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邂逅

「いって……。人の髪引っ張るなんて最低」 「痩せ我慢すんじゃねえよ。痛ェのはそっちじゃねえだろ」 「お前こそ……、おでこ痛そうだね」 「うるせえよ。顔面ばっか狙いやがって」 じんわりと首にもたらされた疼きを追いやり、一瞬の油断が命取りとなる相手を睨み付け、目の前のことに集中するべく呼吸を整える。 対照的に漸はにこりと微笑み、黙っていれば品の良い美貌の青年だというのに、見た目の印象とは裏腹に顔面を狙うエグい攻撃ばかり仕掛けてくる。 これでもかという程に性格の悪さが伝わっており、それでも一気に群れの頂点へと躍り出られるだけの強さを持っていることは、悔しいがそろそろ認めなければならない。 やったことは決して許されない、だが、頂の座を懸けて戦う現実はきっと何処にでもある。 一対一で、正々堂々と争われた結果であるならば、鳴瀬がアタマを退いてもここまで相手を追い掛けるような真似はしなかった。 例え療養を余儀無くされるような事態に陥っていたとしても、状態を見れば一人だけを相手にしていたのかどうかくらいすぐに分かる。 鳴瀬と拳を交えたことはないけれど、もしかしたら真っ向からやり合っていたとしても、彼は漸に勝てなかったかもしれない。 それだけに奴は、銀髪を風に揺らして微笑んでいる青年は強く、何処か見る者を惹き付けるような抗い難い魔力を帯びている。 だがこの男は……、コイツだけじゃない、このチームの奴等は……、こぞって鳴瀬を痛め付けてゴミのように捨てやがった……。 お前らに情はねえのか……、今まで一緒に居た時間はなんだったんだ……、何の為に鳴瀬の元で過ごしてきた……。 アイツは……、仲間だと思ってた……、文句並べながらもあんな奴等を信じて笑っていた……。 「漸」 「ん……?」 「お前があの時並べた台詞は全部嘘か」 「さあ……。嘘だったら、真宮ちゃん悲しい?」 「いや……、心置き無くテメエを叩き潰せて寧ろ嬉しいぜ」 警戒を深めながらも淡々と会話し、これ以上この男の好きにさせてなるものかと決意を新たに、そろそろ次の手を打とうとする。 「なんかさァ、俺だけが悪いみたいな言い方してるけど。俺はなァ……、真宮。アイツらの背中を押してやっただけだぜ」 先手を奪おうと画策していれば、これまでずっと笑顔で対峙していた漸から一瞬表情が消え、面白くなさそうに言葉を紡がれる。 「誰も彼も退屈そうにしてやがるから、その背中をそっと……、俺は押してやっただけ」 「結局事の発端は全部テメエじゃねえか」 「そんなもん、乗っかってくるほうがワリィんだよ。そもそもそれだけ、アイツ信用なかったってことだろ? ダメだよなァ……、飼い犬の気持ちも分かってあげられないなんて、排除されても文句言えねえよ」 「……テメエとこれ以上話しても無駄だな。鳴瀬のいねえヴェルフェなんて、生き永らえても仕方ねえ。一思いに潰してやるよ」 「ただの平和ボケした子たちの集まりかと思えば、そういうことも言えるんだ……。いいね、お前……」 笑んでいるようで、実際には何を考えているかなど分からない表情だというのに、そのくせ何処と無く優しげな声で言葉を掛けてくる。 「真っ直ぐで、けがれたことなんてなんにも知らないって顔して、他人の為に損得関係なしに手を差し伸べる。お前って本当……、絵に描いたようないい奴」 コツ、と踵を鳴らし、近付いてくる男を前に身構え、発された台詞の意図が分からずに困惑する。 何を思って紡がれた言葉なのか不明であり、思わず首を傾げてしまいそうなくらいに難解であった。 「そんなお前ですら知らない一面を……、俺にだけ見せてくれない……?」 「いきなり何ワケ分かんねえこと言ってんだ……」 「そんなことねえよ。その綺麗な心も身体も、グチャグチャにしてやりたいって言ってんの」 「ますます意味が分からねえな……」 「すぐに分かるよ。だからそろそろ……、終わりにしようか」 言い終わるや否や駆け出し、今にも攻撃を仕掛けようとしている姿が映り込み、じっとただ待っているだけなんて出来ない身体はすぐにも地を蹴り、笑みが消え失せた漸に拳を繰り出していく。 腕に手を添えて軌道を逸らされ、反撃とばかりに突き出された肘を両腕で阻み、蹴りを仕掛ければすぐさま足を上げて止められ、互いに一歩も譲らず見えない火花が散らされる。 衣が擦れ、両者の身体がぶつかり合い、漏らされる息遣いにより一帯は支配されており、あれからどれだけの時が流れているかもわからないままただ夢中に手合わせを続けていく。 一瞬の気の緩みが勝敗を決する最中、右ストレートをかわした漸へと詰め寄って上げられた左膝が腹部に入り、銀髪の青年から小さくうめき声が漏れる。 この機を逃す手はないと間髪入れず攻めに徹し、次いで繰り出した拳を漸の顔面に叩き込んでやろうとするも、その腕を掴まれて勢い良く引っ張り込まれる。 上体が傾いてよろめき、腕を離した手が一点に狙いを定めて伸ばされていると察した時には全てが遅く、阻む間もなく首を掴まれてたまらず眉根を寄せる。 一瞬で気が緩み、それを見逃すはずもない漸は酷薄な笑みを湛えながらすぐにも手を離し、自らの上着に手を掛ける。 「くっ……! テメッ」 阻止しようにも後一歩間に合わず、視界を奪われて景色が漆黒に染め上げられ、まずい……! と背筋を冷たいものが流れていく感覚の中で覆い被せられた漸の上着を引き剥がそうと引っ掴む。 舌を見せて笑う漸は残忍な獣のようで、隙を見逃してくれるはずもなく壁へと軽やかに飛ぶと、片足で蹴って更に高く宙を舞い、ようやく視界が広がりかけたところにとどめの一撃が頭部に叩き込まれる。 「うっ……!」 思いもよらぬところからの膝蹴りに、なんの態勢も整えられぬままもろに喰らっては為す術も無く、ひらりと着地した漸に視線を向けながらぐらりと身体が傾いていく。 「くっ……、うっ、テ、メェッ……」 冷たい地面に横たわり、弱々しく息を漏らしながら睨み付けるも、視界がぼんやりとしていて漸の姿がよく見えない。 意識が混濁し、立ち上がろうとしても身体に力が入らず、険しい顔つきで痛みに喘いでいることしか出来ないでいる。 ここで寝ている場合ではないと分かっているのに、近付いてくる気配に気付いていながら何もすることが出来ず、ズルズルと意識が闇の底へと引き摺り込まれていく。 「はぁっ……、うっ、く……」 抗い難い眠りへの抵抗空しく、やがて目蓋を下ろして完全に堕ち、意識を手放した一帯には暫しの時を静寂が包み込む。 その様を見下ろしながらゆったりと漸が近付き、落ちていた上着を拾い上げて無造作に肩へ掛けながらしゃがみ込み、すぐ側で意識を失っている顔を見つめている。 スッと手を伸ばし、髪を撫でながら頬へと触れ、先程までとは印象の異なる寝顔を眺めながら、次にはふっと微笑みを浮かべて唇を開く。 「捕まえた」 柔らかな表情でそう告げて、感触を確かめるように暫くは指を滑らせて遊ぶ。 その手付きは驚くほど、優しいものであった。

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