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裁き
居ても立ってもいられずに腰を上げようとすると、途端に激痛が走る。
「來くん、大丈夫? 無理をしてはいけないよ」
「でも……、俺は……」
「そんな身体で、何処へ行こうと言うの? 今の君は、自力で立ちあがることすらままならないのに」
立ちあがろうと試みるも、身体中が悲鳴を上げ、痛みに呻いて体勢を崩してしまう。
無様に転がるところであったが、薊が手を差し伸べてくれたお陰で、再び壁へと凭れ掛かる。
「い、かなきゃ……」
「行くって、何処へ?」
様々な人物の表情が、脳裏へと現れては消えていく。
咲、黒瀧、由布、二井谷、莉々香と順に浮かんでは薄れ、焦燥感だけが此の身を責める。
由布と二井谷から離れ、莉々香と河原を下りながら、魔の手から逃れようとしていた。
悠長に休んでいる場合ではなかったのに、つい彼女との会話を楽しんでしまった。
愚かな選択の結果、闇を縫うように降り立った二人を前に、無力にも為す術がなかった。
莉々香を危険に晒し、彼女を逃がすだけで精一杯で、今では安否すら分からない。
無事に逃れられただろうか、何処で何をしているのだろうか。
彼等が易々と見逃してくれるとは思えず、早々に役立たずと化した自分自身に反吐が出る。
見つかればきっと、ただでは済まされないし、奇跡でも起こらない限りは逃げ切る事など到底出来ないであろう。
だからこそ嫌な予感ばかりが責め立て、我が身の愚かさを呪うしかない。
「どうしたの? そんなに思い詰めた顔をして」
「薊さん……」
「ん? なあに」
「どうして、ここへ……」
情けない声が出て、惨めに感じてしまう。
それでも薊は、優しく語り掛けながら頬を撫で、悲しみに暮れた心を落ち着かせてくれる。
視線を向ければ、仄かな月明かりに照らされた薊と目が合い、笑いかけられる。
釣られて笑いそうになるも、本当にそれでいいのだろうかと疑問を口にする自分がいる。
「黒瀧から聞いたんだ。君が大怪我してるって」
「そう、ですか……。あの二人は……」
「ああ、由布と二井谷のことかな。今頃また仕事に戻ってるんじゃない? やり残した事があるって言ってたからね」
それだけで胸が締め付けられ、一瞬どくんと鼓動が跳ね上がる。
薊はどこまで知っているのだろう。
邪魔をしたのも、咎められるべきも、彼等の所業に首を突っ込んだ自分なのだ。
薊と視線を通わせるも、何を言ったらいいのか分からなくて複雑な表情を浮かべる。
でも、抗わなければ、莉々香を見捨てていたら、もっと大事なものを失っていたように感じる。
「俺……、どうしたらいいか、分からなくて」
「由布と二井谷に、付いていったんだって? 君には刺激が強すぎたかな」
「薊さんは……、知ってるんですか? あの人らが、何してるか……」
「さあ、詳しくは。黒瀧に一任しているからね」
頬を撫でる手がくすぐったく、時おり傷口に触れて微かに痛みが生じる。
眉根を寄せて沈痛な表情を浮かべると、様子を窺うような視線を感じ、何か言わなければと唇を開くも台詞が見つからない。
本当に知らないのか? 薊さんは、何も。あいつらとは無関係……?
そんなはずはないのに、心の何処かでは彼等の行為を知らないという薊の言葉に安心していて、無理矢理に切り離そうと考えてしまう。
知らなかったとしても、容認している。
彼等の上に、薊がいるのだから。
「俺……、なんで、生きてるんすかね」
「どうして? 來くん、死にたかったの?」
「そんなんじゃ、ない……。でも、生かして帰してくれるようには、見えなかったから……」
河原で感じた静謐なる殺意は、足を竦ませるには十分だった。
だからこそこうして生かされ、薊と言葉を交わしている現実が信じられず、夢でも見ているのだろうかと考えてしまう。
「大丈夫だよ。怖がらないで。彼等にはよく言っておいたから。もう來くんを傷つけたりしないよ」
「薊さんが……、俺を助けてくれたんですか……?」
「そんな大層な事はしていないよ。君は、俺に会いたかったんだろう?」
「はい……。俺、ずっと……、薊さんに会いたかったです」
「嬉しい。俺もだよ。ねえ、來くん。コレ、覚えてる?」
言葉を交わし、薊が衣服を探りながら何かを取り出すと、眼前にて軽く振る。
それは、黒い包みに隠された、かつて彼から受け取った代物を思い起こさせる。
「それ……、前に薊さんがくれた……」
「そう、よく覚えてるね。あの時と同じもの。相変わらず試していないの?」
「あ……、はい」
「いいよ。そんな悲しそうな顔をしないで。それなら、ほら」
ばつが悪そうに視線を彷徨わせると、微笑んだ薊が黒い包みを解いていく。
彼から受け取ってから、中身を確認する事も無く兄に渡っていた為に、自然と食い入るように青年の手元を見つめる。
悪事など知らぬような繊細な指に暴かれ、包みが露わになる頃には錠剤が映り込み、外観からは然程突飛なものとして感じられない。
どんな効力があるのかもよく分からず、すでに出回っているのだろうかと首を傾げたくなるも、青年は錠剤を摘まんで微笑みかけてくる。
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