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惑いしもの

「分からない……」 おずおずと口にし、背後から銀髪の青年を恐る恐る窺いながら、正直に答えてそれきり黙り込む。 冷や汗を滲ませ、両の膝へと乗せていた拳を握り締め、今にも折れそうな心を懸命に支えている。 景色は流れていくばかりで印象に残らず、学校からどのような経路を辿っているのかも分からぬまま、無情なる檻は惑うことなく尚も走り続けている。 「漸、ていうんだよ。末永く宜しくね、灰我君」 緊張感に包まれながらじっと耐え忍んでいると、前方から声を掛けられてハッと我に返り、銀髪の青年に漸と名乗られる。 末永くという言葉に背筋がぞくりと戦慄き、緊張感から解かれずに恐怖心ばかりを煽られ、今にもおかしくなってしまいそうだ。 「真宮に会ってみてどうだった……?」 「どうって、言われても……」 「また会いたい……?」 素直に気持ちを明かして良いものか分からず、僅かに唇を開くも言葉には出来なくて、どうしたらいいのかと途方に暮れる。 本心を言ってしまえば、会いたいに決まっている。 だが、それを今此処で言ってしまうのは良くないような気がして、気まずい沈黙へと突き落とされながらも紡ぐのを控えてしまう。 代わりの言葉を探さなければと焦るも、このような状況では悪知恵も働かず八方塞がりに陥り、考えれば考える程に何も思い浮かばず追い詰められていく。 「そのくらいにしておけ。そろそろ着く」 困り果て、今にも泣き出してしまいそうな表情で俯いていると、思わぬ助け船が入ってくる。 視線を向けると、片手でハンドルを握っている黒髪の青年が映り込み、どうやら彼から発せられたようである。 気が付けば、現在は信号待ちで停車しており、カチカチと方向指示器が立ち上げられている。 そのような意図は無いのかもしれないが、お陰で助かったのは紛れもない事実であり、内心でホッと胸を撫で下ろす。 そうしていよいよ何処かへと辿り着くようであり、周辺の情報を少しでも得ようと視線をさ迷わせ、自分の居場所を探ろうとする。 「ココは……」 ぼそりと呟き、全く知らない通りではないことに気が付いて、僅かにではあるが安心する。 此処から程遠くない場所に、様々な出来事に見舞われた公園があり、鮮明な記憶が未だに脳裏へと焼き付いている。 真宮との出会いも、漸との出会いも、全てはあの夜に降り立った。 あの時の自分には、まさか後々このような状況へと陥るなんて予想も出来ず、そもそも絶対に上手くいくと思っていたのだから、本当に分かっていなかったなとあれから何度目かの後悔をする。 歩道を行き交う人々へ視線を巡らせていると、信号が青に変わったらしく再び景色が流れていき、少し進んだ先で左折する。 大通りとは違い、薄暗い路地裏へと進入していき、とある建物の裏手に回ると駐車場が見え、やがて地下へ車を走らせていく。 「エンジュはまだいない、か」 「どうせまたその辺で油を売ってるんだろう」 「また血塗れで現れたらどうする……?」 「厳密に言うと返り血だがな」 「血の気の多い奴ばかりで失神しちゃいそう。あんなに怖い子達ばかりいるなんて、知らなかったなァ……」 「お前がアタマになっている今が、一番手が付けられないと思うが」 「それって、どういう意味……?」 「さあな」 緩やかな傾斜を下り、仄暗い駐車場には何台かの車が停まっており、それらを眺めながら漸とヒズルが言葉を交わす。 あまりにもなんでもないことのように話が進んでいくので、危うく聞き逃してしまうところだったのだが、確かに今ヒズルが漸をアタマと言っていた。 上の立場であろうとは思っていたけれど、アタマということはつまり頂点であり、ヴェルフェにおいて一番偉い人物であると分かってしまい、納得するも束の間でどんどん緊張と恐怖が山積されていく。 いっそ知らないままでいたほうが、もう少しマシであったかもしれない。 これまでのあらゆる者の言動において合点がいき、ヴェルフェのヘッドが自ら迎えに現れた過去を思い出して血の気が引いていく。 どうしてわざわざ自分から現れたのだろう、彼は一体何をしようとしているのだろう。 「着いたよ、灰我君。中へ入ろうか」 逃げたほうがいい、でも逃れたってすぐに、見つかってしまう。 言い様のない焦燥感に這い回られて止まらず、ぞくぞくと絶えずおぞけが走っていく。 いつの間にか停車していた車から二人が下り、次いで後部座席のドアが開け放たれて、穏やかな声音がどうしようもなく恐ろしく感じられる。 躊躇いながらも従うしかなく、地へ降り立つと目の前には銀髪の青年が立っており、微笑を湛えて見下ろしている。 ヒズルは一瞥してから、すぐにも背を向けて歩いて行ってしまい、扉を開けて中へと入っていく。 此処は一体、どういった場所なのだろう。 見知った通りを走っていたとはいえ、立ち寄った覚えのない建物は、何度通り過ぎてもなかなか意識して覚えられないものであり、辺りを見回しても詳細はよく分からなかった。 「お手をどうぞ」 まともに視線を合わせられずにいると、声を掛けられると共に手を差し伸べられ、戸惑いの表情を浮かべてしまう。 手なんて繋いだら、ますます逃れられなくなってしまいそうで、初めから諦めているはずなのに、まだ心の何処かでは往生際悪く脱け出す術を探している。 けれど、目前にて笑んでいる青年に逆らうなんて、そんな勇気も最初から無いのである。 今ではもう、銀髪の青年の正体を知ってしまい、ヴェルフェのトップである彼の機嫌を損なおうものならどういうことになるのか、考えただけでも寒気がしてくる。 「いい子だね」 表情を強張らせながらもその手を取り、見目麗しい青年は優しげに言葉を紡ぎつつも、ぞっとするような冷たさを孕んでいる。

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