154 / 343

Digitalis

足を止め、うんともすんとも言わなくなってしまった少年が、目と鼻の先で立ち尽くしている。 なよやかな風が通り過ぎ、街灯により仄かな色彩を帯びている髪が、今にも触れられそうな位置で小さく揺れ動いている。 倣って足を止め、複雑な表情を浮かべながら後ろ姿を見つめ、なんと声を掛けたら良いものかと迷う。 沈黙が訪れても、一帯を取り巻いている喧騒は絶え間無く続き、軒を連ねている店からも時おり賑わいが漏れ聞こえてくる。 行き交う人波は止まず、無関心に通り過ぎては立ち去っていき、大通りを突き進んでいく交通量も衰えを知らず、やがて何台も視界から消え失せる。 「どうした……?」 声を掛けてから天を仰ぎ、相変わらず一面を漆黒で覆われている夜空が、一切の輝きを寄せ付けずに虚ろを湛えている。 雨でも降りそうな気配を滲ませ、一縷の救いすらも突き放されそうな暗澹たる闇が、静寂と共に果てしなく幕を下ろしている。 「雨降りそうだな……。傘持ってんのか?」 後ろ姿へと視線を戻し、気を紛らわせるように話題を変え、努めて穏やかに言葉を添える。 彼は今、どのような表情を浮かべているのだろう。 一定の距離を保ち、顔を覗き込むような真似はせずに佇み、灰我の気持ちに整理が行き届くのを待つ。 偽りだけではなく、きっと本心も混ぜられているのであろう言葉の数々を、一体何処まで拾い上げられるだろうか。 次第に蚊の鳴くような声になり、至るところから発せられる音に呑み込まれてしまい、つい今しがた紡がれた台詞を全て聞くことは叶わなかった。 其処にこそ、本当に彼が伝えたい想念が隠されているような気がしてならず、頼りなげな背中に圧し掛かっている正体とはなんなのだろうか。 「早く帰ったほうがいいんじゃねえのか。降り出したらめんどくせぇぞ」 柔らかに紡がれる言葉の数々に、灰我の心が揺さぶられていく。 悪事を働き、其の身を傷付けても構わないと思っていた相手に、どうして躊躇いもなく手を差し伸べられるのだろうかと、理解の範疇を越える出来事に少年は大いに動揺する。 この人ならきっと、なんとかしてくれるのではないか。 抱えている全てを打ち明けても大丈夫なのではないかと、苦しみから解き放たれたいが為に、縋れそうな対象へとすぐさま心が傾いてしまう。 何もかもを握られているのだから、銀髪の青年から興味を失わせない限りは、気紛れな狂おしき宴に終わりはない。 けれども、どうしたらいいのか。 無理矢理に事を進めようとはせず、辛抱強く向き合いながら見守ってくれている者に、本当に自分はあのようなことを仕出かすのか、しなければいけないのか、だが逆らえばどうなってしまうかを過らせて、結局のところ何処にも光の射し込む道が見当たらなくて嘆息する。 今の状況ももしかしたら把握されているのだろうか、別れれば見逃したことになるのだろうかと悩みは尽きず、考える程に袋小路へとはまっていく。 「まだ帰らない……。ゲーセン寄ってく」 先伸ばしにしているだけに過ぎないけれど、後にも先にも行けないでいる弱き少年は、ようやく口火を切ったかと思えば予想外の台詞を紡いでくる。 「ハァ……? お前な……、俺の話聞いてたか?」 何の回答にもなってねえよと溜め息を漏らしながらも、歩き始めた少年を見失うことも出来ず、どうしたものかと頭を掻きつつ後ろをついていく。 少しずつ、振り返れば其処に居てくれているという事実に、少年の精一杯に閉ざされていた心が風を通し始め、開けそうになっていることを知らずに渋々ながらも付き合い、やはり何を考えているのか分からない灰我を視界に収める。 不意に脆さを晒してきたかと思えば、急にふてぶてしく我が物顔になり、今では後者で相変わらず先を急いで歩いている。 「お前いつもこんな事してんのか」 「関係ないだろ」 「もう少し警戒心持てよ。お前みてえのがうろついていい時間じゃねえぞ」 「アンタこそ……、もっと警戒心持てよな!」 「は……? 何言ってんだ、お前。俺はそんなにか弱くねえぞ」 いきなり何を言い出すのかと疑問符を浮かべるも、気になるところでことごとく解答は紡がれない。 毎回こんなにも寄り道をしているのかは不明だが、遠回しに共に過ごす時間を引き延ばされているようにも感じられて、突き放したいのか求めているのか判断に迷う。 少年自身も思い悩んでいる結果なのだろうか、ふらふらとさ迷うように歩を進めながら、次なる目的地を目指している。 「有仁でも連れてくれば良かったな……」 「誰それ」 「ん? ああ、仲間だ。お前に負けず劣らず失礼な奴だぜ。お前、甘いもん好きか? アイツに付き合ってやってくれよ、俺はもう嫌だ……」 「ふ~ん……」 「ゲーセンも好きでよく行ってるみてえだし、お前と意外にウマが合うかもな。わけ分かんねえもん一杯取ってくるから、お前引き取ってやってくれよ……。て、なんかアイツの愚痴しか言ってねえな。愚痴しか出ねえな……」 キラキラとした笑顔を浮かべている有仁を過らせて自然と溜め息を漏らし、アイツは本当に縛りがねえよなと自由奔放さが時々羨ましくもなる。 凝り性なので、手を出し始めると満足するまで没頭してしまい、あらゆることへのやり込み具合が凄まじい男である。 「あの兄ちゃんは……」 「あ? なんだ」 「あの時の兄ちゃんは……、どうしてるの」 「あの時……。ああ、ナキツのことか? なんでもねえよ、元気にしてる。あの時のことならもう気にすんな」 「そっか……。良かった……」 「おい、俺の心配はしてくれねえのかよ。あれから風邪引いてねえかとかお前、色々あんだろ。今思い出しても可哀想過ぎるよな、あの時の俺は」 「馬鹿は風邪引くわけないじゃん」 「ぐっ、このガキっ……。なんかおんなじようなこと言ってきた奴があの時もいたな……。こいつら似た者同士じゃねえのか……」

ともだちにシェアしよう!