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vibrant

あれから数時間後、CLUB ZODICKという大箱にて時を過ごし、腹に響く音を聞きながら紫煙を燻らせる。 喧騒からは少し離れ、設けられているカウンター席にて腰掛けており、前方にはずらりと立ち並ぶ酒瓶が備え付けの棚に収められている。 その内の一本を手元に置きつつも、ぼんやりとしながら煙草を吸ってばかりおり、先ほどからまだあまり中身が減っていない。 良い思い出なんて殆ど、いや皆無と言っていいような場所をまたしても訪れることになろうとは、何が起こるか本当に分からないものである。 「真宮さん」 冥暗が巣食う時間帯になる一方で、箱庭はますます人波がうねると共に盛り上がりを見せており、外界からなどとうに隔絶された世界が広がっている。 入店してからだいぶ時が経っているような気がするが、今のところ少々拍子抜けしてしまう程度には平穏に過ごせており、色々と考え過ぎていたのかもしれない。 「おう、ナキツ」 「一休みですか?」 「ああ。まあ、そんなところだ」 物思いに耽りながら一人で飲んでいると、何処からかナキツがやって来て声を掛けられ、どうやら彼も一休みするつもりでいるらしい。 傍らへと腰掛け、視線を合わせながら柔らかく微笑まれては、釣られて此方もつい穏やかに笑んでしまう。 「アイツらまだあの中にいるのか」 「そのようですね。真宮さんも行きますか?」 「いや……、やめておく。有仁に合わせてたら身が持たねえ……」 「確かに、有仁の有り余る元気に付き合うのは至難の技ですからね」 そう言って、ふふっと笑うナキツを見つめて僅かに微笑むと、視線を滑らせて有仁達がいるであろう渦中の様子を窺ってみる。 今夜の主役であるライブはまだ続いており、ミラーボールから放たれる虹色の光が乱舞し、薄暗い場内を煌々と照らし出している。 有仁の友人が所属しているバンドが圧倒的な存在感を示し、重低音の中でも呑まれぬ声が辺りへと響き渡っており、人々の胸に確実に息づかせながら魅了している。 インディーズでありながらも随分と人気があり、例え彼等のことをよく知らなくても惹き付けられてしまうような吸引力があり、現実に多くの人々が一バンドに意識を根こそぎ奪われている。 開演から暫くは、落ち着いて見たいが為に列の後方から眺めていたのだけれど、心地好い音を耳にしながら煙草でも吸っている今のほうがどうやら性に合っていたらしい。 異世界とも言えるような箱の中で、数多の人間を扇動しているサウンドが、声が、内臓をも揺さぶりそうな程に強く、抗い難い存在感を示しながら攻撃的に畳み掛けている。 「真宮さん……」 「ん……?」 暫くは夜の海のようにうねり、波打つ人の群れへと視線を注ぎ、汗を滲ませながら一時の宴に身を投じている姿を眺めていたところ、傍らから遠慮がちに名を呼ばれた気がして顔を向けてみる。 「その……、大丈夫ですか?」 「あ? 大丈夫って、いきなり何言ってんだよ。お前」 そんなに不審がられるような言動でもしていただろうかと首を傾げつつ、何やら心配そうに視線を注いでいるナキツと隣り合いながら口を開き、含まれている想いが分からなくてますます謎が深まっていく。 「あの一件以来、真宮さんの様子が少しおかしいような気がして……」 そうして紡がれた台詞が絡み付き、咄嗟になんと返答するべきか言葉を失って間が空いてしまう。 「は……? 何もねえよ、考えすぎだ」 「考えすぎ、ですか。それならそれでいいんですけど……」 「なんだよ、まだ言い足りねえって顔してんな」 あの一件とは、まさしくヴェルフェと交戦した一夜を示しており、漸との忌まわしき出来事が多分に含まれている。 怪しまれるような言動をしてきたつもりはなく、寧ろ神経質なほどに細心の注意を払って過ごしてきていたのだが、それでもナキツには何処か引っ掛かる態度に映ってしまっていたらしい。 「何か……、一人で抱え込んだりしていませんよね……?」 「何言ってんだ……。そんなわけねえだろ」 真っ直ぐに見つめられると、真摯な眼差しに全てを見透かされそうな気がしてたまらず、出来ることならばこの場から立ち去ってしまいたい。 多くの人で溢れている箱庭は熱気に満ち溢れ、独特の雰囲気によって支配されていたのだが、此処だけは隔離されているかのように空気が変わってきている。 あれだけすんなりと耳に届いていた曲も、今ではただただ通り過ぎていくだけの音と化しており、それだけ余裕を欠いてしまっていることがよく分かる。 抱え込んでいない、そんなわけがない、あの一件からこれまでずっと狂おしいほどに一人で抱え込んでは周囲との見えない壁を作り続けている。 「俺には……、言えないことですか……?」 「だから……、何もねえって言ってんだろ。しつけえぞ、お前」 「それならどうして、そんなに思い詰めたような表情をするんですか。その変化に、俺が何も気付いていないとでも思ってるんですか」

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