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Digitalis

声は聞こえず、気配も感じられず、此処からでは彼等の動向を探れない。 選択肢は一つしか有らず、元よりそのつもりではあるけれど、呼吸を整えてから扉の前へと立つ。 急激な負荷を強いられた為、火照る身体を少しでも冷まそうと腕捲りし、無造作に前髪を掻き上げながら意思を固めていく。 扉へと視線を向け、自然と息を潜めてしまいながら腕を伸ばし、取っ手を掴んでから下へ倒す。 ガチャ、と辺りへ響き渡り、一枚隔てた向こうでは扉を見つめ、今にも入ってくるであろう時を待ち構えているのだろうか。 考えても何も始まらない、先へと進めば自ずと答えは見え、立ち止まっている時間が惜しい。 開かれた扉を少し押せば、隙間から徐々に風が入り込み、外へ通じていることを理解する。 「行くか」 言い聞かせてから手を離し、勢いよく扉を蹴破れば一気に視界が開かれ、立ち並ぶ建造物と共に虚ろな夜が現れる。 周囲に比べて階数がなく、視線の先では隣接している建物から煌々と光が漏れており、ぼんやりと照らし出されている人影を程無くして発見する。 屋上の隅にも街灯が設けられており、辺りを仄かに包み込んでいるのだが、其処には誰も佇んではいないようである。 安全を考慮してか、四方には金網が聳え立ち、その気にならない限りは此処から落ちていくことも叶わないであろう。 先を見据え、其処に居るであろう人物を目指して足を踏み出し、外気へと身を晒す。 「危ない!」 何処からともなく声が聞こえ、居所を察している暇もなく、突如として目の前に現れた人影が力強く右腕を振り、その手には何かを持っている。 「くっ……!」 此の身を傷付ける為のものであることは間違いなく、前傾して避けながら歩を進め、腕の下を通り抜けてから瞬時に振り返る。 屋内からの灯に晒され、鋭利な刃物が握られている様を視界に収め、駆け上がって来た者の内の一人であると察する。 隙を見せ、態勢を立て直すべく振り向こうとしている人影へと目掛け、動きを止めてやろうと足払いを試みる。 しゃがみ込んで足元を狙い、素早く片足を撃ち込むもすんでのところで相手が飛び、地へと転がせることは叶わない。 「安心するのはまだ早ェぞ」 避けられても終わらず、ニッと獰猛な笑みを見せてから狙いを定め、膝裏へと繰り出した蹴りが決まる。 今度はかわすことが出来ず、体勢を崩して地面へと思いきり叩き付けられ、鈍い音と共に苦悶の声が聞こえてくる。 息つく間もなく、迫り来る足音を察して視線を向け、力任せに振るわれたナイフを避けて体勢を立て直し、すぐさま繰り出された次の一手も後方へと下がってよける。 切っ先の鋭さだけでは強くなれないということを、奴等は全く理解出来ていないらしい。 そんなものを手にしているだけで、本当に強くなれているとでも思っているのだろうか。 乱雑に振り回される軌道は容易く読め、薄暗さなど何の足枷にもならず、退屈なやり取りが繰り返されていく。 間合いを詰められ、勢いよく振り下ろされた刃から身を捩ってかわし、次いで隙だらけの顔面へと肘鉄を喰らわせる。 相手が後ろに倒れ、派手に引っくり返っていく最中で視線を巡らし、先程足払いにより格好悪く転んでいた者がナイフを手に、僅かな隙すら突こうと駆け込んでくる。 学ばねえ奴だと思いながら踏み出すと同時に背を丸め、刃をかわして相手の脇腹へと痛烈な蹴りを叩き入れる。 すぐにも呻き声を漏らしながら脇腹を押さえ、よろめきながら苦しんでいる輩を前に気配を察し、瞬時に体勢を低くしたその上を何かが掠めていく。 確認する必要もないとばかりに背後へと回し蹴りを叩き入れ、程無くして面白いくらいに思いきり捉えた感触がし、言葉にならない悲鳴を発して盛大に倒れ込んでいく。 「勢いだけでその程度かよ。ガキどもの相手してるほうがよっぽど楽しいぜ」 地へと這いつくばらせ、夜風に髪を弄ばせながら笑い、満たされない一戦に欠伸が漏れそうである。 「ヴェルフェにすら良いようにされるテメエらが、俺と張り合えるわけねえだろ。テメエらのお陰で大迷惑被ってんだよ。いつまでもみっともねえ姿晒してないでとっとと消えろ」 どれだけ実力の差が開いていても、端から見れば単なる同類とされてしまう。 しかし、一戦を交えてみて思うことは、遅かれ早かれマガツとしての息の根は止められ、例え相手がヴェルフェではなくても容易く消されていたであろう。 此処に居るものがほんの一握りであろうとも、それだけでどのような集団であったなどすぐにも分かる。 拳すらまともに交えられない者共を見下ろし、これならまだ漸を相手にしているほうがマシだと思ってしまう。 腹立たしい輩ではあるが、口先だけのマガツに比べれば遥かに腕が立ち、喧嘩の相手としては申し分がない。 だが、それだけだ。 アイツが何をしてきたかを忘れるなと言い聞かせ、眼前にて広がる騒動にすらきっと、あの男は一枚も二枚も噛んでいる。 いつまで経ってもいけ好かない野郎だと思いつつ、脳裏に過らせてしまいそうになる白銀を打ち消し、まだ後一人残っていることには気付いている。 心を折られ、動けそうにない二人を見下ろしてから視線を逸らし、先にて佇んでいるであろう人物へと歩を進めていく。 仄かな明かりにより照らし出され、目当ての人物が未だ捕らわれながらも其処に居ることを確認し、ようやく後少しのところまで追い詰める。 最早亡き群れであるというのに、往生際が悪いにも程があり、早くとどめを刺されたくて仕方がないようである。 すでにヴェルフェに手を出されているのが気に食わないが、少年との因縁を此処で断ち切ってしまわねばならないと感じる。

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