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邂逅

箱庭の片隅で向かい合い、首筋へと漆黒の炎を揺らめかせている青年を見つめ、漸を追わなければと思いながらもその場にとどまり続けている。 薄暗闇に包まれ、ヴェルフェの人間である黒髪の青年は微動だにせず、未だ飽きもしないで此方をじっと見つめている。 端正な顔立ちに表情は無く、一体全体何を考えているのかはさっぱり分からないのだが、今のところ敵意は感じられないように思えて疑問符が浮かび上がる。 悪意が込められていないからといって、初めから容赦をしてやる気も無ければ、見逃してやるつもりも更々無いのだが、此方の思惑などどうでも良いとばかりに唇を開いては淡々と言葉を紡いでいく。 「少し遊んでやっただけだ。危害は加えていない」 「そんな言葉を信用するとでも思ってんのか」 「まあ、そうだな。そう言われても仕方がない。証明する術も無いからな。だが、感謝されこそすれ、お前に噛み付かれる覚えは無いな」 「ンだとテメエ……」 冷ややかとも思える双眸に見下ろされ、今にも掴みかからんばかりの勢いで睨み付け、含んだ物言いに隠されている意図を水面下で探ろうとする。 容易く信用してしまうわけにはいかないが、ヒズルの口振りからするとどうやらナキツは無事なようであり、素性を分かっていながらも何故か敵対者を見逃してやったらしい。 どうしてそんなことをするのか、そのような施しを与えてやる義理が、この男の一体何処にあるというのであろう。 ヴェルフェに属している時点で、後ろ暗い企みの元で動いているのであろうことを勘繰らずにはいられず、どのような言葉を掛けられてもヒズルを信用することなど出来やしない。 此方の心情を知ってか知らずか、はなからどうでも良いのか興味なさそうに眉一つ動かさず、長身の男は目前で佇んでいる。 「俺から離れていくまでは無事だったが、今はどうだろうな。運が良ければ、まだその辺で息をしているかもしれないが」 「テメエッ……!」 「そういきり立つな。あくまでも可能性の話だ。網の目を掻い潜って無事でいることも十分に考えられるだろう」 不安を煽るような事柄を紡いだかと思えば、安心しろとばかりに声を掛けられて訳が分からなくなり、ヒズルの言動にいちいち振り回されて疲労が重なる。 堪えきれずに胸ぐらへと掴みかかるも、平然と此方を見つめたまま淡々と話を続けられてしまい、やり場のない苛立ちに視線を泳がせて口ごもる。 こんなことをしている場合ではないと分かっているのに、なかなかヒズルの眼前から立ち去ることも出来ずに足を止め、冷静になれと懸命に言い聞かせてもすぐさま乱されてしまう。 「お前の強さが如何程(いかほど)か試すのも悪くはないが、今は事を荒立てるつもりはない」 曲者揃いの面々に辟易し、掴みかかったからには簡単にも離れられず、かといって何も出来ないまま身を固まらせていると、不意に掛けられた言葉と共に頬を撫でられる。 咄嗟に顔を上げると、自分から近付いたのだから当然ではあるのだが、間近でヒズルと視線が交わって少々驚いてしまう。 「それにしても……、お前の何が奴等を惹き付け、離さずにいるんだろうな」 「何の話だ……」 「俺には皆目見当もつかないが、お前に興味が湧いたことは事実だ。お前から目を逸らさずいれば、もっと面白いものが見られそうな気がする」 返答など求めていないのか、一人言のように呟きながら頬へと触れられており、ひやりとした感覚とは裏腹な優しい手付きで撫でられている。 言ってやりたいことは沢山あるのだが、到底埋められないであろう温度差に疲労感が増すばかりで、最早何をしても無駄なような気がしてしまう。 くすぐってえんだよと思いつつ、さてどうしたものかと次なる一手を考えていきながら、暫くは大人しくヒズルの好きにさせてやることにする。 「テメエ本当にナキツとは何もねえんだろうな」 「さっきも言っただろう。少なくとも俺からは、アイツに手荒な真似はしていない」 「ンだよ、おい……。いちいち含んだ言い方すんじゃねえ。はっきり言いやがれ」 「先に仕掛けてきたのはアイツのほうだ。戦意を失わせる程度には遊んでやったが、大したことはない」 「テメエやっぱり……」 「ナキツが無事でいるなら、お前に連絡くらい入れていそうなものだが。何も無いのか」 やはりナキツと一戦を交えた上で手傷を負わせていると感じ取り、再び殺気立ってヒズルへと鋭い視線を投げ掛けるも、全く動じずに挙げ句知ったふうな口を聞いてくる。 テメエにナキツの何が分かんだよとは思うも、言われてみれば確かに連絡の一つや二つ入れてきそうなものであり、そういえばもう随分と前から携帯電話を放っていたことに気が付く。 ヒズルの言葉を切欠に行動するのは釈然としないが、思い出したかのようにゴソゴソと携帯電話を取り出して見ると、指先を触れさせると同時にパッと画面に光が灯される。 すでに何件か着信が入っており、一気にばつの悪い表情になりながらも履歴を辿って見ると、ナキツの他に有仁からも電話が掛かってきていた事実を今更になって知る。 現在の時刻と照らし合わせてみると、つい先ほどにもナキツから連絡が入っていたようであり、どうやら危惧する事態には今のところ陥っていないらしい。 不服ながらもヒズルが言っていた通り、深刻に捉えるほどの手合いにはならなかったようであり、ひとまず無事であろうことを確認出来てホッとするも、これは間違いなく余計な心配を掛けさせていると感じて眉間に皺を刻み込む。

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