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異形
「て、アレ……?」
しかしながら意外にも、拍子抜けした様子で声を漏らしている有仁を見ていても分かる通り、ヒズルは何もせずに青年を見逃したことになる。
凄惨な場から見ても容易く想像出来るように、まず間違いなく青年の行く手を阻むであろうと思っていただけに、この展開には驚きの表情を隠せないでいた。
一方でヒズルは、傍らを通り過ぎて行った青年にも興味がない様子であり、相も変わらず能面のような表情で何を考えているのか分からない。
「ヴェルフェマンのくせに見逃しちゃっていいんすか……?」
「別に問題はない。俺が直接手を下すまでもないだろう」
「あっそう……」
すでに無事ではないとしても、窮地から脱出することが出来て何よりではあるのだが、予想外なヒズルの反応にますます困惑してしまう。
これだけのことをしておいて、まさか自分だけはヴェルフェと違うと言いたいわけでもないだろう。
底が知れず、危険であることに変わりないし、寧ろ言動が読めないだけに更に危うさが跳ね上がった気がする。
ヒズルの手でこの場を造り上げたわけではないにしても、ずっと過程を見ていられることがそもそもおかしく、やはりヴェルフェに落ち着くべくして鎮座している人間なのだ。
まさか感情がないわけでもあるまいし、一体この男が何を考えているのかが分からない。
「それにしても……、アンタが言う奴って、相当趣味悪いッスよねえ……」
「そうだな」
「何処で誰に聞いても、み~んな同じことしか言わねえし。口を揃えてすぐに分かるって、ちょ~怖いんスけど!」
「お前達が来ると分かっていたからな」
「やっぱディアルに向けた言葉なんすね? あえて俺らを避けてボコッてたあたり、面も割れてるんすよね」
「お前達の素性など容易く知れる。これはほんの挨拶がわりだ」
「うわ~、コワッ」
こちらからは見透かせないでいた反面、ヴェルフェには真宮始めディアルの面子などとうに把握されていたようであり、知らぬ間に背後を取られていたような感覚に背筋が寒くなる。
先ほど逃れた青年を含め、シチュエーションは違えども誰もが同じ台詞を発し、多くを語ることを拒まれてきた。
ディアルに宛てて用意された言葉、すぐに分かるという台詞から然程時が流れぬうちに追い求めてきた真実が明かされてきているのだが、裏を返せばヴェルフェの思惑通りに事が運んでいるとも言える。
手の平で踊らされているに過ぎず、ヴェルフェの予想通りの動きを見せてしまっているのだ。
「俺らを孤立させて潰すつもりッスか? お前らが鳴瀬さんやコイツらをボコッたと知られたら間違いなくヴェルフェに仕掛けるだろうし、先手を打ったってことッスか」
「思い上がるなよ。何もお前たちが特別なわけじゃない。道端の雑草が目に留まる時もあるだろう」
「なっ! 言うに事欠いて俺らを雑草呼ばわりかよ! くっ~! ムカつくぜ!!」
ディアルだから標的にしているわけではなく、たまたま目についたから遊んでやっている。
彼等の中ではディアルもまた、数多の群れと同等に過ぎず、真宮を知っていながらもそれほど特別視もしていないようであった。
ディアルを狙って襲撃を企てられるよりも、これは遥かに屈辱的な事態である。
他の面子はまた異なる思想を持っているのかもしれないが、少なくともヒズルに限っては全く興味もない様子であり、道端の雑草に等しい存在であると言われる始末であった。
「生憎だが、お前たちが思っているほど真宮さんも……、俺達もヤワじゃない」
「何をもってそれを証明する」
「そんなもん決まってるッスよ! バトルでっ……て、えっ……?」
有仁が勢い込んで会話に入ってきたところ、話の途中で急に言葉を失って黙り、驚いた表情を浮かべて辺りを見回す。
それはこちらも同じであり、ヒズルを除いて意識を持っている全員が何も言えなくなり、ただ闇の向こうを見つめて立ち尽くしている。
それは佇んでいるヒズルよりも奥へと広がっている暗がりから聞こえ、断末魔とも言えるような恐怖に充ち溢れた叫び声であり、不意の出来事に身体を硬化させて皆が先を見つめている。
今のは一体何なのだろう、先ほど逃れたはずの青年の姿が一瞬脳裏に浮かぶも、それならばあの悲鳴は何を意味しているというのか。
黙り込んで一点を見つめていると、遠くから微かに足音が聞こえ始め、どうやら一人ではないらしいことを察する。
「ナキツ……。今の声って……」
「ああ……。さっきの彼、だろうな……」
非常に不味い事態であると感じる。
逃れるにはヒズルを越え、複数の足音を響かせている主たちと対面しなければならず、退路は目前に伸びている道一つしかない。
「直接手を下すまでもないって、そういうことかよっ……」
今更になってヒズルの言葉に隠されていた真意に気が付き、有仁が眉根を寄せて黒髪の青年を睨み付ける。
そうこうしている間にも足音は徐々に近付き、同時に何かを引き摺っているような音が聞こえてくる。
どうする、どうすればいいと思考を巡らせつつ、良い案などまるで浮かばず八方塞がりに陥る。
「まさに今……、袋の中のネズミってやつ……?」
「有仁にしては頭使ったじゃないか……」
「へへっ、まあね。て、ちょっとバカにしてんだろ!」
小突かれながらも互いに視線は前を向いており、佇んでいるヒズルよりも更に奥を見つめ、直に姿を現すであろう何者かの到来に身構える。
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