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Digitalis
微笑は絶えず、けれども視線には嬲るような冷ややかさが宿り、胸中では少しも笑んでなどいない。
一見涼やかであり、それでいて虚ろな暗鬱たる眼差しをねっとりと注がれ、此の身に纏わり付いてはいつまでも離れてくれない。
ずっと、あの夜からずっと、一刻も早く忘れてしまいたい過去であるというのに、悉く立ちはだかっては新たな悪夢を植え付けんとしてくる。
脳裏へとこびりついて離れず、息遣いまでもを思い出せてしまえそうな程に、悪しき青年より放たれた枷にがんじがらめに縛られている。
ぐ、と握られた拳に力が入り、憎らしくて仕方がない青年との再会を果たし、相変わらず眼前にて行く手を遮っている。
意図が見えず、何を想って成されている言動なのか理解出来ず、こんな輩と僅かですら通じ合えるわけがない。
憤りに苛まれ、呑まれそうになる衝動を押し留めつつ、にこやかさとは裏腹な羅刹と相対する。
「あんなガキにしてやられるなんて、どいつもこいつも雑魚でしかない群れだったようだなァ。そんなもの、居なくなって当然だよな……? だって歩くのに邪魔だから」
「気に入らねえな……。全てがテメエの掌で回ると思ったら大間違いだ」
「でも実際……、回ってるだろ? お前も、あのガキも全部、俺の思い描いている通りに巡り続けてる……。俺を楽しませてくれてありがとう」
偶然も重なっているが、灰我と再会し、マガツに絡まれて打ち倒し、そうして青年との邂逅に至るまでが敷かれた線路上であり、万事思惑通りに進んでしまっている。
わざとらしく煽られ、怒りに身を任せてしまいたくなるも押し殺し、今にも喰らいつかんばかりの双眸を漸へと注ぎ続ける。
血に塗れても構わず、痛みを憤怒へとすり替えていき、余裕を湛えて佇んでいる姿に更なる腹立たしさが込み上げてくる。
冷静でいられない、落ち着かなければと言い聞かせている端から侵食され、暴力を渇望せし獣が憎き相手を前に猛り狂い、突っ立って話なんてしていられる心境ではまるでない。
「怒ってるの……?」
「笑ってるように見えるか」
「ホントお前って、やらしい顔するよね。煽り上手だなァ……、その気になってきちゃった」
「このクソ野郎ッ……。今すぐそのツラ二目と見れなくしてやるよ」
「つれないなァ……。今でもちゃんと覚えてるんだろ? 俺と沢山いいことしたもんな……? 今日まで疼いて仕方がなかったんじゃない? ナキツとは結局どうなったわけ……?」
「うるせえ黙れ……!」
「それなら、力ずくで黙らせてみろよ。お得意の分野だろ……? なァ、真宮。相手になってやるからおいで? また可愛がってあげるよ」
獰猛な空気が辺りへと渦巻き、互いに自然と身構えながらジリと爪先を滑らせ、間合いを測りつつ動向を窺う。
これまでの戦いと同列には出来ず、目の前にて薄笑いを浮かべている銀髪の青年は、覇権を得ているだけの実力を持っている。
生半可な気持ちで相手をしようものなら一気に取って喰われ、それは即ち仲間を危険に晒すということに他ならない。
それだけは避けなければならないが、元より遅れをとるつもりもない。
素早さは漸に利があるけれど、それくらいで勝敗を決する程の柔な争いはしていない。
「そうしてまた……、グチャグチャにしてやるからな。好きだろ……? やらしいもんなァ、お前」
忌まわしき行いを蘇らせ、にこりと柔らかに微笑みながらも見下す視線に晒されて、ぷつりとこれまで殴り掛かる事を阻んでいた糸が容易く切れていく。
瞬間、弾かれたように駆け出して迫り、野蛮なけだものの如く拳を振るい、黒衣を身に纏う青年を打ち倒さんと暴れ狂う。
変わらず笑みを湛えていながらも、同様に暴力を欲して白銀を揺らし、ぎらぎらと禍々しき熱を孕んで漸が佇んでいる。
すぐにも距離が狭まり、風を切って拳を突き出すも、冷静にじっと軌道を見据えていた漸には通用せず、掌で受け止められる。
次いで繰り出すよりも早くに漸が動き、上半身へと目掛けて上げられた足を片手で制すも、僅かに速く見越していたかのように白銀が攻撃を止める。
足を下ろしてから直ぐ様くるりと向きを変え、察した瞬間には鋭い回し蹴りが放たれており、咄嗟に両の腕で防御を固める。
衝撃が走るも踏み止まり、深追いはせずに一瞬で足を下ろして離れ、共に出方を窺ってじりじりと爪先が揺れる。
「その手、大丈夫……?」
「あァ?」
「痛いんだろ……? 泣いてもいいよ。お前の泣き顔はもう見慣れてるから」
「テメエはいちいち癇に障る奴だな。これくらいで枷になるわけねえだろ。テメエをぶん殴りたくて疼いて仕方ねえ」
血塗れの拳を構え、ニッと獰猛な笑みを浮かべながら対峙し、嫌味な物言いを繰り返している漸を睨み付ける。
「ガキを逃して安心してるのか? これでもう大丈夫だなんて、そんな生ぬるいこと考えてたりしないよなァ……。俺はいつでも遊べるんだよ? 真宮ちゃん」
そう言ってから返事を待たず、得意の蹴りを繰り出そうと上げられた膝を捉え、自身も膝を上げて受け止める。
膝頭がぶつかり、力任せに押し退けながら素早く足を伸ばして蹴り、漸の頬を狙わんと風を切る。
だが腕を上げて咄嗟に防御され、またもそこからくるりと身体の向きを変えた漸から拳を振るわれるも身を屈めてかわす。
お返しとばかりに拳を振るえば受け止められ、相手からの攻撃も同様に阻み、一歩も譲らぬ攻防が続いていく。
「四六時中お前がベッタリと張り付いていられるわけもねえしなァ……。次は何して遊ぼうか。ああ、でもまずは、失敗しちゃった灰我君にお仕置きでもしてあげようか」
「テメエッ……」
「どうする……? それでも守りきれる自信がお前にはあるのか?」
「アイツにも、他のガキどもにも手ェ出すな……」
「ふうん、お優しいことで……。でもタダでは聞いてあげられないなあ~。お前は、俺に言うことを聞かせる為に何してくれるの?」
「あ? 何って……」
「手ェ出さないでやる代わりに、お前を好きにしてもいいわけ……?」
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