さんがここに」
「彼等のことなら心配ない。もう來くんには手出ししないよ」
「何があったんですか? 俺、行かなきゃ……」
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