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虚ろなるもの

「エンジュ」 「へ~いへいっと」 打ちひしがれている少年を余所に、紡がれし名に反応を示したのは金髪の青年であり、憂刃やナギリとは違って暢気に間延びした返事を聞かせている。 「その子を家まで送ってあげて」 「うわメンドクセェ」 「お願い」 あからさまに嫌な顔をされても、微笑みを絶やさずにエンジュと視線を交わしており、態度に不満を抱いている様子もない。 寧ろ楽しそうに、もう一押しとばかりに甘えた口調でエンジュへ語り掛け、じっと金髪の青年を見上げて離さない。 「ハァ~……、しょうがねえなァ。お偉方の言うことは絶対だもんなァ。へいへい、分かったよ」 「流石はエンジュ、話の分かる男だ」 「ン~なことより、後でなんか奢れよ!」 「はいはい。御褒美に、なんでも好きなもの食べさせてあげる。なんなら俺でもいいけど……?」 「スゲェ萎えたわ……」 「エンジュくんてば、ひど~い」 盛大に溜め息を吐きながらも、どうやらお願いを聞き入れて送り届けるようであり、長い前髪を掻き上げつつぶつくさ不満を漏らしている。 それでもなんだかんだで逆らわないあたりが、銀髪の青年の立場を分かりやすく表してくれているのだが、その割には奢れと言い始めたりして読みきれない間柄である。 しっかりと上下の関係は存在していても、エンジュの自由な言動に不快感を示すことはなく、にこりと笑みを浮かべながら要求を呑んでいる。 そんな二人のやり取りを前に、黒髪の青年は特に会話へと参加する気持ちもないようであり、口を閉ざしたまま事の行く末を静かに見守っている。 「オラ行くぞ、クソガキ。立て」 「じゃあね、灰我君。次はもっと……、沢山遊ぼう」 乱暴に腕を掴まれ、無理矢理に立たされている姿を前に、銀髪の青年からにこやかに声を掛けられる。 とても笑顔を返せる状況ではなく、これから先どうなってしまうのかと不安を募らせるばかりで、心は今にも音を立てて砕け散りそうであった。 だが無力な存在にはどうすることも出来ず、ゆったりと先を歩き始めたエンジュへと続き、大人しく後を追って行くしかない。 力なく歩みを進め、次第に暗闇へと紛れていく後ろ姿を見つめ、残された青年達に暫しの静寂が訪れる。 エンジュとでは身長差がある為に、時おり駆けて健気に追い掛けていく姿を眺めつつ、唇には未だ笑みが乗せられている。 微動だにせず見遣り、やがて二人の姿が完全に暗がりへと溶け込むまで、感情の窺えない眼差しを向けて黙っている。 「は~……、イッテェ」 程無くして、溜め息と共に軽く手を振り、銀髪の青年から声が漏れる。 どうやら先ほど傷付けた掌が痛むようであり、滲み出る血によりけがされながら指を伝い落ちている。 「漸」 「なに……?」 「見せてみろ」 「あ~……、いいっていいって」 溜め息混じりに立ち上がり、そのまま歩き出そうとしていた漸であったが、腕を取られて動きを止める。 視線を向けると、傍らにて佇んでいる黒髪の青年により腕を掴まれており、次いでハンカチを取り出して傷口に押し当ててくる。 「わ~、ヒズルくんてばハンカチ常備してるなんて、さっすがモテる男は違うわ~」 「茶化すな。じっとしていろ」 「お節介。頼んでもねえのに余計なことすんなよ」 「なら手間を掛けさせない努力をするんだな」 「ムカつく」 「押さえてろ」 ヒズルと呼ばれた黒髪の青年は、手際よく止血を施しながら悪態を受け流し、一方の漸は不満そうに眉を寄せて手元を眺めている。 棘を孕む言葉を投げ掛けても、ヒズルと言えば何処吹く風で顔色一つ変えておらず、黙々と応急措置をして漸に患部を押さえていろと命令する。 「口うるせえ奴」 盛大に溜め息を吐き、明らかに不愉快な表情を浮かべるも、渋々言われた通りにハンカチの上から患部を押さえ、これ以上の血が失われないようにする。 滲み出る血は未だにゆっくりと身をけがし、疼くような痛みに攻め立てられながら押さえ付け、少しずつ布地へと赤黒い染みが広がっていく。 「好きに言え。それでお前の気が済むならな」 「全然気ィ済まねえんだけど。ホントお前何考えてるかわかんねえからつまんねえ」 「そうか。お前も大概だと思うが」 「俺はいいの」 「相変わらず我が侭だな、お前は」 「それが俺のいいところだろ……?」 悪戯な笑みを浮かべ、ヒズルを一瞥してから辺りを見回し、過ぎ行く風に暫し身体を預ける。 冥暗に彩られる心地好い時間帯、漸は気持ち良さそうに目蓋を下ろし、涼やかなる空気を感じ取りながら佇んでいる。 つい先ほどまでの雰囲気からは一変し、張り詰めていた緊張感はいつの間にか消え去っており、つれない態度を取りながらもそこまで機嫌が悪いというわけではないらしい。 良くも悪くも、ヒズルが相手では返ってくる反応は同じだろうけれど、漸は微笑を湛えながらやがて目を開き、何を考えているのか暫しの時を黙り込む。 さらりと白銀を揺らし、やがてどちらからともなく一歩を踏み出していき、ゆったりとした足取りでその場を離れていく。 当然のように肩を並べ、靴音を重ね合わせながら歩を進め、二つの影は目的を達成して静かに引き上げていく。 美しき月に其の身を照らされ、時おりそよぐ風に目を細めつつ、濃密な夜の空気で充たされている園内を歩いて出入口を目指す。 「お前にしては随分と無茶をしたな」 「あんまり可愛い反応するからついさ……、遊び過ぎちゃった」 掛けられた声を聞き、漸は傍らへ視線を向けてからフッと微笑み、柔らかな口調で返答を紡ぎ出す。 淡々としていながらも、ヒズルが疑問を感じて唇を開くのは当然であり、自らを犠牲にしてまで事を成している姿はあまりにも珍しかった。 「そんなにあの男が気になるのか」 「あの男……?」 「真宮だ。言わなくても分かっているんだろう」

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