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邂逅

「やめろ、テメッ……。何しやがる」 「大丈夫、怖がらなくていい……。君を取って喰おうなんて思ってないよ。ただ……」 するりと重ねられていた手が離れ、顎へと添えられて正面から向きを変えさせられる。 暗がりとは言え、衆人環視の状況で唇が触れ合うほどの距離に青年が居り、絡め取られるかのように視線を奪われて離せない。 こんなはずではなかったのに、気が付けばすっかり漸に調子を狂わされており、今も尚その現況から脱出出来ずにいる。 含んだ物言いをされ、咄嗟に突き放すこともささやかなる抵抗も出来ないまま、何をされようとしているのか身体が察するも逃げられない。 「あっ……。やめろっ……、ぜ、んっ……」 「駄目だよ。言うことなんて聞いてあげない」 「ん、ふっ……はっ」 紡ぎ終わるや否や唇を重ねられ、動揺して身を引こうにも容易く阻まれてしまい、物腰が柔らかく丁寧な口調とは裏腹に、獰猛且つ執拗に口内を蹂躙される。 逃れようとも舌を絡め取られ、互いの粘膜で熱く充たされていき、荒い息遣いと共に唾液の混ざり合う淫靡(いんび)な音がやけに響いて感じられ、不服ながらも深く唇を重ね合わせている。 どうしてこんなことに、と焦りが募るばかりで脱する術を見つけられず、我が物顔で口内を好きに貪られながら、じわじわと思考を蕩けさせて何も考えられないように快感を煽られる。 いつまでそうしていたのか分からないが、時間にしてみればほんの僅かな一時であったのだろう。 けれども途方もない時を拘束されていたような感覚に陥りながら、散々思うがままに口内を弄んでいた舌が離れ、熱烈な口付けを終えて漸が目の前で微笑んでいる。 「味見くらいはしてもいいかなって……。ごちそうさま」 息一つ乱していない男を睨み付け、ふざけたことをぬかされて腹を立てながら手の甲で唇を拭う。 「あ、傷付くなあ。良くなかった……?」 「……あの時とは随分キャラが違うじゃねえか」 「そんなことないよ。あの時も君のこと……、可愛いって言ったでしょう?」 「ンなことどうだっていい! お前は……、俺が今なんの為にココに居るのか分かってんだろ」 「さあ、なんの話かな……?」 「この()に及んでしらばっくれんじゃねえ。分かってんだよ……、もう……」 眉を寄せ、悲痛な表情で言葉を絞り出すと、漸から一瞬笑みが消える。 しかしすぐにも微笑を湛えると、暫くは此方を見つめたまま唇を閉ざす。 複雑に渦を巻く感情が握った拳へと込められ、互いに視線を交わしてから言葉は無く、ただただ時が生き急いでいく。 「もう少し静かなところで話をしようか。おいで」 程無くして、先に沈黙を破って漸が声を上げ、柔らかな印象はそのままに場所の移動を提案される。 すでに選択の余地は無く、漸は言い終えると同時にアッサリと背を向けてこの場から立ち去り、出入口の方へと歩いていく。 外に出る気なのだろうか、確かにこのまま中に居ても落ち着いて話など出来ないであろうし、妙な魔力を帯びているかのような漸が相手では、五感を鈍らせる閉鎖されたこの空間は肉体的にも精神的にも毒であった。 一体何処へ向かおうとしているのかは分からないが、一度も振り返ることなく漸は先を歩いていき、徐々に後ろ姿が小さくなっていく。 すぐに追わねば見失ってしまう、暢気に見送っている場合ではないと分かっていても、どうしてか突っ立ったままぼんやりと去り行く青年に視線を這わせてしまう。 叩きのめすべき相手を分かっているのに、何故未だに人形のように立ち尽くしたまま一歩も動けずにいるのだろう。 往生際が悪い、まだ心の準備が出来ていないとでもいうのか、いい加減にしろと己を叱咤する。 「いいのか? 追わなくて」 なかなか行動に移せず、しかめっ面で突っ立っていると、不意に掛けられた声に気付いて視線を向ける。 すると誰かが此方を見つめながら佇んでおり、数歩近付いてきた青年の首筋が目に留まり、瞬時に誰であるかを理解する。 「お前……、ヒズルか」 「鳴瀬の病室で顔を合わせて以来か。あの時とは随分状況が変わったな」 「まあな……」 漸とは対照的に全く笑わず、静寂を好みそうな男が此処に居ることが少々意外だが、此方の思惑などどうでも良いであろうヒズルは感情を露わにせず、淡々と言葉を紡いでいる。 まさかヒズルにまで会うとは予想外であり、頭目の所在を考えれば何もおかしなことではないのだけれど、銀髪の青年にばかり気を取られて随分と長く頭の中から抜け落ちていた。 「いつから居やがったんだテメエ」 「お前達がキスをする前からいたが、何か問題だったか」 「うっ……、性格ワリィぞ……。ア、アレは俺のせいじゃねえっ」 何故にわざわざそれを言うのかと、狙っているのかなんなのかとにかく思わぬ台詞を発されて頬が熱くなり、けれども薄暗い照明のお陰で赤くなっているところはまともに見られずに済んだ。 睨み付けながら悪態をつくも、さらりと言ったヒズルは特に何とも思っていない様子であり、漸とはまた違った意味で調子を狂わされてしまう。 漆黒の髪をさらりと揺らし、目の前で立ち止まった青年のほうが僅かに背が高く、感情の機微すら窺えぬ双眸がじっと此方を見つめている。 「ナキツはまだ、お前の元に辿り着いていないようだな」 「ナキツ……? なんでテメエの口からアイツの名前が出てくる」 「会ったからだ。随分とお前のことを心配していたな」 「会った、だけじゃねえだろ……。返答によっては先にテメエを潰すぞ」 ヒズルの唇から紡がれるべきではない名前に、一気に険悪な空気を携えながら低く声を漏らすも、相変わらず黒髪の青年からは内面が窺えないでいる。 考えている様子でもなく、けれども暫しの時を唇を閉ざし、じっと此方を食い入るように見つめている。

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