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惑いしもの

言われなくても、これからあの一台に乗車するであろうことは明白であり、いよいよ逃げ場を失ってしまう絶望感に苛まれる。 近付いていく程に、黒塗りのワンボックスがより鮮明に映り込み、運転席の窓から見える手には煙草が持たれている。 恐る恐る視線を向けると、運転席には男が座っているようであり、一瞥もせずに紫煙を燻らせている。 傍らの青年も、特に車内の青年と目を合わせようとはせず、それでもその一台を目指して歩いていることは明白であり、徐々に逃げ場のない檻へと近付いていく。 「どうぞ」 此処から決死の逃走を試みたところで、素性を暴かれている身では逃げ切るなんて夢のまた夢だ。 どうすることも出来ないと分かっていても、簡単には現実を受け入れられず、いくら奮い立たせても容易く決意が揺らいでしまう。 諦めから考えを放棄していないか、まだ出来ることがあるのではないかと思考を巡らせても、現況での思い付きによる言動からは身の破滅だけを招いてしまう気がする。 悶々としている間にも時は経ち、やがていよいよ其処へと辿り着いてしまい、優美な青年が後部座席のドアを開けて微笑みながら招く。 ごくりと生唾を飲み込み、恐る恐る一歩を踏み出して車内へ乗り込むと、退路を絶たれて銀髪の青年が助手席のドアを開ける。 「お待たせ」 乗り込みながら運転席へと声を掛け、次いでドアを閉める音が響く。 辺りを見渡し、どうやら彼等以外には誰も同乗してはいないようであり、控えめに運転席へと視線を向けてみる。 「目立つ行動は控えろと言ったはずだが」 黒髪の青年の姿が見え、首筋には刺青が彫られており、助手席へと淡々とした口調で声を掛けている。 紫煙を外へ流し、窓を閉めながら備え付けの灰皿へと煙草を捩じ込み、程無くしてから何処かに向けて車を発進させる。 「お堅いこと言うなよ。ほんの可愛いお遊びだろ」 「お前が行っては悪目立ちし過ぎる」 「そんなのお前が行っても変わんねえじゃん」 「わざわざ行かなければいいだけの話だが」 「あっそ。残念、もう行っちゃった」 「過ぎたことを言っても仕方がないか」 「つうかそんなに都合が悪いんなら、止めればいいんじゃねえの?」 「止めて素直に聞くのか? お前が」 「聞くわけねえじゃん。分かってんだろ?」 仲が良いのか悪いのかよく分からない会話を聞かされながら、徐々に夕闇が迫ろうとしている街中を流れていき、ぼんやりと外の景色を視界に収める。 猛然と移り変わる街並みを眺めていても、暗鬱とした心には全くといって響かず、印象にも残らないまま色褪せていく。 もう一度後ろの席から運転席を見つめ、よくよく思い返せばあの夜に居た青年であると分かり、より鮮明に姿が映り込む。 銀髪の青年は言わずもがなだが、まだ明るい場所にて三人だけという状況であるからか、幾分かは落ち着いて彼等を観察することが出来ていた。 「そんなにあの男を挑発したいのか」 「いちいちアイツを絡めてくるのはどうして……? お前こそ意識してんじゃねえの、ヒズル」 「奴と関わっていれば、退屈を感じている暇は無さそうだ」 「随分とお気に入りなご様子で……」 一旦会話が途切れ、誰のことを話していたのだろうかと思うも、きっと知らない人物であるに違いないとすぐに諦める。 もうどうにもならないと分かってしまうと、考えることを放棄して半ば自棄になり、黙したままぼんやりと流れる景色を映し込む。 「ヒズルは本当、はぐらかしてばっかり」 「お前には言われたくないな」 「何層も積み重ねられて、お前の心に少しも辿り着けない。その言動とは裏腹に、一体何が隠されているんだろうね」 「気にすることか。然して興味もないんだろう」 「まあな。お前の気持ちだろうがなんだろうが、別にどうだっていい。知ったところで、どうせ本心なんて別の方を向いている。綺麗事を並べる奴程信用出来ない。そういう奴程……、後ろ暗いものを隠してる」 「お前はどうなんだ?」 「俺……? 俺は素直ないい子だから、隠し事なんてなんにもしてないけど……?」 「聞くだけ無駄なようだな」 淡々と交わされていく会話が通り過ぎ、どのような表情を浮かべているかは確認出来ない。 何処まで信じていいのか、最初から偽りの言葉でしかないのか判断出来ず、妙な緊張感が次第に車内を包み込んでいく。 仲間であるはずなのに、全く和気藹々としておらず、楽しそうに会話が弾んでいるとは到底思えない。 「アイツは……、何を隠しているんだろうな」 「さあな」 大人しく揺蕩う時に身を委ね、交わされる会話を耳にしていると、暫しの間を空けて銀髪の青年が外界を眺めながら唇を開く。 「そろそろ化けの皮を剥がしてやろうかな。所詮はアイツも、その辺の石ころと変わりないってことを、その身をもって気付かせてやるよ……」

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