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惑いしもの
「ねえ、摩峰子さん。今後とも末永く、仲良くして下さいね……。何か困ったことがあればいつでも言って下さい。すぐに駆け付けますよ」
摩峰子の手を取り、伏し目がちに指先へと口付けを降らせ、そのまま頬に導いてすりと触れさせる。
手に手を重ね、摩峰子のすべらかな指へと頬を擦り寄せて、誰もがうっとりするような微笑を湛えて視線を注いでいる。
「俺にはゼッテェ出来ねえわ、あんな所業。カマ野郎相手にどう見ても罰ゲームだろ……」
「お前があんな行動に出始めたら、いよいよ頭がおかしくなってしまったのかと思うだろうな。まあ今も大して変わらないが」
「オイどういうことだテメッ! さりげなく喧嘩売ってんだろ!」
完全に置いていかれている外野では、エンジュとヒズルが肩を並べて会話しており、なんだかんだと言い合いながらも仲は良さそうである。
絶対に真似出来ないとはエンジュ談であり、そもそも倣う気持ちすらないので関係は無いのだろうが、客観的に眺めているだけでもなかなかの破壊力を感じているらしい。
「お前ももう少し身の振り方を覚えるんだな」
「あァ~? いいっていいって、そういうくっそめんどくせェことはテメエやお偉方がやりゃいいんだよ。俺は、ン~なことよりも、喧嘩して美味いもん食えりゃそれでいい」
「相変わらずだな」
「俺がいきなりああなっても気持ちワリィだけだろが。ま、やんねえけど。人には向き不向きっつうもんがあるからなァッ」
「お前にしては随分とまともな事を言うな。何処か具合でも悪いのか」
「オイコラめっちゃ健康だっつの!!」
段々と退屈になってきたのか欠伸をしながら、自由奔放にエンジュは言葉を並べている。
元々エンジュとの争いが原因で機嫌を損ねてしまった摩峰子を漸が落ち着かせているような流れであったと思うのだが、当の本人はすっかりそんなことを忘れてしまっているのか眠そうにしている。
先ほど奪い取って飲みきった今や空き缶を、ぐちゃりと片手で潰してからうろつき、ゴミ箱でも探しているのか鼻歌混じりに歩いていく。
強心臓の持ち主か、はたまた鈍感なだけなのか定かではないけれど、彼も間違いなくヴェルフェの一員であるのだと改めて認識させられる。
「もう本当、何度も言っちゃうけど綺麗よね……。お人形さんみたい……。これからもいつでも、此処へは自由に出入りしてくれていいわ。その代わりいつも言っているけれど、揉め事だけは勘弁してね」
「勿論です。あくまでも一お客様として、振る舞うようにしますよ」
「あの子、とっても可愛らしいけど、坊やが遊ぶにはまだ早いわよね」
「そろそろ帰してあげますよ。僕の大事なお友達に、僕の憩いの場と、あなたのような美しい人の存在を是非知って欲しかったんです」
「本当上手なんだから……。気に入ってもらえているといいわね。また今度ゆっくり、あの子ともお話させてほしいわ」
話の内容までは分からないが、何度か視線を向けられてどきりと心臓が跳ね上がり、生きた心地がしない。
気儘なエンジュは何処かへ行ってしまい、ヒズルからは何の言葉も発されずに佇んでおり、何をしていれば良いのかと悩みながらも結局は立ち尽くしているしかない。
「お待たせ、灰我君。行こうか」
声を掛けられてハッと視線を向けると、摩峰子との会話を終えたのか漸が歩を進めており、すぐにも距離が狭まっていく。
全く待ってもいないし、放っておいてほしいのだが、微笑を湛えていながらも冷え冷えとしている青年へと紡ぐ勇気はない。
「あら。そういえば、漸君……」
促すように背中を押され、入ってきた方とは逆へと歩かされ、まだ此処からは出られないのかと気分が落ち込んでいく。
すると、摩峰子が何やら思い出したかのように声を上げ、名を呼ばれた漸が立ち止まって振り返る。
「鳴瀬君を最近見掛けないけど、元気にしているのかしら」
単にすれ違ってるだけかしら、と付け加えてから考えるような仕草をしている摩峰子を見て、漸は柔和な表情を浮かべていながらも決して内面を読み取らせてはくれない。
「鳴瀬は……、ヴェルフェを去りました」
「え! そうなの!? やだ~、ショック~。彼もとってもいい子で人懐こかったのに」
「ええ、僕も残念です」
「あ、鳴瀬君がヴェルフェのリーダーだったわよね? 鳴瀬君が居ないんじゃ大変なんじゃない? 貴方達がまとめているの?」
見知らぬ名前の登場に疑問ばかりが思い浮かぶも、話はどんどん構うことなく進んでいく。
だがお陰で、ずっと此処へと至るまでに理解出来なかった言葉の数々が紐解かれ、ほんの少しだが事情を呑み込めてくる。
ヒズルは相変わらず無表情を崩さずに立っており、漸は摩峰子との会話に勤しみながら、鳴瀬を想っているのか何処と無く切ない表情を浮かべているように見えてしまう。
「今は、僕が代行しています」
「そうだったのね。まだヴェルフェに入ってからそう経っていないわよね? やっぱり天は二物を与えるものね……。漸君になら私も命令されたいもの……」
「とてもそんな器ではないんですが、彼等に支えられながらなんとかやっていますよ」
にこりと微笑む銀髪の青年と相対し、摩峰子はうっとりとした様子で溜め息をつきながら会話を続けており、それらを経て鳴瀬という人物と座を交代したのだと理解する。
とても信用出来ない彼の唇からすらすらと紡がれていく事柄を、一体何処まで信じたら良いのであろう。
摩峰子はときめきを隠しきれない様子であり、漸の言葉を信じきっているようである。
どうせ分からないとは思っていてもヒズルを見てしまい、彼は何も言うつもりはないのであろうか静かにずっと佇んでいる。
「挨拶出来なかったのが残念ねえ。んもう、顔くらい見せに来てくれたらいいのに」
「きっと偶然出会すこともあるでしょう。その時にはたっぷりと……、改めて僕のほうから彼には伝えておきますよ。今までありがとうって……」
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