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ささやかなる歪み
「行きましょうか」
それから暫しの間を経て、するりと頬からナキツの手が離れていき、にこりと微笑みながら穏やかに声を掛けられる。
「ああ……、そうだな」
釣られて笑い、くるりと身体の向きを変えて扉と対面し、改めて取っ手へと触れながらゆっくりと押し開けていく。
涼やかな風が名残惜しそうに此の身を撫でていき、変わらぬ景色は去り行く背中を見送り、暖かな陽光に別れを告げて再び院内へと戻っていく。
「あー……と、アレ? どっちから来たんだっけ」
扉を閉め、ナキツと肩を並べて通路へと出てきたものの、いざ歩き出そうとしたところで踏み止まる。
右にも左にも当たり前のように廊下が続いており、そういえば自分はどちらからやって来たのだろうかと今更ながらに分からなくなってしまい、あっちを見てはそっちを見て悩める言葉をつい漏らしてしまう。
「こっちですよ、真宮さん」
明らかに考え事をしながらふらふらと歩いていたせいであり、それにしたってココ何処だよと思いつつキョロキョロしていると、傍らにて一部始終を眺めていたナキツがふっと柔らかに微笑む。
そうして紡がれた言葉の後に一歩を踏み出し、きちんと道順が分かっているのであろうナキツは少しだけ先を歩くと、立ち止まって追い付いてくるのを待つかのように視線を投げ掛けてくる。
「お前がいて助かった……」
少し照れ臭そうに笑み、待ってくれているナキツの隣へとすぐにも辿り着き、鳴瀬の病室を目指してどちらからともなく歩き出す。
「道に迷う真宮さんなんて新鮮ですね。有仁がいたら何て言うかな」
「おい……、アイツにだけは絶対に言うなよ」
「どうしてですか?」
「決まってんだろ……。どうせダッセェっつって大笑いするに決まってんだよ、あの野郎……」
「真宮さんのことが大好きで、構ってもらいたいんですよ」
「そっ……、そう言われると……、なんも言えねえけど……。別に本気で嫌だっつってるわけじゃねえからな……」
「はい。照れてるだけですもんね」
「うっ。お、お前なァッ……!」
頬を赤らめてベシッ! と背中を叩けば、ナキツはすみませんと言いながらも顔が笑っており、明らかに反省はしていない様子である。
くっそ腹立つなとは思うも、これ以上赤らんだ顔を見られたくないのでそっぽを向き、熱が引いていってくれるのを待ちながら歩みを進める。
日中と言えども、やはり外に比べれば電灯に照らされていようとも何処と無く薄暗く、薬品の匂いと共に独特の雰囲気を漂わせている。
静かで人気が無く、清掃が行き届いている通路を歩いていき、少しずつ鳴瀬の病室へと近付いているのだろうとは思うのだが、まだ見慣れた景色には巡り会えないでいる。
「お前よく俺があそこに居るって分かったな」
悶々と考え事をしながら歩いていたとは言え、自分は一体何処に迷い込んでしまっていたのだろうかと思い、そのような中で捜し当ててくれたナキツへと視線を送る。
「真宮さんが行きそうなところなんて、お見通しですよ」
すぐにもフッと穏やかな笑みが映り込み、然して苦労も無くあの場所に辿り着いたのであろうことが窺える。
「俺そんなに分かりやすいか……」
「はい」
「自信満々に答えるんじゃねえよ……」
「そういう分かりやすいところも、真宮さんの魅力の一つですよ」
「ちょっと今バカにしただろ」
「してません、してません。そんな真宮さんも可愛いです、というお話です」
「ハァッ!? テ、テメッ……、やっぱバカにしてんだろっ……」
せっかく落ち着いてきたというのに、またしても顔が急激に熱くなってしまい、ナキツから視線を逸らしてぼそぼそと文句を連ねる。
傍らでは全く堪えていない様子のナキツがにこにこと笑んでおり、振り回されてばかりだと内心がっくりと肩を落とした状態で歩んでいく。
「お、戻ってきた。此処からなら分かる」
「はい。もう少しです」
自分では思っていないが、割と周りから分かりやすいと言われることがままあるような気がして、若干納得がいかない。
けれどもナキツにまで言われてしまうと、やっぱり俺ってそんなに分かりやすいのかとぐらついてしまい、なんでだろうなあと答えを導けない考え事に頭を悩ませてしまう。
そうこうしているうちに、視界には見慣れた光景が広がっていき、此処からなら鳴瀬の病室まで迷わず行けると確信する。
病室が立ち並び、先程に比べれば人の往来も格段に増え、時おり擦れ違いながら面子が過ごしているであろう場所を目指していく。
「ん? アレ。アイツら……」
「ぞろぞろ出てきましたね」
やがて視線の先に、開かれた戸から見知った人物達がぞろぞろと姿を現しており、帰ろうとしているところだろうかと思う。
「あっ~! いたいた! もう、何処行ってたんすかァッ!」
有仁も姿を見せ、ちらりと視線を向けた先に歩いてくる二人を見つけると、すぐさま声を掛けながら駆け込んでくる。
「悪い悪い。もう帰るのか?」
「そッスね~! あんま騒がしくしても悪いし!」
「そうか。有仁にしては気ィ遣ったじゃねえか」
「俺はいつでも気配り上手な思いやりのある子ッスよ~! 真宮さん!」
「ハハッ、そうだな」
ついつい帽子の上から頭を撫でてしまうと、有仁は嬉しそうにニコッと笑いながら見上げてくる。
チームの面々から穏やかな視線を向けられつつ、やがて去っていく後ろ姿を見つめて、病室には今鳴瀬しかいないことを察する。
目覚めたばかりであまり長い間居座るのも悪いとは思うのだが、少しだけでいい、鳴瀬と二人だけで話がしたいと思った。
「先に行っててくれ。鳴瀬んとこ寄ってく」
ナキツと有仁にそう告げて、笑みを浮かべて快く承諾されたことを機に、そのまま歩いていく二人と別れて立ち止まる。
先程までとは打って変わり、しんとした静けさが戸を一枚隔てた向こうから漂い、入室することに僅かながら躊躇いが生じる。
そっと引き手へと触れ、一呼吸置いてからゆっくりと開いていき、穏やかな静寂に充たされている室内が少しずつ姿を現していく。
間仕切りの向こうに居るであろう人物を目指し、なるべく音を立てないように戸を閉めると、鳴瀬の姿を求めて歩き出す。
「おう、真宮」
程無くして辿り着いた其処では、鳴瀬が身体を起こした状態のままベッドに座っており、分かっていたとばかりに視線を向けて柔らかに微笑んでいる。
「よ。うちの連中が騒がしくて悪かったな」
「賑やかで楽しかったぜ。だからお前のとこって好き」
互いに笑みを浮かべ、鳴瀬の側へと椅子を引いて腰掛けると、何から話そうかと考えているかのような間が室内を包み込む。
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