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Digitalis

含む物言いをされ、途端に良からぬ空気が立ち込めていき、何と返すべきか一瞬迷いが生じる。 何事か言い掛けようとするも、軽はずみな言動は身を滅ぼすだけであり、思考を巡らせてまずは真意を読み取ろうとする。 だが、費やすだけ無意味な時間が過ぎていき、この男の考えなんて始めから明かせるはずもなければ、理解出来る範疇などとうに超えているのだ。 「返事は……?」 小首を傾げ、ふっと笑みを溢しながら催促されるも、視線を合わせたまま沈黙を守る。 思案したところで無駄とは分かっていても、そう易々と呑むにはあまりにも漠然とした要求であり、交わす相手として最も都合の悪い人物が目前にて佇んでいる。 「流石にガキの為にそこまで身を投げ出すことは出来ない……? まあ、普通はそうだよなァ」 にこりと微笑まれ、同時に置かれている状況を改めて認識し、己が今どのような立場へと追いやられているのかを理解する。 初めから選択肢など用意されてはおらず、考える必要もないくらいに分かりやすい問いであり、少年を守る為には全てを呑むしか道はない。 「テメエ……、何企んでやがる」 「企むなんてとんでもない。それよりもお返事がまだだけど……? ガキのことはもういいのかな」 「いいわけねえだろ。テメエの気が済むまで好きにさせてやるよ。その代わりアイツらから手ェ引け。テメエだけじゃねえ、ヴェルフェごとだ」 淀みなく言い放つと、要求を受け入れてやったというのに、一瞬漸の表情から笑みが消える。 しかしすぐさま微笑を湛えているだけに、気のせいであったかと思えてしまうのだが、彼は最初から何事も無かったかのように唇を開いてみせる。 「何処の馬の骨とも知れないガキの為に、随分とあっさり明け渡しちゃうんだなァ……。どうせお前も、その辺の石ころと変わりないくせに。我が身より優先するなんて馬鹿じゃねえの?」 「ゴチャゴチャうるせえな、返事はしただろうが。テメエの好きにさせてやるって言ってんだろ。その代わり約束は守れよ」 「約束……? 何かしたっけ」 「テメエ……」 「はいはい、ガキどもから手ェ引いてやるよ。まあそれは……、お前の働き次第だけどな」 口角を釣り上げ、不敵に微笑む漸からは不穏な気配しか漂わず、圧倒的不利な展開にしか転がらない。 しかし口約束とは言え、間違いなく少年達からは手を引くと紡がせたことにより、ひとまずは少しだけでも良しとしなければならない。 何が待ち受けているのかは不明だが、考えたところで仕方がない。 「だがその前に一発殴らせろ。この程度じゃ気が済まねえんだよ」 「別にいいぜ……? でも俺、大人しく殴られてやる趣味はないから、思い通りにならなくても恨むなよ? 自分の弱さに嘆くんだな」 「テメエはホント腹立つな」 紡ぐと同時に地を蹴り、餓えた獣のように眼光をぎらつかせ、対して漸も酷薄な笑みを浮かべて力強く踏み出してくる。 すぐにも拳が渡り合うかと思いきや、漸は駆ける勢いを殺さずに飛び蹴りを仕掛け、予想外の展開に目を見張るも身を屈めて咄嗟に横へと免れる。 直ぐ様向きを変えれば、銀髪の青年も着地してから反転し、身構えてから間髪入れずに火花が散る。 距離を詰めながら拳を振るえば肩を蹴られて押し返され、一瞬の静止を突いて双眸へと迫る手刀からすんでのところで顔を背け、体勢を崩しながらすかさず足元を狙って蹴りを入れる。 だが寸前でかわされ、飛び上がったところを追撃しようと膝を狙うも、漸は片足で壁を蹴ってから一気に差を詰めてくる。 「くっ……!」 顔面へと膝蹴りが迫り、咄嗟に両腕で阻むも衝撃が走り、だがゆっくりしている暇もなく直ぐ様体勢を立て直す。 同じように漸もすぐに着地してから構え、何度か拳を交える攻防を繰り広げていた時に、たまたま血に塗れている手から飛散した赤い滴が、白銀の双眸を闇へと閉ざす。 刹那の隙が生じ、漸の目蓋が下ろされて顔を背けた瞬間には、逃すこともなく繰り出されていた拳が彼の顔を捉える。 「くっ……!」 思いきりぶん殴ると、漸が体勢を崩してよろめきながら、呻くような声が漏らされる。 容赦無く追い討ちを狙うも、彼は踏みとどまってから背を向けて駆け、逃がすかと後を追っていく。 だが彼が尻尾を巻いて逃れるはずもなく、頭に血が昇っていて容易く誘いに乗ってしまい、向かう先が壁であると気付いた時には漸が飛び上がる。 壁を蹴って更なる高みへと上がり、頭上を越えて後方へと宙返りし、数秒の間に追い詰めていたはずが壁際に追い込まれている。 「うっ……!」 振り返る頃には眼前に漸が迫り、叩き入れられた拳を防ごうとかざした掌へと痛みが走り、壁へと強く背中が叩きつけられて眉を寄せる。 そうして一方の手にはナイフが持たれていることに気が付き、ひたりと頬に当てられて動きを封じられてしまう。 「気ィ済んだ……? 顔はやめてほしかったんだけどなァ……」 負傷している掌で拳を防いだものの、嵌められている指輪を押し付けられて痛みが走り、そのまま指を絡ませられて壁に押し付けられる。 目の前には、美しくも口元に傷を負っている青年が居り、拳を叩き入れた証が痛々しく刻み込まれている。 それでも彼は妖しく微笑むばかりで、血にも構わず手に手を合わせて押し付け、喉元に鋭い切っ先をちらつかせて迫ってくる。 「思いきり殴ってくれたお陰で、口の中切れちゃった」 「ハッ、ざまあみやがれ。こんなもんじゃまだまだ足りね、うっ、ぐ……!」 「少しは手の傷良くなったかなあ。まだ血ィ出てるね」 「う、うぅっ……! くっ」 ぐり、と拳を握り締めて指輪を押し付けられ、傷口を抉られる痛みに苦悶の表情を浮かべ、耐えようとしても呻く声は抑えられずに漏れていく。 「はぁっ、はっ……」 「俺の言うこと……、なんでも聞くんだろ……?」 「うっ、く……」 「お前の望みはちゃんと叶えてやるよ。だから……、たっぷりと遊ぼうか。真宮……」

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