169 / 343
Digitalis
有無を言わさず、鋭き双眸に晒されながら向かい合い、暫しの静寂が訪れる。
刃を突き付けられている為、壁へと押し付けられたまま身動きが取れず、目と鼻の先には銀髪の青年が佇んでいる。
いつの間にか笑顔が消え、急に真面目な表情で見つめられて居心地が悪く、慣れない視線に戸惑う。
つい先程まで嫌味な笑みを浮かべていたというのに、今では此の身を間近でじっと見つめており、何もかもを暴かれているような錯覚に陥ってしまう。
「おい……」
沈黙に耐えかねて声を掛けるも、相変わらず黙して視線を注いでいるだけであり、一体何がしたいのか分からなくて混迷を極める。
間がもたず、あまりの居たたまれなさにやがて堪えきれなくなり、痛々しく血を纏っている手を視界に収め、情けなくも彼の瞳から逃れてしまう。
「真宮」
未だ掌が重なり、すっかり漸の指輪までもを血塗れにしており、溜め息が出そうな光景が広がっている。
手当しねえとな、なんて思っていると不意に呼び掛けられ、口を開くよりも早くに視線を向ける。
せっかく逃れたというのに、またしても傲慢なる眼差しに捕らわれてしまい、名を紡いだ割にはなかなか語ろうとしない。
なんなんだよと思うも、大人しく視線を合わせていると唐突にナイフが退き、折り畳まれて漸の懐へとしまい込まれていく。
一部始終を眺めていると、禍々しき刃を隠すと共に距離を詰められ、察する間もなく唇へと感触が降り立ってくる。
すり、と指先を滑らせてから口を塞がれ、すべらかな手に頬を撫でられる。
状況を察するよりも早く、易々と口内へ舌を差し入れられ、拒もうともすぐに居所を暴かれてしまう。
ねっとりと絡み付き、逃れられもせずに舌を触れ合わせ、くちゅりと唾液が混ざり合って音を上げる。
丁寧に、けれども決して自由を許してはもらえず、執拗に舌を絡ませられては深く口付けられ、徐々に吐息へと淫らな熱が孕まれていく。
「んぅっ、ふ……、はぁっ」
いい加減にしろ……! とは思うも抜け出せず、このままではあらぬ気持ちを呼び覚まされてしまいそうで怖く、出来ることならば一刻も早く解放されたい。
だが許されず、元よりもたらされる全てを受け入れる以外に道はなく、口付けを拒む権利すら今や剥奪されている。
こんな所で何考えてんだと焦りを滲ませるも、時間をかけてゆっくりと口内を暴かれていく感覚に溺れ、いつしかいやらしい滴が顎を伝い落ちていく。
頬が上気し、くちゅりと絡み合う粘膜が絶えず響き、鼓膜へとこびりついてなかなか離れてくれない。
呼吸が乱れ、か細くも悩ましい喘ぎが漏らされていき、最早為すがままに唇を触れ合わせている。
「んっ、は、ぁっ……」
時おり首筋を撫でられ、ひくりと身体を震わせて感じ入り、少しずつ力を奪い取られていく。
たっぷりと時間をかけ、執拗なまでの口付けだけで容易くとろかされていき、隠しきれない淫靡な熱が息遣いへと乗せられている。
ちゅ、と角度を変えて何度も攻められ、このままではいけないと分かっているのに思考へ靄がかかってしまう。
壁に背を預け、どうして漸と唇を重ねているのだろうかと思っても、納得するような答えにはきっと辿り着けない。
身体から力が抜けていき、負傷している手がずり落ちそうになるも支えられ、漸の掌に尚も重ねられている。
「はぁっ……、あ」
妖しげな雰囲気で充たされ、羞恥を煽るようにじっくりと口内を貪り尽くされ、気の遠くなりそうな一時を経てようやく漸が離れていく。
乱れた呼吸を繰り返し、蕩けた表情で頬を染め、唇から唾液を伝わせながらぼんやりと視線を注ぐ。
文句の一つでも言ってやりたいのに、何にも言葉なんて出てこないどころか考えられず、甘やかな吐息を漏らしているしかない。
視線を絡ませ、長い口付けを終えてからも暫く黙っていた漸が、艶かしく濡れ光る唇を舐め上げる。
ふ、と微笑み、憎たらしくも美しい青年はどのような表情をしても様になり、腹が立つけれども今や言葉すら奪われている。
「えろい顔。キスだけでたまらなくなったの……? やらしい奴」
さらりと髪を撫でられ、恥ずかしさで顔が熱くなるも何にも言えず、鈍る思考は役立たず以外の何物でもない。
ふいと顔を背け、眉間に皺を寄せて苛立ちを募らせるも改善されず、この男と時を同じくしている内は安寧なんて訪れないことであろう。
「さっきまでの威勢の良さは何処にいっちゃったの?」
「いちいちうるせえんだよテメエッ……」
「無理すんなよ、そんな物欲しそうな顔しておいて。本当は全然物足りねえんだもんな……?」
「勝手なことばっか言いやがって……。ンなわけねえだろ、クソ野郎」
多少落ち着きを取り戻し、紡がれる台詞へと返せるようにはなったのだが、付き合いきれない会話ばかりが繰り返されている。
全てが気に入らず、楽しそうに口角を釣り上げている漸から離れたいのだが、これから暫くは彼と共にいるしかないようである。
それはつまり、今しがたの出来事を交わさなければならないという屈辱であり、後悔したところで一縷の逃避すらない唯一の選択肢であった。
「鈍いお前でも流石に分かるよな……? これから何して遊ぶのか」
耳元で囁かれてぞくりと背筋が鳴き、未だ火照っている身体が感覚を思い出そうとするのを止め、抗いたくて仕方がないのに受け入れるしか道がない。
たまらず視線を逸らし、言うべき言葉も見つからずに立ち尽くすも、魔の手から逃れることなど出来やしない。
落ち着きを失っている様を見て、漸は嗜虐心をそそられながら色艶を孕む笑みを見せており、繰り返したくはない時が近付いてきている。
「場所変えようか。おいで」
優しげに紡いでからキスをされ、一体何の意味があってこのような行為に及ぶのかと考えても、納得出来るような答えになんて辿り着ける気がしない。
揃いの血塗れた手を繋ぎ、にこやかに此処から立ち去ろうとする漸へと倣い、複雑な表情で後をついていく。
事が起こる前から、何が待ち受けているのかすでに分かっているというのは、殊更に気分を沈み込ませてくれる。
不毛でしかないと分かっているからこそ、彼はこのような一手をわざわざ選ぶのだろうか。
考えても仕方がない、けれども何か考えていないとやっていられない。
そのような心境を知ってか知らずか、視界にて白銀が揺らめいている。
冷ややかな手に宿る僅かな温もりには、一体どのような想いが秘められているのか。
共に何も語らず、靴音だけを重ね合わせながら歩を進め、いずこかを目指して彼に手を引かれていく。
思考はとうに掻き乱されて、どうしたらいいのかなんて思い付けるはずもなかった。
ともだちにシェアしよう!