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異形

(はや)る気持ちを抑え、今度こそ冷静さを失わないように気を付けながら、これから自分がどう動いていくべきかを考えていく。 ヒズルと言えば、未だ微動だにせず佇んでおり、表情からは一切の感情を読み取ることが出来ない。 何処か無機的で、近寄り難い印象を与えている彼は、一体今この瞬間に何を考えて相対していることであろう。 穴が空くほど見つめたところで答えは出ず、そもそもそんなことをしている暇があるのならば一刻も早くこの場から立ち去って真宮を捜したかった。 「う、うぅっ……。この、声……。まさか……」 そんな折、背後から聞こえてきたか細い声に思わず振り返り、地に伏せて頭を抱えている青年からの言葉だと気が付く。 先程までの錯乱状態からは幾分か落ち着いたようにも見受けられるが、未だ怯えの色を滲ませており、何事かに気が付いた様子で恐る恐る顔を上げている。 そろそろと手を下ろし、明らかに恐怖を感じている表情で辺りを見渡すと、ある一点を見つめたままピタリと動きを止めて硬直する。 「おい……、どうした……」 恐れから絶望へと転がり落ち、呼び掛けにも気付かない様子で全く反応が無く、瞬きすらも忘れてひたすらに凝視している。 端から見ていても分かるくらいに、明らかにそれまでとは打って変わって身体を強張らせており、然して暑くもないだろうに玉のような汗をかいている。 何故そんなにも顔色を真っ青にしてしまうくらい、言葉を失ってしまう程に脂汗を滲ませ、奈落の底へと叩き落とされたかのような絶望を感じさせているのであろう。 「あっ……、ちが……、違う……。俺は、なにもっ……、言ってない……、知らない……!」 「え、ちょっと大丈夫ッスか? スゲェ震えてるし、一体何に対してそんな……」 じりじりと後退り、身体を小刻みに震わせながら一点を見つめ、追い詰められたような表情で声を絞り出している。 痛みを忘れ、周りなど一切目に入らない様子で何かを恐れており、視線を逸らすことも出来ずに呼吸を乱している。 生唾を飲み込み、言葉にならない声を弱々しく発しながら、蛇に睨まれた蛙の如く身体を固まらせる。 一体何に対してそんなにも怯え、一体何をされたらそんなにも絶望出来るのだろうか。 前者の答えならすでに出ており、視線の先には一人の青年が先程から顔色一つ変えずに佇んでいる。 「なにも……、何も言ってない! コイツらが勝手に来たんだ! アンタらのことは何もっ……、頼む信じてくれ!」 「さっきから一体なに言ってるんすか? ヴェルフェの奴等になに吹き込まれたんだよ!」 「うるせぇ離せ! 離してくれ! もう沢山だ! お前らが余計なことさえしなければ……!」 「余計なことってなんだよ! 俺達がしてきたことをそんなつまんねえ一言で片付けんじゃねえよ!」 「やめろ、有仁!」 自暴自棄に陥っている青年の主張についカッとなり、思わず掴み掛かる有仁を言葉で制すると、感情の機微すら窺わせない表情で佇んでいるヒズルへと視線を向ける。 「随分なことをしてくれたようだなっ……」 「俺は何もしていない。全て奴の趣味だ」 ヒズル自らが手を下したわけではないらしく、意味深な言葉と共にまたしても謎めいた人物の存在をちらつかせ、男は先程と同じ姿勢で視線を向けている。 彼が言う奴とは、やはり真宮を気に掛けている人物と同一なのであろうか。 手傷を負わされている上に、精神的にも深刻なダメージを受けている様子の青年が、想像も出来ないような仕打ちを与えられていることは明らかだ。 身体よりも、心を蝕まれているように見受けられる背後の青年は、一体先程から話題に上る奴と対峙してしまったことで何をされ、何を言われたというのだろう。 蛇のように執拗で、緩やかに巻き付かれて気が付いた頃には首を絞められ、脱する術を失ってただ堕ちていく。 単なる空想に過ぎないが、精神的に参っている青年の様子があまりにも鬼気迫っており、彼を捕らえて離さない存在に背筋が薄ら寒くなる思いであった。 同時にますます危険性が高まり、決して真宮に近付かせてはならない人物であるという確信が強まる。 真宮は強い、それは誰もが分かっていることであるし、肉体的にも精神的にも簡単に折れるような人物ではないと理解している。 それでもやはり、僅かにでも真宮を脅かす存在であるならば、ましてや接触しようとしている事実を知ってしまった今では何としてでも遠ざけたい。 その為にはまず、この場から立ち去って自由に動き回れなければならないのだが、いかんせんヒズルの動向を読み切れないでいる。 加えて背後の青年含め、未だ地に伏せている者達も気に掛かるところではあり、此処をどう判断するべきか決めかねていた。 事態は一刻を争い、こうしている間にも魔の手が伸び、真宮が窮地に晒されるようなことがあるかもしれないと思うだけで、胸が締め付けられて焦燥感に駆り立てられる。 冷静になれ、自分を見失うなと言い聞かせる一方で、真宮が絡むだけでいとも容易く心を乱されていた。 「う、うぅっ……! 見るな! そんな目で見るなァッ! 俺は違うっ……! 俺じゃない俺は悪くない! うわ、アアアアァァッ!!」 「あっ! 待てって! おい、そっちに行くな!」 有仁の手を振り払い、とうに限界を超えて混乱を極めていた傷だらけの青年は、なり振り構わず駆け出して必死に逃げていく。 有仁から発せられた制止に応じることもなく、わけも分からぬ様子でそれでも逃れたい一心で、青年は足を引き摺りながらも全速力で駆けていく。 その先にはヒズルがいる。 だからこそ有仁は呼び止め、今からでは何をするにも遅く、最早行く末を眺めていることしか出来ない。 ダメだ行くな、そう思ったところで誰にも彼の足も、想いも止めることは不可能であり、冷ややかな視線を向けているヒズルとの距離が徐々に迫っていく。 誰もが無事では済まされないと思い、脇をすり抜ける前に力で捩じ伏せられ、武力でもって黙らされると思っていた。

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