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ささやかなる歪み

「真宮さん」 すっかり振り出しに戻ってしまい、先へと進めずに半ば途方に暮れながら立ち尽くしていると、名を紡がれて気付いた頃には手を重ねられている。 僅かに戸惑うも、いつまでも戸を開けられないでいる此方へと手を貸そうとしているのだと察し、情けなくなると共に助かったと安堵してしまう。 「大丈夫……。俺がいますよ」 視線を向けると、間近で柔らかな笑みを浮かべているナキツが居り、茶褐色の髪がさらりと揺れる。 身長はナキツのほうが僅かに低いものの、背丈は然程変わらずすらりとした体躯をしており、常に穏やかな表情を浮かべている印象が強い。 俺はその優しさに、甘え過ぎている気がする。 無条件で手を差し伸べてくれることに安心して、今もこうして包み込むような温もりを与えられて安らぎ、当たり前に傍らで時を同じくしてくれている現実に幸せを感じている。 戸に添えられた指を見て、触れ合っていた手をゆっくり離していくと、それを合図に行く手を阻んでいた壁が緩やかにスライドしていく。 引き戸が開いていくと共に、楽しげな笑い声がよりはっきりと耳に滑り込んできて、大勢で押し掛けているのだろう光景が窺える。 一瞥してからゆったりと先を歩いていくナキツを見て、和やかな雰囲気に充たされているあるべき居場所を前にして、まとわりつくような影が此の身に降りかかっていくのを感じる。 もう、あの頃までとは違う。 自分が何をしたか分かっているのかと、何者かが頭の中で嘲りながら囁き掛けてくる。 アイツとの事を知ったら……、お前は……、此処にいる奴等はきっと、俺から背を……。 「オッス、ナキっちゃん! ん……? あ~っ! 真宮さんじゃないすか~!!」 歪んでいく世界に足下を掬われそうになっていると、打ち破るかのような元気の良い声が室内へと響き渡り、すぐにも有仁の姿が視界に飛び込んでくる。 何やらお菓子でも食べているのか、もぐもぐと忙しなく口を動かしながらナキツに声を掛けたかと思えば、次いで未だに出入口で立ち尽くしている様に気が付いてパァッと嬉しそうに顔を綻ばせる。 「何そんなところで突っ立ってんすか、もう! でくのぼうさんめ~! 早く早く! 鳴瀬さんが待ってるッスよ!!」 居ても立ってもいられないとばかりに有仁が駆け出し、腕を掴んできたかと思えばぐいと引っ張られ、間仕切りの向こうへ連れて行こうとする。 誰もがにこやかな笑みを湛え、行く末を穏やかに見守っており、資格などとうに失われているのに彼等は此処にいることを許してくれている。 それは、何も知らないからに他ならないのだけれど、半ば引き摺られるように室内へと足を踏み入れ、雑念を払いながらも鼓動はいつまでも騒がしく打ち鳴らされている。 それはずっと望んでいたはずの再会で、もう随分と長い間願っていたように思うのだけれど、いざ目を覚ましたと報せを受けると嬉しいのは当然なのだが妙にそわそわと落ち着かず、緊張にも似た照れ臭さに襲われている。 それと同時に、あんなにも惨めで情けない失態を犯してしまったというのに、どのツラ下げて鳴瀬の元へ行けるのだろうかという罪の意識に苛まれ、今もなお胸を締め付けている。 「真宮……」 悪態もつけず、珍しくされるがままとなって有仁に身を委ね、見慣れたベッドが視界に入ってきたのを機に、もう長い間聞いていなかったような気がする声が滑り込み、ハッとした表情で咄嗟に視線を向けてしまう。 訪れる度に身を横たわらせ、物言わず眠りの世界をさ迷っていた姿が思い出され、何度言葉を掛けても返事は得られなかった。 それが今では、視線の先では、鳴瀬が身を起こしてじっと此方を見つめながら名を紡いでくれており、まだ包帯は取れていないけれど笑みを浮かべているのだろうことが分かる。 「鳴瀬……」 鳴瀬との再会を果たし、足を止めたのを切欠に有仁が離れていき、ナキツと視線を通わせながら笑みを浮かべている。 どんな顔をしていいのか分からず、確かめるようにそっと小さく呼び掛けてみると、鳴瀬が「おう」とすぐにも答えて笑ってくれている。 ずっと聞きたくても聞けなかった声が、見られなかった笑顔が、交わせなかった言葉が今では全て此処に存在しており、自分へと向けられている。 「鳴瀬……!」 一気に込み上げてくる想いに後押しされるように踏み出して、衝動のままに鳴瀬を力一杯に抱き締める。 言葉にならない気持ちで溢れ、不覚にも涙が出そうになったこともあって隠すように、チームの面々が居ることも構わずに恥ずかしげもなく鳴瀬へと抱き付いていた。 応えるようにポンポンと背中を叩かれ、この時をどれほど待ち望んでいたことだろうと感極まり、他に何も言えずにきつく抱き締めて名を紡ぎ続ける。 「ま、真宮……、ちょ、力強ェぞ……? い、いててててっ!」 「あっ……、ワリィ」 目を覚ましたとは言え、相手は未だ大怪我を負っている身であることを忘れ、それはもうきつくきつく骨を砕きそうな勢いで抱き締めていた。 すると、初めこそ久方ぶりの再会とあって嬉しそうにしていた鳴瀬の顔も、時の経過と共に段々と余裕のない表情へと変わっていき、とうとう辛抱たまらんとばかりに痛みに悲鳴を上げていた。 苦悶の声を聞いて慌てて身を離せば、室内は笑い声で満たされて皆一様に笑顔を浮かべており、鳴瀬も痛みに若干涙目になりながらもくっくと声を上げて笑っている。 そんな様子を見て、自然と心を癒されて笑顔になっていく。 じんわりと胸が熱くなって、なんだかまた涙が浮かんでしまいそうになるのをぐっと堪えながら、側に置いてあった丸椅子へと腰掛けて心から笑い合う。 「心配させやがって……」

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