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まやかしの安寧

実際には、無理矢理にでも思い込ませているだけなのだけれど、このままでは袋小路に填まってしまう。 考えたくない、そう思えば思う程に溢れ出して止まらず、新たな葛藤をご丁寧にも植え付けてくる。 それならば自分は、一体どうしたら良かったのか。 すでに事は済んでいるというのに、いつまでも過ぎ去りし光景を過らせてしまうだなんて、今更どうしようもないのに後悔しているのだろうか。 雑踏へと紛れ、あらゆる喧騒を遠くに聞きながら立ち尽くし、結局また考えてしまっているなと溜め息を漏らすもやめられず、銀髪の青年をつい思い浮かべてしまう。 どうしてあの男は、ことごとく目の前に現れては行く手を阻み、不毛であると知りながらも此の身を求めてくるのであろう。 其処には何も秘められておらず、分かりきっていることなのだけれど受け入れられない情事であり、嘘でも我が身を納得させられる言葉を探してしまう。 屈伏して、彼にひれ伏したけがらわしい事実から心を守る術を、無意識に求めては手繰り寄せようとしている。 何を仕出かそうという気も起きないくらいに、ヴェルフェごとあの男を完膚無きまでに叩き潰さねばならないと、そう心に決めたはずだというのに実際はどうであろう。 「何も……、変わっていない。それどころか……」 いいように踊らされては、最終的に漸の思惑通りとなって転げ落ち、泥濘に填まってなかなか抜け出せないでいる。 いつ決着をつけるつもりなのだ、このような状態で顔を合わせてもまた、同様の事態へと陥ってしまうのではないかと考えてしまい、それはすなわちあの男に勝てないという一つの答えを弾き出す。 「違う……」 か細き否定は直ぐ様潰え、何度立ち向かったところで最後には彼が笑うと、黙らせようとしても耳元で絶えず囁いてくる。 あのような誘いに乗らなくても、力ずくで捩じ伏せてしまえば良かったというのに、倒さなければならない相手であるはずなのにどうして容易に打ち負かせず、いつだって彼に分があるのか。 好きにされて、それで解決した気になって、ヴェルフェを抑えたつもりになっている。 全てがアイツの思い通りに……、アイツがその気になればいつだって事態を変えられる……、あんな口約束を律儀に守るような奴じゃない……。 あの男がわざわざそうしてやっているから保たれている、今のこの日常はまやかしの安寧なのだ。 考える程に滑り落ちていく、這い上がれもしない底無しの暗闇へと、いつまでもあの男が付いて廻る。 俺は……、俺には……、何も出来ないのか……? 思考が読めず、企みが見えず、ただ徒に何にもならない時を過ごしては、真綿で首を絞めるように自尊心を抉られていく。 弱みを握られているようなものであり、容易く弾き返せる強さを持っていながらも、二度も敗北と変わらぬ苦渋を舐めさせられたことにより、一瞬でも勝てないと思ってしまったことでいとも簡単に足場がぐらついていく。 そんなはずはない、どうしてそのようなことを思ってしまうのだ、自分らしくないと捲し立てても状況が変わるわけもなく、今も何処かであの男は確かに息づいているのだ。 思考すらも囚われて、ずるずると引きずり込まれていくことにも気付かずに、彼の存在ばかりが日増しに肥大していく。 「俺は……」 どうしたらいい……。 彼の暇潰しに付き合わされ、遊ばれているといっても過言ではない現況に、誰にも打ち明けられずに心が磨り減っていく。 何を紡いでも気休めにもならず、どれだけ奮い立たせてもこうして思い悩んでしまい、自分にとってのあるべき姿が次第に見えなくなる。 もしあの男が本気でディアルを潰そうとするならば、この手で何処まで抗えるのだろう。 どうして揺らいでいるのだろう、負けるはずがないと、返り討ちにしてやるという言葉が即座に出てきてくれないのだろう。 恐れているのか……? 俺が……、アイツを……? 後ろ暗い事を握っているのは敵対者であり、揺さぶる方法なんて幾らでも持っている。 愚かで救えず、甘やかな堕落から逃れられず、突破口すら見出だせない自分に果たして居場所なんてあるのだろうか。 「まみ(にい)!」 悪しき情念に纏わりつかれ、止まぬ苛みに呆然と立ち尽くしていた時に、何処からともなく自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、我に返って弾かれたように顔を上げる。 「灰我……」 視線の先には、いつの間にか辿り着いていた灰我が笑みを浮かべており、改札を出て向かってきている。 にこやかに手を振られ、数多の者が行き交う中で一際目映く映り込む少年は、暗鬱な想いを弾き飛ばすかのような力でみなぎっている。 「お勤めごくろ~! 待たせてやったぜ!」 「生意気言ってんじゃねえよ。ガキのくせに」 「もう! ガキじゃないって言ってるだろ! ガキって言うな!」 「ンなこと言ったってガキだしなあ。あと、チビだし」 「む! そんなこと言ってられるのも今のうちだけだからな! すぐに追い越してやる! 見下ろしてやるんだからな!」 「へいへい、負け犬の遠吠えご苦労さん」 「なっ! 負けてねえし! すぐに追い付いてやるし!」 「ふ~ん……、夢が叶うといいよなあ。ちびっこ」 「も~! なんだよ、まみ兄のバカバカバカ!」 「ハハハッ! イテェって、悪かったよ。そんな拗ねんなってほら、機嫌直せって」 活発な少年にはもう、あの夜のような悲しみの涙はなく、とびきりの笑顔で向かい合ってくれている。 返答によってころころと表情が変わり、笑っていたかと思えばいつの間にか機嫌を損ねており、眺めているだけでも飽きの来ない少年である。 ついからかっては怒らせてしまうけれど、可愛い奴だと思っており、先程までの荒んだ気持ちも少年が現れたことによって少しずつ解きほぐされていく。

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