129 / 343

Tritoma

お灸を据えてやろうと、あからさまに拳を鳴らしながら一歩を踏み出すと、瞬時に身の危険を察した有仁が立ち上がる。 顔の前で両手をぶんぶんと振り、それはもう精一杯の拒絶を示してくれているのだが、聞く耳なんて持たずに遠慮なく近付いていき、慌てふためく彼をじわじわと追い込んでいく。 相変わらず騒がしく主張し、寝ていない割には元気の良い有仁が駆け回り、すぐにも助けを求めてキッチンへと逃げ込んでいく。 ナキツと言えば、時おり居間へと視線を滑らせてはいたものの、会話には入らずに手元へ集中しており、耳だけ傾けて黙々と料理に勤しんでいる。 「助けて、ナキツ~! 今日こそ真宮さんに殺される~! 俺まだ死にたくないんすけど~!」 「うわっ。おい、有仁。いきなり駆け寄ってきたら危ないだろ」 「やだやだ! 怒んないでよ、ナキっちゃ~ん! あっ、てかそれ俺の大好きな玉子焼きじゃん! うっまそ~! 食べたい食べたい! 味見したい!」 「しなくていい。お前の味見は平気で半分くらい減らすからお断りだ」 「え~! そんなつれないこと言うなよ、ナキツ~! せっかく俺が味見してやろうって言ってんのにさー!」 「味見なんて必要ない。有仁の場合、単に食べたいだけだろ。ジタバタしてないで大人しく待ってろよ」 初めこそ血相を変え、朝食の準備に取り掛かっていたナキツの元へと駆け込むも、好物の玉子焼きを一目見ただけで置かれている状況を忘れてしまう。 最早ナキツの玉子焼きが相手では、何もかもが有仁の中で後回しにされてしまうようであり、背後へと迫る影にすら気付かず暢気に突っ立っている。 冷や汗を浮かべて逃げ惑う姿は一体なんであったのかと思うくらい、切り替えが速すぎる有仁はとっくにニコニコと笑顔を浮かべており、手際よく進められていく料理を今では楽しそうに眺めている。 「へぇ、確かに旨そうだな。見てたら急に腹減ってきたぜ」 「でしょでしょ! 早く食べたいッスよね~! 真宮さん!」 「ああ、そうだな。待ち遠しいよなあ、有仁……」 「うんうん! そうッスよ、ね……。アレ……? なんか、え……」 「ん……? どうかしたのかなあ、有仁くん……?」 「キャーッ! どうか許してえええ! あの玉子焼きを食べるまでは絶対に死ねないッス~!」 「テメエはどんだけ都合のいい脳味噌してやがんだコラ、こうしてやる!」 「ちょちょちょ、待って待ってイテテテテッ!」 つい先程までのやり取りが嘘のような笑顔を交わし、暫しの間が空いたところでようやく置かれている立場を思い出すも、すでに逃れる術なんてないくらいに追い詰めている。 満面の笑みから一気に悲壮感漂う表情へと変化し、そろりと傍らを通り過ぎようとしてきた為にすぐさま捕らえ、阿鼻叫喚の嵐である有仁をずるずると引き摺りながら居間へと戻る。 「ん……? アレ? そういえば真宮さん、腕治ったんすか?」 大人しく待っていろと言わんばかりにソファへと座らせ、自らも傍らにてどかりと腰掛ける。 再びナキツの元へ駆け寄ろうという意思を奪い、ありふれた日常の一頁が終了して両者共に落ち着きを取り戻し、そうして手首に巻かれていたはずの包帯が消えていることに有仁が此処で気が付く。 そういえば、昨夜ナキツに解かれてからそのままだったな……。 と、今更ながらに思い出しても後の祭りであり、有仁の視線は現在手首へと集中してしまっている。 それと同時に、ソファへと腰掛けながら昨夜の出来事を多少なりとも思い返してしまい、ちょうど此処で包帯を解かれた前後の流れが、油断していた脳裏を一気に駆け抜けていく。 今思えば、とんでもない言動ばかりを繰り返していたように感じられるのだが、酔っているだけでは片付けられない熱に浮かされ、互いに溺れ、平然と当たり前に事の全てを受け入れてしまっていた気がする。 「いや……、まだ完全には治ってねえけど、もういいかと思ってな」 すでにナキツの目には、晒されてしまっている。 今更下手に隠そうとしても、新たなる疑念を生み出させるだけに思え、元より今の状況では他にもうどうしようもない。 それと同時に、明るみにしたことで若干吹っ切れたのもまた事実であり、そこまで気にする程の痣ではなくなっていると思える。 「ふ~ん、そうなんすか。確かにまだちょっとアザが残ってるッスね~。でもそれってなんの怪我すか? なんかこう……、巻き付いてたような痕ッスよね」 小首を傾げながらしげしげと見つめられ、散らそうと意識すればする程に色々と思い出してしまい、段々と頬が熱くなってくる。 懸命に振り払いつつ、好奇心旺盛な視線から逃れるように横たわると、なんとなくちょうど良い位置にて腰掛けていた有仁の脇腹を蹴ってみる。 「いたっ! 何するんすか、真宮さん!」 「ん、なんとなく」 「なんとなくで俺の命を脅かすのやめてほしいんすけど……!」 「大したことねえだろ、こんくらい。ったく、お前はいちいち大袈裟なんだよな~。この程度で騒ぐんじゃねえよ。だらしねえぞ、オラオラ」 「ちょっと、もう! 足癖悪いッスよ! お行儀良くしてないとダメなんすからね~!? あと、全然大袈裟じゃないし! 痛いし! フツーに痛いし!! めっちゃ痛いし!!!」 意図せずするりと話題が流れていき、げしげし蹴られて有仁は不満そうに唇を尖らせており、足を押さえて懸命に動きを止めようとしている。 なんだかんだで穏やかな空気が充ち溢れており、いつもと変わらないやり取りを交えながら笑い、この時がいつまでも続いてくれたらいいと願ってやまない。 「あっ。そういえば真宮さん、オツのこと覚えてるすか?」 「あ? 確かお前のダチで、乙って言ったっけな。テメなめんなよ、コノヤロ。そう簡単に忘れるわけねえだろコラ」 「なにプリプリ怒ってんすか~! ただ聞いただけなのに~! あ、その乙がまた真宮さんに会いたいって言ってたッスよ~!」 「お、そうなのか。いつでも会いに来いよって言っとけ。今度はもっとゆっくり話そうぜってな」

ともだちにシェアしよう!