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惑いしもの
「がっちん、どうしたの?」
ぼんやりと外を眺めながら頬杖をついていると、不意に声を掛けられてハッと我に返る。
「颯太 ……」
視線を滑らせると、柔和な表情を浮かべている少年と目が合い、ふんわりと笑い掛けられる。
思わず声に出し、目の前にて微笑んでいる少年の名を紡いでから、途端にばつが悪そうに視線を逸らす。
舞台は教室の一角、全ての授業を終えて放課後に突入しているのだが、自分の席に腰掛けたまま刻一刻と時が過ぎている。
開かれている窓からは、部活動に打ち込んでいる生徒の賑やかな声が聞こえ、時おり心地好い風が入ってくる。
教室にはまだ数人の生徒が残っているものの、普段の賑わいには及ばず静かなものであり、ぼんやりと過ごすには好都合であった。
「なんだよ、いきなり。脅かすなよな」
「だってがっちん、ずっと外眺めたまま動かないんだもん。俺結構前から此処にいるんだけど、全然気付いてなかったでしょ」
「なっ……、なんだよ。いるならいるって早く言えよな!」
「も~。がっちんたら、わがままなんだから」
どちらにしても怒られる颯太は、やんわりと頬を膨らませて拗ねるような態度を見せつつ、前の席に座りながら視線を注いでいる。
「がっちん、何かあったの?」
「な、なんだよそれ」
「ん? だってさ~、最近なんだか様子がおかしいんだもん。さっきみたいに、ぼーっと外眺めてたりしてさ、心ココにあらずって感じだよ」
「べ、別にそんなことねえし……。いつも通りだよ。いい加減なこと言うなよなっ」
のほほんとしているように見えて、意外と周囲の動きへと気を配っている颯太に指摘され、懸命に動揺を隠しながら平静を装う。
意思に反する言葉ばかりを並べ、気に掛けてくれている友人へと大嘘をつく。
いつも通り、なんて台詞をよくもまあ平然と紡げるものだとは思うが、何があったかなんて打ち明けられるはずがない。
聞かせたところできっと、颯太にも、誰にも何も出来ないであろうし、より自分を死地へと追い込むだけであると自覚している。
何も無かったと言うのは簡単だけれど、言葉へと乗せても事実はいつまでもこびりついて決して消えてはくれない。
打ち明けられたら、すがり付けたら、助けを求められたらどんなに良いだろうとは思うが、大切な友人を巻き込みたくはない想いと、何を試みようとも無意味であるという諦めが入り交じっている。
一人で抱え込むにはあまりにも強大で重く、あれから一度だって心から安らいだ瞬間など訪れていない。
もう、どうしたらいいのか分からない。
自分は一体これからどうなってしまうのかと不安で仕方がなく、あの夜から何の音沙汰もないことが余計に恐怖を煽っている。
「本当かな~。がっちん、俺に何か隠してない?」
「もう、なんなんだよさっきから。何も無いってば、ほっとけよ」
言ってしまいたい、聞いてもらいたい、想いを共有したいという欲求を押し退けて、悪態をつきながらそっぽを向く。
些細な変化に気付き、気に掛けてくれている友人がいて有り難く思うも、差し伸べられる手を決して握ってはいけないのだ。
交友関係であることは悟られていたが、今回の一件に関わりはなく、幸いにも目をつけられてはいない。
非力な手では自分すら満足に守れず、もしも何事かに引きずり込まれてしまった日には、あの者達から助け出せる自信なんてない。
それならばせめて今の自分に出来ることは、過去の行いを悔いながら唇を閉ざしているだけであった。
「オッス~、二人とも! まだそんなところでぼけっとしてんの?」
無垢な瞳から逃れるように、視線を逸らして再び外へ顔を向けていると、聞き覚えのある声が室内へと響いていく。
「あ、みーくん!」
わざわざ確かめなくてもすぐに分かり、小さく溜め息をつきながら視線を向けると、開いていた出入口に一人の少年が立っており、颯太と言えば嬉しそうに呼び掛けながら手を振っている。
「よ、颯太。で、な~に不貞腐れてんの灰我」
「不貞腐れてねえし! なんなんだよ、お前まで」
「せっかく瑞希 くんが心配してあげてんのに、なにその態度~」
「今のどのへんにその要素が入ってたんだよ! 全然心配された気しねえんだけど!」
「ふっふっふ~。何お前、俺に心配してほしいの? がっちん、可愛いとこあるじゃ~ん」
「ああもう、話通じねえなあ!」
室内へと足を踏み入れ、ひらひらと手を振りながら近付いてきた瑞希が、やがて傍らへ辿り着く。
普段と変わりなく軽口を叩かれ、相変わらずいいように振り回されて腹立たしいことこの上ないが、彼なりに思うところはある様子である。
ますますムスッと不満を露わにしても何処吹く風で、隣の席に腰掛けて瑞希までもが居座り始め、二人がかりで事情聴取されては流石にたまらないと危機感を募らせる。
例え言ってしまったところで、事態は何も変わらない。
悔しいけれど、何も変えることなんて出来ない。
すっかり恐怖を植え付けられ、美しくも得体の知れない青年と相対した夜の記憶を、すぐさま思い出すことが出来る。
現在の時間は、一体何のために用意されている猶予なのだろう。
逃げ場なんて、何処にもない。
骸という一時の戯れは粉微塵と化し、そのような集いで楽しんでいたことがまるで嘘のようだ。
しかし幸いであったのは、解散へと導いてくれたのがヴェルフェではなく、ディアルであったことだ。
ディアルの頂点へと喧嘩を売っている時には気が付けなかったけれど、今ならば彼等の違いがよく分かり、ヴェルフェに手を出すなと言われた理由にも痛いほど納得がいく。
此方から手を出したわけではないが、事を為すには全てが遅過ぎた。
知らぬ間にずるずると深みへと身体を浸からせ、招かれざる者を自らの手で引き寄せてしまっていた。
先に手を出していたのがディアルではなく、ヴェルフェであったならと考えるだけで背筋が寒くなり、こんなにも温厚な解散には絶対に到れなかったに違いない。
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