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孤高のカタルシス〈第三部〉

此処は虚ろだ。何もかも色褪せて見える。 踏み出した先から腐敗していくような、もう何度見せられたか分からない光景を、脱け出す術もなく諦観の眼差しで見つめている。 どうせ何も変わりはしないから、分かりきっていることであるから、いつしか足掻こうという想いすらも消え失せた。 仄暗い世界で、何の感慨もなく流れていく情景は、一時の安らぎでさえももたらそうとはしてくれない。 ただ繰り返し、いつまでも責めるように纏わりついては離れず、望まなくても気が付けば其処へと堕ちている。 「また此処か」 目前にて繰り広げられていく過去を、記憶の断片を見せ付けられながら立ち尽くし、淡々と独白する。 変えられもしないのに、どうして執拗に脳裏へと過らせては、刷り込むように見飽きた出来事を再生していくのであろう。 後悔している……? 誰が……? 俺がか? 何処にそんな必要がある? 勝手に目の前から消えていった奴等を、未だに気にして夢にまで見ちゃうって……? 随分とお優しい事だよなァ……、そんな慈悲深い心がまだ残っているとは到底思えねえんだけど。 「ねえだろ……。どう考えても」 自問自答し、付き合っていられないとばかりに溜め息を漏らし、暗がりにて映し出された日常をぼんやりと見つめる。 あどけない子供と、それから成長を遂げた青年が、視線の先で各々の人生を幾度となく送っている。 何度も何度も、此処へと降り立つ度に飽きもせず繰り返しては、脱け出そうとも思わずに定められた未来へと辿り着いていく。 自我など有らず、まるで機械のように寸分の狂いもなく同じ行く末を歩み、最後に行き着く場所はいつも決まっている。 『ママ! 何処に行くの? 僕も連れて行って!』 わざわざ聞かせなくていい、何度も繰り返しやがっていい加減うぜえんだよ。 目蓋を下ろしても止まず、滑り込む音声だけでも容易く脳裏へと浮かび上がり、どのような場面が広がっているのかなんてすぐにも分かってしまう。 少なからず苛立ち、自然と溜め息をついてしまいながら、ゆっくりと双眸へ光を宿す。 消え失せてくれるわけもなく、やはり其処では相変わらず無価値な過去を繰り広げており、今では女に縋り付いている無垢な子供が見える。 隣では、同時進行で全く異なる光景が映し出されており、嫌みにも二つの事実を映画館にでも居るかのように公開している。 『貴方の事が好き。笑ってる顔が好き。ねえ……、もっと私にだけ見せて……?』 爽やかな風に揺られて、暖かな陽射しに包まれて、青年の前で誰かが微笑んでいる。 拒むように薄らいで、はっきりと姿を確認することは出来ないけれど、蘇らそうと思えば幾らでも思い浮かべられる。 そうするつもりなんて更々ないけれど、やろうと思えば何度でも再現出来る。 悔いているのではない、忘れない為に、此の身へと刻み付けて憤懣(ふんまん)の情念を絶えさせぬように、きっとこの微睡みが繰り返されているのだ。 忘れる気もなければ、忘れられるはずもないのに、後どれだけ執拗に突き付けたら満足し、このくだらない螺旋がぷつりと途切れてくれるのか。 「何も変わらない。変わる必要もない。馬鹿みたいに延々と、其処で繰り返していればいい」 結局休まらないから、眠りたくなんてないのに。 堕ちているのなら仕方がない、きっと今は何処かで寝てしまっているのだろうから、見慣れた光景へと沈みながらじっとやり過ごしているしかない。 誰もが羨むような美貌を持ちながら、毒を孕む蜘蛛のように獲物を欲している女が、冷え冷えとした視線を注ぎながら佇んでいる。 忌むべき対象であるかのように、そのものを一瞥してから省みることもなく、今宵は誰の慰みものに嬉々としてなるのだろう。 寂しさを滲ませ、今にも泣き出しそうな子供を遠くに見つめて、鬱陶しい奴だなと静かに思う。 幾らその手を差し伸べても、決して繋いでもらえることはないのに、分かっているのに何度でも繰り返しては振り払われている。 学ばない奴だ、いい加減に察しろよ。 感じたところで意味もない、見飽きたと言いながらも結局何度も同じことを紡いでしまい、自分でも馬鹿だと思っている。 確かめるように繰り返さなくても、最早この心は揺らいだりしない。 誰にも明け渡したりはしない、其の身を、心を欲することもない。 全てが陥れられるべき対象であり、何もかもがどうだっていい、所詮は思っていた通りの事柄であり、外れるものなんて何も。 「……今、誰を思い浮かべた」 一瞬、永遠とも思われる光景へと割り込んで、何者かの姿が映り込んだような気がする。 いつもとは違う展開に、僅かではあるが気を逸らされてしまい、思い出そうとする心を反射的に捩じ伏せている。 どうしてそんな事をしなければならない、好きにさせても揺らがないのに。 頭では分かっているのに、真っ向から見つめてくる澄んだ瞳を覚えていて、躊躇いもせずに我が身よりも他者を守ろうとする青年が、あまりにも自分とはかけ離れていて理解に苦しむ存在が、こんなところへ割り入ろうとしている。 これまでとは異なる事態に晒されて、何が起ころうとしているのかが分からない。 変わらぬ夢うつつへと沈み込んで、時が過ぎていくのを無感情にただ眺めていれば良かったというのに、思わぬ侵入者に僅かながらも戸惑ってしまう。 それでいて這い上がる苛立ちが、一瞬でも誰かを思い浮かべてしまったことを許せず、夢にまで現れようとする存在感に尚のこと腹立たしさが増していく。 本当に理解してほしいなんて、されようなんてこれっぽっちも思っていない。 毎日のように飽きもせずに話を聞かされて、なんとなく片隅に残ってしまっただけのことなのだ。 何かを欲しがって、積み上げてきた現状に佇んでいるわけではない。 アイツも同じ、今までと何も変わらない。 まじないのように心を巡り、弄ぶ対象でしかない君臨者であるというのに、どうして気が付くと考えてしまっているのだろう。 それでもいつかの情景は途切れず、無表情な視線の先では未だに続いている。

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