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まやかしの安寧

「あの野郎……、無茶苦茶にやりやがって……」 ぼそりと呟き、溜め息を漏らしながら背中を預け、雑踏に紛れて人を待つ。 休日の昼間なだけあり、駅構内には大勢の人が詰め掛けており、それぞれの目的を目指して朗らかに行き交っている。 一体何処から集まってくるのか、絶えず流れていく人波を尻目に、改札の見える場所にて柱へともたれ掛かっている。 未だ本調子ではなく、歩き回るのは勘弁してもらいたいところであり、心身共に倦怠感で包まれている。 深く、何度目かの溜め息を漏らし、このような状態へと追いやってくれた張本人を思い浮かべ、眉を寄せながら独白する。 「……余計なこと言っちまったな」 視線を下ろし、思い出したくはなくても過ってしまう過去に、今更ながらに後悔を感じても全てが遅い。 思い詰めたような表情を浮かべ、遠慮がちに左腕へと手を差し伸べてから擦り、手遅れであると分かっていながらもどうしても悔いずにはいられない。 容易く流されて、安易にその名を紡いでしまって、銀髪の青年に存在を明け渡してしまった。 明かしたことですぐにも何かが変わるわけではないけれど、裏切ってしまったような想いに駆られてしまい、一点を見つめながら罪悪感に苛まれていく。 自ら接点を設けてしまったようなものであり、万が一にも彼が赴いていくことがあれば、全てが白日の下に晒されることがあれば果たして自分は、あの人になんて言い訳をするつもりなのであろう。 「刻也さん……、最近会ってねえな。忙しいんだろうな……」 生地越しに刺青へと触れ、揃いの印を思い浮かべながら名を紡ぎ、そういえば最近会っていないなと寂しく感じるものの、なかなか自分からは気安く連絡も出来ないでいる。 いつでも会いたいけれど、多忙な身であろうから気が引けてしまい、結局は何にも出来ないままに日常が過ぎ去っている。 だが、今となっては会いたいという気持ちよりも、合わせる顔がないという想いで占められており、自分は一体何をやっているのだろうかと自責の念に駆られていく。 自ら選び取った結果であるというのに、まだ往生際悪く後悔しているのだろうか。 正しい事をしているのか、本当にこうするしかなかったのか、他に手立てはなかったのかと巡る思考は止まず、済んでからうるさく喚き立てられたってすでにどうしようもない。 それなのに責めるような言葉は止まず、かつてあの人が統べ、守ってきた群れをこの手でけがしているのではないかと思えてきて、一人になるとますます考え込んでしまう。 「祀井……、漸……」 夢うつつをさ迷っているような状態でも、紡がれた名は忘れ去られずにとどまっており、改めて口にすることで我が身へと覚えさせるつもりでいるのだろうか。 一体どういうつもりだ……、なんなんだよアイツは……。 ぐっと腕を掴みながら俯き、幾度追いやろうとも離れてはくれない姿に苛立って、それなのに最後には縋ってしまう自分が確かに居て、どうしようもなく許せなくて情けなくて消えてしまいたいのに、何でもないような顔をしてこうして群衆に紛れている。 其処に意味は無いのに、何の感情も無いというのに、どんどん後戻りの出来ない深みへと填まっていくようで、一度ならず二度までも他言出来ぬ時を過ごしてしまった。 俺が選んだことだ……、現にあれから奴等はもう手出ししてねえだろ……、事が済んだならもうそれでいいじゃねえか……。 饒舌さが滑稽に映り、揺らいで仕方がない心を守ろうと懸命に言い訳を考えているようで、紡いでいく程に自分が惨めで仕方がなくなる。 溺れてしまった身で何を言っても全てが虚しく聞こえ、最後には何もかも忘れていたくせによくもそんな事が言えるものだと苛む思考が止まらない。 奴が何をしてきたか考えろ、と己を叱咤しても熱を交わした一時がいつまでも邪魔をして、どうして彼とそのような行為に及んでいるのかと考えたところで初めから答えなんてない。 すでにもう、這い上がれないくらいの深みへと踏み込んでしまっているのだろうか。 あの男が憎い、だがそれ以上に自分を許せない。 俺は……、何をしてる……? あの人どころか……、このままじゃ誰にも合わせる顔なんて……。 「迷うな……。これでいい。らしくねえぞ……」 心を落ち着かせようと深呼吸し、ゆっくりと瞬きをしてから視線を上げると、先程までと変わらぬ光景が広がっていく。 容易く心を揺さぶられるなんて、らしくない。 自らの選択に苛まれるなんて、本当にらしくない。 「どうしちまったんだろうな、俺は……」 ぼんやりと視線を注ぎながら呟き、一瞬にして喧騒へと溶け込んでいく言葉は、当たり前に誰の耳にも入らない。 気を抜けば、すぐにもまた這い上がろうとする葛藤を追いやり、過ぎてしまったことを引き摺るなと思考を切り替える。 とてつもなく浮かない顔をしているような気がするが、いつまでもそんな状態ではいられない。 そろそろ時間だろうかと、丁度壁に掛かっている時計を見つけて確認し、見知った顔が現れるのを待ちながら大人しく佇む。 大切なものの為なら、此の身くらい幾らでも捧げてやるけれど、彼の手に堕ちてしまったことがいつまでも脳裏へとこびりついている。 考えないように努めたところで、すぐにも過っては面倒な雑念に阻まれてしまい、これ程の雑踏で立ち尽くしていても回避出来ないなんてなんというしつこさであろう。 本当にこの手で守れたと言えるのか、こんな手に守られて誰が幸せになれるのか、そもそも何を守れたつもりでいるのかと、荒波のように押し寄せてくる情念はなかなか纏わりついては離れてくれない。 息遣いをも思い出せるくらい、根深く刻まれている情事を経て、望まなくてもまた顔を合わせてしまう日が訪れるのだろう。 漠然とした予感であっても、根拠のない確信があり、外れてほしいことほど現実になってしまう。 「まだ……、大丈夫だ」 一人で抱え、滑り落ちた独白はすぐさま掻き消えてしまうも、口にしたことで少なからず落ち着きを取り戻せたような気になる。

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