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Zwei

「怖くなってしまったのかな……。身近な存在が、命の危機に晒されて……」 控えめに笑い、少しずつ胸の内を吐露していく漸を見つめ、黙って話を聞き続ける。 掴みどころのない人物だと思っていたが、露わにしないだけで彼なりに想いを巡らせているようであり、印象を新たに彼の横顔をじっと見つめる。 「酷い怪我をしているけれど、いずれ良くなる。待っていればまた、元気な彼が帰ってきてくれるのなら……、今はそれだけでいいと思えてしまうんだ。戻りかけている平穏を……、手離したくないんだろうね」 「……そうか」 「知らないほうが幸せなこともある。身を粉にして真実を追い求めるよりも……、今は彼の側に付いていてあげたいかな」 真相を知りたいという気持ちはあれど、ようやく戻りかけている平穏を再び脅かされるくらいなら、真実なんて知らなくていい。 例え怪我を負っていても、未だ眠りから覚めていなくても、このような惨たらしい現実に晒されていても、それでも鳴瀬が手の届くところで安らかに時を刻んでいられるのなら、もうそれだけで良いのだと青年は静かに想いを紡ぎ出す。 一筋縄ではいかない闇を、苦労をしても手掛かりすらまともに掴めないでいる深淵を、無理をしてまで覗くことでまたしても鳴瀬が危機に瀕するのであれば、その可能性が僅かにでも発生してしまうのならば、もうこれ以上は何も知らなくていいのだと彼は考えている。 そう思うことは否定出来ない。 鳴瀬の友人という同じ立場ではあっても、人それぞれに物事の捉え方も考え方も異なっているからだ。 漸を責めることなんて、出来るはずもない。 形は違えど、彼も鳴瀬のことを深く考えており、青年の場合はたまたま側に付いていたいという選択をした。 それなら自分はどうなのだろうと考え、漸の言葉を少しずつ噛み砕いていきながら、側に付いていたいと思う気持ちは確かにあれど、それ以上に真相を暴いて根本から解決してやりたいという答えに行き着く。 今のままではきっと、いつまでも鳴瀬や周囲までもが何者かの影に脅かされ、心の底からの安寧は得られない。 鳴瀬は傷付いているけれども無事であり、このまま全て無かったことにして彼の回復を待ち、以前の日常に戻りたいと考えるのも悪くはない。 だが、自分にはそれを選び取ることは出来ないし、間違いなく後悔してしまうのが目に見えている。 「俺は……、知らないまま幸せでいるよりも、傷付いてでも全てが知りたい」 心身共に傷を負ったとしても、それでも大切に思っている存在の為、せめて自分の手の届く範囲くらいはなんとしてでも守りたいと思う。 悲壮な結末を迎えたとしても、あらゆる葛藤に苛まれることがあろうとも、それでも何も知らないままかりそめの幸せに溺れていくよりも、ずっと自分らしいと思える。 漸の考えを否定するつもりは少しもないが、自分には到底縁のない選択肢であり、そちらの道を進んでいくことは未来永劫有り得ないだけなのだ。 「君は強いね。僕には到底真似出来ない」 「んなことねえよ……。単に知りたがりなだけだ」 「それでも、行動に起こせるんだからすごいよ。僕には怖くて出来ないから」 漸が此方へと顔を向け、再び色艶を湛えた笑みを浮かべながら、心地好い低音と共に言葉を発する。 なんだか気恥ずかしく、視線をさ迷わせて困ったように笑い、知りたくて仕方がないだけなのだという想いを告げる。 すると不意に手を取られ、触れられていることに気が付いて視線を向けてみると、いつの間にか漸の左手に捕らえられている。 「傷付いてでも、全てが知りたいと思ってくれる君なら……、僕のことも怖がらずに受け入れてくれるのかな?」 「なに言ってんだ? 当然だろ」 慈しむように撫でられ、時おりひやりとした指輪の感触と共に、温もりが手を包み込んでいく。 そのような時に、漸から含んだ物言いをされて首を傾げるも、言葉通りに受け取って即座に返事をする。 漸も最早鳴瀬と同様の存在であり、彼のことをもっと知りたいと思うし、理解を深めたいと考えている。 それを請われるような言葉には素直に頷くけれど、怖がらずにという前置きがどうも引っ掛かってしまい、僅かに疑問を感じながらもあまり気にしないことにした。 「逃げたくなっても、逃がしてなんてあげないよ……?」 「大袈裟だな……。一体お前の中には何が隠れてるんだよ」 「さあ……、どうだろうね。君が暴いてくれるんだろう? 楽しみにしてる」 焦らすような言葉と共に、色気を孕んだ声で囁かれ、まだ何も知らない彼のことがますます謎めいて見えてくる。 やんわりと触れられていた手を引かれ、何事かと思い見ている目の前で漸が、指の付け根に唇を下ろしてくる。 見目麗しい青年は何処までも絵になり、おとぎ話に登場する王子様のような佇まいで手に口付けをし、思わず見とれるほどの笑みを浮かべて此方を窺っている。 何をされたのか理解した頃には顔から火を噴き、一斉に言葉が溢れて喉元で大渋滞を起こしており、暫くは何も言えないまま視線を合わせていることしか出来ないでいた。 「そろそろ行かないと。また会おうね、ディアルの真宮さん。次はそうだな……。もう少し、違った形で……」 追い討ちをかけるかのように、ゆったりと言葉を紡ぎながら近付き、最後に頬へと唇を触れさせてから立ち上がる。 どう足掻いても赤面から逃れられず、漸は満足げに微笑みを浮かべて見下ろし、思考停止している此方に構わず踏み出していく。 何故こうも無駄に口付けをしたがるのかと、おかしいだろと思いつつも全く言動が追い付いていかず、これまで周りにいないタイプである青年に翻弄され続けて辟易としている。 これが今後も繰り返されるのかと思うと大層げんなりしてくる心地ではあるけれど、漸は相変わらず美しい笑みを湛えたまま意にも介していない様子であった。 「おっ……、お前なァッ!」 やっとの思いで紡ぎ出し、振り向いて去り行く背中を目で追いながら、好き放題やって逃げんなテメエッ! と声を荒くしても、漸はひらひらと手を振るだけで歩いていく。 結局のところやっぱり掴みどころのない人物であり、アイツは一体なんなんだと頭を抱えたくなるも、何をしてもどうにもならずに迷走するばかりであった。 落ち着きを取り戻せた端から赤面させられ、ただただ情けないと何度目かの溜め息を漏らし、去り行く漸の後ろ姿を眺める。 次はもう少し違う形でという言葉には、一体どのような意図が隠されているのだろう。 無駄な思案と分かっていながらも暫し巡らせ、何処まで真に受けて良いものか悩む青年に振り回され、どっと疲労感を抱えながら立ち上がる。 ドクドクと鼓動を速まらせている気持ちを落ち着かせるには、まだ暫しの時間を必要としていた。

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