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惑いしもの
「手、震えてるね」
不本意ながらも手を繋ぎ、導かれるままに歩を進めていると、傍らから静かに声を掛けられる。
どれだけ感情を押し殺しても、恐れを隠しきれずに細かな震えを宿していたようであり、銀髪の青年に目敏く気付かれてしまう。
「怯えてるの……?」
ひしひしと視線を感じていながらも、真っ向から目を合わせる勇気も無く、ひたすらに俯いてやり過ごしているしかない。
気が遠くなるほどの時間に思えるも、実際には然して経過してはおらず、終わりの見えない地獄の一時は尚も続いている。
喧騒を遠くに聞き、靴音がやけに大きく響いているように感じられ、先にヒズルが入っていった扉を目指しているようだ。
「大丈夫、心配しなくていい。俺がそばに居てあげる。誰にも手は出させないから安心して……?」
柔らかく言葉を紡がれ、繋いでいる指を優しく撫でられるも、安堵するどころかますます不安を煽られていく。
立ちはだかる扉の向こうには、漸とヒズル以外にも確実に誰かが居り、詳細を聞くまでもなく複数であると分かってしまう。
不穏な気配ばかりが漂い、守ってもらわねばならない程に無秩序な世界が、一枚隔てた先にて混沌と広がっているのだろうか。
彼に庇ってもらわねばならないくらいに、一人では歩くこともままならないような無法地帯が、何の変哲もない建物の内部にて蔓延っているのだろうか。
「君は今のまま……、いい子でさえいればいい」
歩調に合わせて進み、やがてヒズルが通っていった扉の前に辿り着き、二人分の足音がぴたりと止む。
彼に守られ、庇われる以前に、そもそも漸が傍らにて佇んでいるほうが余程危険な気がするのだが、主張出来るはずもないので大人しく呑み込むしかない。
彼の手により招かれざる災いがもたらされる予感しかなく、側に居れば居る程にそれまで無縁であった脅威まで目覚めさせてしまう気がしてならない。
「行こうか。ヒズルが待ってる」
気が滅入るような想像ばかりが巡り、ますます混乱しながら立ち尽くしていると、扉へと腕を伸ばしていた漸に声を掛けられる。
見えない恐怖に晒され、口を噤んで視線を合わせられぬまま、次なる舞台への隔たりが開かれていく。
キィッと音を立て、静寂に支配されている空間へ響き渡り、緩やかに開かれていく程に内部からの光が漏れてくる。
固唾を呑んで見守り、自然と身構えてしまいながら、徐々に広がっていく視界には屋内が映り込む。
しかしながら其処は、先に階段が見えているだけでまだ人気は無く、拍子抜けすると共に少し安心する。
だが、未だ何ものからも解き放たれていない身の上では、うるさく脈打つ鼓動を落ち着かせるまでには到らず、つい不安げな双眸で傍らの青年を見上げてしまう。
「どうしたの……?」
「あ……」
「なに?」
「な、なんでも……」
視線が合い、問い掛けられただけで焦ってしまい、怯えを滲ませながら下を向く。
一連の言動を受け、それまで穏やかな笑みを湛えていた漸から表情が消え、見えないところで無感情な視線を注がれている。
何かを考えているような、珍しく笑顔を取り払って真面目な表情を浮かべているも、その様子を窺っている者は誰一人としていない。
「誰かと手ェ繋ぐなんて、久しぶりだな……」
台詞を合図に手を引かれ、先を歩いていく彼の姿が視界に収まるも、表情までは窺い知れない。
先程までと何ら変わらないはずなのに、何故だか唐突に違和感を覚え、けれどもどうしてそのように思ってしまったのかが分からない。
「あったかいね。君の手……」
靴音が響き、彼から紡がれる言葉へと返すべき反応が見つからず、戸惑いの表情で先行く青年を視界に入れる。
「アイツの手も、そういえばあったかかった」
確かめるように親指で撫でられながら、手を繋いで歩いている漸から言葉が溢れ、誰を指し示しているのか分からずに首を傾げてしまう。
アイツって、誰……?
車中で話題に上がっていた人物を指しているのだろうかと過るも、考えたところできっと分からない。
独り言のようにぼそりと吐露され、一体誰を思い描きながら歩いているのかと思うも、考えるだけ無駄と分かっているのに気になってしまう。
「さっき、車の中で話してた人のこと……?」
言ってしまってから後悔するも、今更紡いでしまった現実からは逃げられず、一気に冷や汗が滲み出てくる。
歩を進めながらも声は無く、静寂へと靴音だけが響いて落ち着かず、機嫌を損ねてしまっただろうかと気が気でなく、心臓がばくばくと音を立てている。
「うん。そうだよ」
最悪の展開ばかりが脳裏を過り、好奇心に負けて口出ししてしまったことを後悔していたのだが、意外にもすんなりと答えてくれる声が聞こえ、一瞬夢でも見ているのかと思ってしまう程であった。
「その人とも、手を繋いだの……?」
「ん……? 繋ぐとは、ちょっと違うかな。まず手を繋いで歩かせてはもらえないだろうね」
「どうして……?」
「すごく狂暴だから。灰我君なんて、一息で丸飲みされちゃうかも」
「え……?」
「ふふ、嘘……。君みたいに真っ直ぐな目をした、とっても綺麗な人だよ」
「そう、なの……?」
「うん。あまりにもまっさら過ぎるから汚してやったんだけど……、意外と元気そうなんだよね。アイツ……」
ますます彼が抱えている感情へと謎が深まり、その手の温もりをふと思い出していながらも紡がれていくのは悪意ある言葉ばかりで、再び恐怖が顔を覗かせ始める。
「何処までが本当かな……? 何処まで追い詰めてやれば、アイツは我が身可愛さに君を捨てると思う……?」
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