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邂逅

「少し歩こうか」 言ってやりたいこと、聞きたいことが山ほどあるはずなのに言葉にならなくて、暫くは漸と視線を合わせたまま立ち尽くし、やがて返答をすることなく傍らへと歩を進めていく。 月は咎めもせずに見守り、風は後押しするように過ぎ行き、地表は何処までも続いている。 どちらからともなく歩調を合わせ、徐々に喧騒を遠くに聞きながら歩き続け、言葉を交わさぬ時間ばかりが刻々と刻まれていく。 何やってんだ……、俺は……。 胸中で呟くも現状は変わらず、なんとはなしに隣へと視線を向けてみると、当然のことながら漸の横顔が映り込む。 「ん……、どうかした? 何か気になる……?」 行き交う自動車や、夜の街並みを背景に漸が顔を向け、微笑を絶やさず言葉を掛けてくる。 あまりにも印象が異なり過ぎていて、頭ではとうに分かっているはずなのに一歩が踏み出せず、穏やかな双眸に抱き込まれて流されそうになる。 現実味を帯びず、それでも彼には似合いの銀髪を揺らし、言葉を返せないでいる此方を静かに見つめている。 俺はもう……、分かっているはずだ……。 わざわざ名前を出さなくても、本人の口から言わせようとしなくても、今更何を確かめる必要もない。 全て分かっていて、俺は此処にいるんだろう。 それなのに、二人きりになった途端に言うべき事柄が霧散していき、何から伝えるべきなのかすら分からなくなっている。 「さっきからずっと、何か言いたそうな顔をしてるのに、なんにも言わないんだね。君は……」 頬に触れられて驚き、咄嗟に顔を背けてコイツの距離感はなんなんだと戸惑うも、漸は心中を見透かすように言葉を並べては微笑んでいる。 早く切り出せよとでも言わんばかりに、状況を楽しみながら煽っているかのようにも思えてくる。 「鳴瀬の件は、その後どう……?」 何処へ向かおうとしているのかは不明で、元より初めから行く当てなど無いのかもしれないが、肩を並べて足を止めずに先ほどから歩き続けている。 そんな時に、進行方向へと視線を戻した漸から紡がれた言葉に、一瞬息が詰まりそうになる。 分かっているくせに、まだ茶番を続ける気でいるのかと眉根を寄せるも、出方を窺うように言葉を選んで問い掛けに答えていく。 「……ああ。誰がアイツをあんな目に遭わせたのか、お陰でよく分かった」 「そう……。それは良かった。沢山ヒント、あげたもんね……?」 不穏な台詞に顔を向ければ、漸は視線だけを寄越して笑みを浮かべており、やがて向かう足はトンネルへといざなわれていく。 人気は無く、先で明滅を繰り返している電灯があり、道幅は然程広くなく辺りは薄暗い。 含んだ物言いに足を止め、互いを繋いでいた橋がガラガラと音を立てて崩れていくような感覚に陥り、様々な感情が渦を巻いて何を言ったらいいのか分からなくなる。 そのような心境を知ってか知らずか、足を止めていることを察しているだろうに歩を進めており、漸の後ろ姿がゆっくりと空洞へ呑み込まれていく。 もう戻れないのだ、そもそもこの男には最初から、胸の内を覗かせる気持ちすらありはしなかった。 「どうしたの……? そんなところで立ち止まって……」 やがて、いつまでも立ち尽くしていることに気付いたのか足を止め、背を向けたままゆったりと声を掛けてくる。 その気になればすぐにでも手が届くところに居るのに、今ではどうしようもなく離れているように感じられる。 壁に反響し、尚のことよく通る声に鼓膜をくすぐられ、何も語らずにじっと背中を見据え続けていると、不意に漸が此方へと振り返り微笑を湛えている。 「そんなに、俺が怖い……? 真宮」 そうして紡がれた言葉にハッとし、目を見開く。 変わらぬ笑みを湛えてはいるけれど、つい先程までと明らかに違うのは、瞳だけは全く笑っていないということ。 短い間ではあったが、よく知っていたはずの人物は過ぎ行く風と共になりを潜めていき、代わりに猛悪(もうあく)さを身に(まと)った悪しき青年だけを置いていく。 これまで顔を合わせてきたのは一体誰であったのかと思うくらいに、目前では酷薄な笑みを浮かべて佇んでいる美しき青年が居り、唐突な変貌に思考が未だ追い付かないでいる。 「テメエ……、それが本性か」 暗く、深い闇を湛えるように、うっすらと唇に笑みを浮かべている青年が、じっと此方を見つめていて離そうとしない。 息苦しさを覚え、絞り出すように心中を吐き捨てれば、漸は満足そうに眉尻を下げて無慈悲な笑みを一層深めていく。 「名演技だったろ……? 儚すぎて抱きたくなっちゃった?」 これまでの葛藤が一気に馬鹿らしく思え、結び付けられないでいた二つの存在がいとも容易く繋がれていき、あまりにも異なる印象に背筋がぞくりと薄ら寒さを訴えている。 「テメエなんか死んでもゴメンだ……」 「残念……。もっと遊びたかったのに」 視線を逸らさぬまま相対し、漸は愉快そうに唇を舐め上げて微笑み、現在の状況を大いに楽しんでいる様子が窺える。

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