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ささやかなる歪み

その日、報せを受けてから居ても立ってもいられず、目的の場所へと向かい突き進んでいた。 逸る気持ちを抑えようとしても、結局のところその事ばかりを考えてしまい、なかなか他へと意識を向けられないままでいる。 半ば乗り捨てるように単車を置き、周囲を気に掛けている余裕など微塵も無く駆け出していき、険しい表情に驚いて道を開けられても視界にすら入らない。 そこに誰が居ようと、どのような会話がなされていようともどうだって良く、ただ一点のみに全神経を集中させている為にそもそも気が回らない。 早く、早くという想いに次へと背中を押されながら、これまでのどんな時よりも足音荒く、余裕も無く、眉間に一層皺を寄せて走り続け、周囲に対する配慮など一切無いままに先を急いでいく。 出会い頭でぶつかりそうになっても謝罪すら紡げず、元より視界になど入っていない様子で前だけを見つめており、やがて目的の場所が刻一刻と迫ってくる。 そうして次第に歩調が緩やかになり、つい先程まで駆けていたのが嘘のように静まっていき、同時に鼓動がドクドクとうるさく騒ぎ始める。 少しずつ息を整え、通い慣れた道のりを歩きながら心を落ち着かせようとしても、貧血にでも陥っているかの如く急激に頭がくらくらしてくる。 気ばかりが焦り、一分一秒でも早くそこへ辿り着きたいと思っているのに、実際に近付いてくると足取りが急に重くなってしまい、それと共に言い様のない不安感が込み上げてくる。 自分はそこに行ってもいいのかという迷いが何処からともなく溢れていき、問いに答えてくれるような者は誰もいない。 そうして深い情念に足を取られながらやがて、見慣れた名前が記されている一室の前で息を詰まらせ、ぴたりと足を止める。 耳を澄まさずとも、中からは賑やかな声が漏れ聞こえており、戸を一枚隔てた向こうで見知った人物達が言葉を交わしている姿が思い浮かぶ。 あれから一度も会っていない仲間達が、今まさにそこで楽しげに会話をしながら過ごしている。 一部の者とは連絡を取り合ってはいたが、会うことだけは頑なに拒んだまま今に至り、暖かであるはずの一室を前にして身を固まらせている。 彼等は何も知らない、自分に降りかかった出来事など露程も知らない、知るはずがない、だから今までと何ら変わらぬ態度でその戸を開けてしまえばいい。 そうすればいつもと変わらぬ日常が迎えてくれると分かっているはずなのに、刻み込まれた後ろめたさに阻まれてなかなか思うように行動を起こせず、戸の前で立ち尽くしながら暫しの時を過ごしてしまう。 「真宮さん……?」 引き戸に手を掛けて硬直し、思い詰めた表情で長らく佇んでいると、不意に何処からともなく声を掛けられて驚いてしまい、すぐさま聞こえてきた方向へと視線を向ける。 すると其処には、品の良い綺麗な顔立ちをした青年が立っており、僅かに驚きの表情を浮かべながらも喜びを滲ませている。 「ナキツ……」 か細く名を紡ぐも、どんな顔をして相対すれば良いものかが分からず、予期せぬ出来事に遭遇して続けるべき台詞も見当たらない。 「どうしたんですか? みんな待ってますよ」 今までと何も変わらず、ふわりと柔らかな笑みを浮かべているナキツが目の前に居り、真っ直ぐに向けられている視線はこれ以上ない程に自分を受け入れてくれている。 何も変わらない日常が、決して手離したくはない日々が、まだ此処で確かに息づいている。 「……ナキツ」 もう一度、確かめるように青年の名前を紡ぐと、彼は視線を逸らさずに柔和な表情を浮かべている。 静かに継がれるであろう台詞を待ちながら、急かすような真似もせずにじっと佇んでおり、黙り込んでしまっても辛抱強く付き合ってくれている。 言わなければならないことが、沢山ある。 その後連絡を取り合ってはいたけれど、何かと理由を付けては直に会うことから逃れており、散々なまでに心配を掛けさせておいて勝手な行動ばかりを繰り返している。 それでも彼は、責めるような素振りすら見せずにいつもと変わらぬ態度で接してくれており、その優しさにちくりと胸が痛んだ。 会わせる顔なんてないのに、目前で笑みを湛えている青年は未だに自分を受け入れてくれており、何処か嬉しそうにも見える様子で再会の時を過ごしている。 「……悪い。迷惑掛けちまって」 視線を合わせていられず、ナキツへと言葉を掛けながらそっぽを向き、精一杯の想いを述べてから身を固まらせる。 「迷惑なんて、何も掛けられていませんよ」 一度視線を逸らしてしまうと、なかなか顔を見ることが出来なくていたたまれず、相変わらず賑やかな仲間達の声を遠くに聞きながら足下を見つめる。 そこへふわりと落ちてきた言葉に顔を上げ、遠慮がちに視線を向けて見ると変わらぬ笑みを湛えているナキツと目が合い、再会の時を心から喜んでくれているように感じてしまう。 「貴方が無事ならそれでいい。今日は会えて嬉しいです……、真宮さん」 「……なに恥ずかしいこと言ってんだ」 問い質したいことが山程あるだろうに、無理に聞き出そうとはせずに笑みを浮かべ、当たり前のように目の前で惜しみ無い優しさを注いでくれている。 胸が痛むと同時に、救われる。 だが甘えてはいけないと言い聞かせ、照れ臭い台詞を紡がれてまたしても視線を逸らし、会話が途切れて一時の静寂が訪れる。 引き戸に手を添えたまでは良いものの、なかなか開けることは叶わずに突っ立って、和やかな一室から漏れてくる談笑を耳にする。

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