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ささやかなる歪み

「今回の件は、ホント悪かったな」 「お前は何も悪くねえって言ってんだろ。頼むからもう気にすんな」 「て、言われてもな……。そう簡単に気持ち切り替えらんねえよ」 再度申し訳なさそうに謝罪を述べられて、そんな沈んだ表情なんてさせたくないのだけれど、やはりそう簡単には割り切れないことなのだろう。 「……アイツと、会ったんだろ? 漸と」 「ああ……」 「やり合ったんだな……? その傷は、アイツに付けられたものか」 「……そういうことだ」 未だ口元に刻み付けられている傷を見て、鳴瀬は遠慮がちに唇を開いて一人の名を紡ぎ、すぐにも忌々しい青年の姿が脳裏を過る。 非現実的でありながらも彼にはどうしてか違和感なく馴染んでしまう銀髪を揺らし、誰もが視線を奪われてしまうような美しい容貌に笑みを浮かべ、裏腹にドロドロとした混沌を内側へ閉じ込めている悪しき青年の姿が焼き付いて離れず、考えるだけでも頭が痛くなりそうだ。 「ケリはつけられなかった。悪い……」 「よせよ。お前が謝ることなんて何にもねえ。強かったか……? アイツ」 「……ああ。腹立つくらいにな」 「そっか……。アイツがあんなに強いとは、俺も思わなかった。やり合ってるとこなんて見たことなかったからなあ」 そう言って包帯が巻かれている手元を見つめ、何かを思い出しているかのような様子で会話を続け、傍らにて腰掛けながら鳴瀬を真っ直ぐに見つめる。 「アイツのことは……、正直言ってまだよく知らねえんだ。憂刃(うれは)が……、チームの奴が連れてきたのを機につるむようになって、気が付いたらこのザマだ。情けねえよな」 「憂刃……?」 「ああ、そういう奴がいるんだよ。なんでも絡まれてるところを助けてもらったみたいで、漸てスゲェ綺麗な顔してんだろ? それ以来、アイツのことがいたく気に入っちまったみてえでな。漸を仲間に引き入れたのも、憂刃のたっての希望なんだ」 「そうだったのか……。今じゃアイツが、ヴェルフェのアタマか……」 「そうだな。人生何が起こるかわっかんねえもんだなあ。まさか漸が、ヴェルフェをシメちまうとはな」 再び視線が交わり、ニッと笑い掛けられるもどのような表情をするべきか瞬時に判断出来ず、複雑な想いを孕んでいる顔を鳴瀬の眼前へと晒してしまう。 なんでもないふうを装ってはいるけれど、思うところがきっとあるはずなのだ。 漸が加入してから然して月日が流れていないようであり、一見人畜無害そうな彼が水面下で動いていたことを悟れずに、全てを察した時には何もかもが銀髪の青年の手に握られていた。 あの男は、上手く言葉では言い表せないけれど、人の心を意のままに操るかのような抗い難い魔力を秘めており、捕らわれれば誰もが彼の前にひれ伏しそうな気さえしてしまう。 ヴェルフェの内情をよく知っていたわけではないが、それでも鳴瀬はもう随分と前から彼等の中心にて佇んでおり、漸が現れるまでは確かに上手く付き合えていたのだ。 常に渇き飢えている一集団を黙らせられる程に強く、加えてあの性格である。 ヒズルやエンジュが鳴瀬のことを認め、好感を持っていた事実からも分かる通り、十分過ぎる程の実力と人徳を兼ね備えていた。 それが一瞬で横から掠め取られ、今では本来のチームカラーを呼び覚まし、且つ更なる暴力性を孕んで闇に潜んでおり、彼等が次に何を仕出かすのか見当もつかない。 「血の気の多い連中でさ……。もうちょっと他のことに目ェ向けさせたくて、お前らみたいなチームに変えてやりたくて、当時アタマ張ってた奴から俺も奪ったんだけどな……。まさか俺も取られちまうとは誤算だったぜ」 「初めから一対一でやり合ったのか?」 「いや……、まともにやり合う気なんて、あいつらにはなかったよ。ま……、もう過ぎた事だけどな。それよりお前が心配だった。俺が余計なことを口走ったから……。お前が無事で本当に良かった」 「大袈裟だな。俺は大丈夫だって。それよか俺の話をしたからには讃えたんだろうな」 「もちろん。お前は最高の友達だってな」 「ならいい。……アイツは何の為に、ヴェルフェを手に入れたんだろうな」 「さあな。目的があって近付いてきたようには思えなかったけどな」 互いに見目麗しい青年を思い浮かべ、彼が何を考えているかなど分かるはずもなければ理解に苦しむばかりであり、それでも現在ヴェルフェの頂に君臨していることだけは逃れようのない事実であった。 意図が見えなくても、なんであろうともこのまま好きにさせておくわけにはいかず、一思いにヴェルフェごと潰すという想いは今も心中で息づいている。 鳴瀬の手から離れた彼等が大人しくしているとは思えず、ましてやあの男が座についている今では、更なる罪のない血が流れていく気がしてならない。 止めなければだなんて、そんな生易しい言葉では言い表せない。 完膚無きまでに叩き潰さなければならない、何を仕出かそうという気も起こらなくなる程に。 そうしなければ、いつまでもあの男が脳裏から出て行ってはくれない。 自分が自分でいられない。 ヴェルフェを、あの男を、なんとしてでも打ち負かさなければならない。 「お前は、一日も早く傷を癒やすことだけを考えろ。そしてもうヴェルフェには近付くな」 「お前はどうする気なんだ? お前こそ、奴等にはもう近付くな。この件は終わりだ。お前がヴェルフェに関わる必要はない」 「それは無理だ。これはもう、俺の問題なんだ。お前の手からはとっくに離れてる。お前には関係ない」 「真宮……。お前、漸と何があった……」 「それこそテメエには関係ねえ。アイツは……、俺が潰す。誰にも手は出させねえ」 「お前……」 我知らず拳を握り締め、憎き姿を思い浮かべて眉根を寄せている様を見て、鳴瀬は事の重大さを感じて複雑な表情を浮かべている。 漸の企みが発端であるにしろ、自分が倒れてしまったことで友人が何かとてつもない闇に引き摺られでもしているかのように思えてしまい、鳴瀬はなんと声を掛けたら良いものかと思考を巡らせている。 「お前は……、自分のことだけ考えろ。早く治せよ。また飯でも食いに行こうぜ」 何か言いたそうにしているけれど言葉が見つからない様子の鳴瀬に気が付かない振りをして、努めて明るく声を出しながら療養中の青年へと笑い掛ける。 自分のせいでと思っているのかもしれない、そんなこと全くないというのに。 「頼むから……、一人で突っ走んのだけはやめろよ。それと、ちょくちょく顔見せに来い」 「すでに結構通ってんぞ。お前は知らねえだろうけど」 「そりゃ悪かったな……。お前のことが心配なんだ。だから、ちょくちょく元気な顔を見せに来いよな」 「ああ……、もちろんだ。イヤってくらい通い詰めてやるよ」 にこりと微笑めば、釣られて鳴瀬もフッと笑みを浮かべ、これ以上深く立ち入られないようさりげなく壁を作り、緩やかに話題を変えていく。 鳴瀬も深追いはせず、それでも気遣う気持ちは隠さずに伝え、優しさにじんわりと胸が熱くなる。 だが、誰の手を借りるつもりもなく、自分の力だけであの男とはいずれきちんと決着をつけるつもりでいる。 アタマさえ倒れれば、後はどうにでもなる。 思い出したくもない光景が過りそうになるのを振り払い、少しでも鳴瀬の気持ちを楽にさせてやりたくて笑みを浮かべ、他愛ない話を始めながら穏やかな一時を過ごす。 自分には勿体無いくらいの存在で周りは溢れ、いつも身を案じて想ってくれているような優しさで充ち溢れており、それらにどれだけ救われてきたか分からない。 だからこそ全てを守りたくて、そして今の自分では彼等と真正面から向き合えない後ろめたさもあるだけに、尚のこと元凶である男を倒さなければという想いに駆られて視界が狭まっていく。 鳴瀬の視線が届かないところで拳を握り締め、もう二度と屈してなるものかと誓いを立てて、沸々と内なる闘志を燃やして今も何処かで過ごしているのであろう青年を思い浮かべる。 すでに思考までも捕らわれかけていることに気付かずに、頭の中では憎らしくも美しい青年への怒りの感情で充たされていく。 次に顔を合わせる時は、一体いつのことであろう。 今はまだ分からず、此方から出向く気など持ち合わせてはいないのだけれど、刻一刻とその時は確実に近付いている。 意図せずとも引き合うように、更なる葛藤の渦中へといざなわれながら。 【第一部 終】

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