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惑いしもの
騒がしく近付いてきたかと思えば、乱暴にわしゃわしゃと髪を撫でられ、お構い無しに好き勝手振る舞っている。
「お、テメいいもん持ってんじゃん! まだ残ってっかァ、それ」
「えっ、う、うん」
「も~らい!」
「あっ……」
炭酸飲料に目をつけられ、まだ半分は残っているであろう缶を奪われると、飲み掛けにもかかわらずエンジュは躊躇いもなく口にし、次いでぐびぐびと豪快に煽られる。
美味しく味わえる心境でもないので良いのだが、一口頂戴なんていうレベルではないのだなと悟り、別に惜しくはないのだけれども呆気に取られてつい見てしまう。
相当喉が渇いていたのか、一気にごくごくと飲料を流し込んでおり、あっという間に内容量が少なくなっていく様をまざまざと見せつけられる。
「ったくもう、野蛮なんだから。こんな可愛い子から奪うなんて最低よ~! 私が後でいくらでも買ってあげるからね! ところでいくら積んだらこの子をお持ち帰り出来るのかしら!」
「残念。こちらは非売品です」
「え~、そんな~! 漸君そこをなんとか~! こんなに可愛いのに此処でさよならなんて嫌よ~! ねえ、あら? お名前なんて言ったかしら」
エンジュへと文句を並べつつ、近付いてきた摩峰子に優しく頭を撫でられ、甘ったるい香りに鼻腔をくすぐられる。
次いで何処までが本気か分からない台詞を述べるも却下され、いやいやと首を横に振りながら抱き付かれてしまい、つい頬を赤らめてカチンコチンに身を固まらせてしまう。
「やだ、可愛い! 照れてくれてるのかしら? 赤くなってる~!」
「あまりの恐怖に反応を間違えたんだろう」
「ちょっとどういうことよ、ヒズル! んもう、こんな可愛い反応されちゃうと、色々悪戯したくなっちゃうわよね~」
カアッと頬が熱くなり、色っぽいお姉さんとしか思えない妖艶な人物に顎を撫でられ、隠しきれない動揺が滲み出てしまう。
またしても名乗る機会を失ってしまったと思うものの、恥ずかしくて視線すらまともに合わすことが出来ず、摩峰子のすべらかな手に触れられて為すがままになっている。
「ぷは~! うめェッ~! やっぱ身体動かした後に飲むのは最高だな! これが酒だったらもっと良かったんだけどなァッ!」
注がれている視線から逃れ、どうしたらいいのか分からず頬を染めて立ち尽くしていると、満足そうなエンジュの声が聞こえてくる。
「いちいちうるさいわね~! もう少し静かに出来ないのかしら! せっかくこの子といい雰囲気だったのに!」
「ンなこと思ってんのはテメエだけだろがァッ! ばけもんに迫られて動けなくなってるだけだろ、そいつ!」
「キィッ~! アンタはイケメンだけど死すべしよ~! 私を泣かせた罪は重いわよ!」
「泣くとか気持ちワリィこと言ってんじゃねえよ想像しちまっただろッ!!」
「ひどすぎ! アンタなんかもう出禁よ出禁~!!」
再びエンジュと摩峰子の間で火花が散り始め、するりと手が離れていったかと思いきや、今度は別方向から新たに誰かが触れてきてびくりとする。
「結構楽しいだろ……? 此処も」
つうっと冷ややかな指で頬をくすぐられ、形の良い唇からそのようなことを紡がれるも、なんと答えたら良いものか分からない。
確かに思っていたよりは平和的であり、和やかと称しても良い雰囲気に包まれているとは思う。
なんだかんだでヒズルを優しく感じ、エンジュは乱暴者ではあるけれども、あの夜に家まで送り届けられた時といい、彼は意外と粗野ではあるが親しみやすいところがある。
けれども彼は、傍らにて猫なで声を発している銀髪の青年からは、取っ付きやすそうな要素なんて微塵も感じられない。
あの夜の印象そのままに、より深く畏怖を感じさせる存在となっており、彼の命 には絶対に逆らってはならないと警鐘が打ち鳴らされている。
「出禁は勘弁して頂けませんか。摩峰子さんがあんまり綺麗だから、エンジュも照れてわざと困らせるようなことをしてしまうんですよ。本当は摩峰子さんのこと、大好きだもんね……? エンジュ」
「ハアァッ!? なァに言ってんだ、ンなわけねえだろ!!」
「ね、照れてるだけなんです。可愛い奴でしょう……? 摩峰子さんは本当、みんなを惑わせて悪い人ですね。僕も堕ちてしまいそうです。でも、魔峰子さんならいいかな……」
「や、やだもう! そんなっ……、こっちこそ照れちゃうじゃない! あ、あんまり見つめないでくれるかしら……、恥ずかしいわ……」
つい先程までエンジュと騒がしく言い合っていたはずなのに、漸との会話ですぐにも大人しくなってしまい、頬を赤らめて恥ずかしそうに視線を泳がせては落ち着きを失っている。
「全ッ然聞いてねえし」
「お前の尻拭いをしてやってるからには、何も文句は言えないな」
「僕って言い出した時が、一番猫被ってんだよなァッ~、あのお偉方。しっかしあのカマ野郎も毎回よく騙されるよな? ったく、学ばねえ学ばねえ」
「摩峰子に限ったことではないだろう。どいつもこいつも面白いくらい借りてきた猫のような状態になってしまう」
「ぶはっ! くくくっ、借りてきた猫とっ……、ねこっ被り野郎……、くっく、ネコばっかりじゃねえかッ……!」
「……笑うところあったか?」
一体猫の何が笑いのツボを刺激してしまったのか、くくと楽しそうに笑い始めたエンジュを見て、暫しの間を空けてからヒズルが問い掛けている。
「まあ、貴方達が目を光らせてくれるようになってから、此処での揉め事も格段に減ったし……、本気で出禁にしようなんて思ってないわよ。寧ろ感謝しているわ」
「ありがとうございます。みんな摩峰子さんに褒められたくて、はりきってるんですよ」
「もうっ、上手なんだから。そんなこと言ってもなんにも出ないわよ~?」
「頑張ったら僕にも、何かご褒美くれますか……? みんなとは違うものがいいな……」
気が付けばまたしても場面が展開し、漸に甘えられて摩峰子は頬を染めながらも嬉しそうにしている。
摩峰子という人物はこの箱庭において、随分と顔の利く立場なのであろうか。
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