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ささやかなる歪み
「ハハッ! ありがとな、有仁。そう何度もこんなことあったらたまんねえけど、頼りにしてるぜチビッ子!」
「アァァーッ! 鳴瀬さんまでそういうこと言うんすかひどいッス! もう絶対助けてやんない!」
「え、俺なんか悪いこと言ったか?」
「いいや、な~んにもワリィことなんか言ってねえぜ? なあ、有仁。お前が小せえのは事実だもんな~?」
「うわあああ真宮さんのバカアァァッ!! いじわる~! しぶとさゴキブリ並~ッ!!」
「ンだとコラァッ。お前ちょっとこっち来い」
「絶対イヤっす~!! 俺まだやり残したことがいっぱいあるんす~!! 死にたくない死にたくな~い! 筋肉バカの真宮さんに触れられただけで死んじゃう~!!」
と言われたところでゆらりと立ち上がり、有仁がヒッ!と声を上げながら後ずさると、突如として追いかけっこが始まり子供のように駆け回る。
有仁は色んな人を盾に逃げ回るも、最終的には仲間内の一人に確保されて供物と化して捧げられ、ゴキゴキと拳を鳴らして近付いてくる存在に気が付いて悲鳴を上げる。
「わははははっ! も、もう勘弁して~! くすぐったいッス、ははは!」
ボッコボコにするのかと思いきや、笑い死にしそうなくらいのくすぐり地獄をお見舞いしてやり、近くにいた者達も参戦して有仁はひいひい笑いながら目に涙を浮かべている。
ナキツはやれやれといった様子で眺めながらも、和気藹々とした光景を嬉しそうに見つめており、本当に幸せでかけがえのない時が穏やかに刻まれている。
心から信頼し、背中を預け合える仲間達と、こうして他愛ない戯れでも全力で勤しんで楽しみ、誰もがみな声を上げて笑っている。
こんなにも癒され、柔らかく包み込んでくれる世界が崩れ落ちてしまったら、どう生きていけばいいのか分からなくなる。
一歩を踏み出すことすらままならず、何もかも見えない暗闇にいつか閉ざされてしまうのではないかという漠然とした不安に苛まれる。
「ナキツこのやろーッ! 笑ってないで助けろよ~!」
「もう少しそうしてろよ。お前は少し反省したほうがいい」
「な、なにを~! ギャーッ! もう、やめてー! うははははっ!!」
意地悪な言葉と共ににこりと微笑むナキツに、くすぐるどころか髪をわしゃわしゃと撫でられながら最早全力で可愛がられているだけの有仁は、ナキツのくせに生意気だ~! と捨て台詞なのかもよく分からない言葉を最後に、ディアルのマスコット的存在は本日も場の空気を暖かくしてくれている。
有仁弄りの前線から離脱し、声を上げて笑いながら暫くは様子を見守り、居合わせている面々の表情を確かめるように見ていく。
穏やかな陽射しを受け、賑やかで尊い場に足をとどめている者達は、鳴瀬も含めて全員が楽しそうに笑みを浮かべて一連の言動を見守っている。
そこに嘘はない、無理もしていない、みな心の底から楽しくて幸せそうに笑みを溢し、自ら進んで時を同じくしている。
ずっと、これから先もずっと、この光景を守っていきたい。
傷付いても構わない、今後どれだけの苦痛を強いられようとも、苦悩の渦に叩き込まれようとも、この手で守りたいものが、決して手離したくはないものがある。
同時にヴェルフェを、あの男を野放しにすることは出来ない。
放っておけば更なる災厄を生み出しかねず、大切な彼等を巻き込んでいくことは目に見えており、いつまた鳴瀬に火の粉が降り掛かるとも限らない。
眼前にて広がるささやかだけれども大切な光景を目に焼き付け、少しだけ席を外そうとそっと身を引いて、有仁達に意識が注がれているうちに室内を後にしていく。
何処へ向かおうかと視線をさ迷わせ、とりあえず当てもなく歩いてみようかと一歩を踏み出し、盛り上がっている一室から徐々に離れていく。
離れれば離れるほどに静けさが増していき、心中では考えたくもないことが少しずつ頭をもたげていき、この場に居ない者に支配されているようで我慢ならない。
もっと抗えたはず、勝てない一戦ではなかった。
確かに奴は、漸という男は予測出来ない言動をするも、それでも勝機は十分にあったのだと思える。
俺は何をやっていた……、と苛んでも後の祭で、刻み込まれた事実が変わることなど未来永劫無い。
悪夢としか思えない一夜を過ごし、終いには溺れて醜態を晒した苦い記憶を追いやりながら、消えぬ両の戒めがずきりと責めるように痛みを溢れさせる。
誰にも悟られてはならないと、一方の腕には長袖の下でリストバンドを装着しており、もう一方は手のひらにかけて包帯を巻いてごまかしている。
喧嘩をしてからまだ日も浅く、チームの面々もところどころに傷を蓄えては絆創膏を貼っていたり、包帯を巻いていたりしていたので、今ならばまだ大して目立つこともなく手合わせを理由に巻き付けているのだと言い訳が出来る。
聞かれた時に備えて準備をしてしまっていることが情けなくて、苦笑いが込み上げてくる。
喧嘩での負傷ならどれだけいいだろう。
もちろんそれによってもたらされた傷もあり、漸の指輪に付けられた裂傷もまだ癒えず鎮座している。
けれども一番に隠したい両の腕の痕は、そんなことで植え付けられたものではない。
見る度に思い出してしまう、何度拒んでも、やめろと言っても聞かずに求められ、果ては堕落していった見たくもない出来事がいつまでも居着いてボソボソと耳元で責め立ててくる。
お前は違う、アイツらとは違う、笑い合っていいわけがない、そこにいていいわけがない、アイツらはお前を拒絶する、全てを知ったらお前を蔑視して背を向けるとうるさく囁かれ、黙れと力任せに壁を叩いて立ち止まる。
そうして視線の先に、外階段へと通じる扉を見つけて吸い込まれるようにまた一歩を踏み出し、ふらつく足取りで近付いていく。
気が付けば人気はなく、考え事に苛まれながら何処まで来てしまったのだろうと思いながらも、今は少し一人になりたくて息を吐き、キィと音を上げてゆっくりと扉が開かれていく。
光が射し込み、清々しい外の空気が流れ込んで身を過ぎ行き、導かれるままに屋外へと出て暫しの時をぼうっと佇みながら過ごす。
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