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孤高のカタルシス

「あの子供はもういいのか。すでに事は済んでいるのかもしれないが」 片手でハンドルを握り、煙草を手に取りながら紫煙を燻らせ、窓の外へと流れては消えていく。 様々な車種が行き交い、渋滞とまではいかずとも混雑しており、一体何処からこんなにも集まってくるのだろうか。 面倒な事になってきたな、とは思いながらも素知らぬ振りを決め込み、立ち並ぶ店を何とはなしに見つめる。 「ああ、灰我君ね。飽きちゃったからもういいや」 「そうか」 平然と言い放てば、特に追及をされることもなく会話が途切れ、再び静けさが舞い戻ってくる。 飽きた、とは言ったものの、初めから興味なんてあっただろうか。 少年に限らず、マガツであっても、ディアルであっても、惹き付けられるような存在なんて何処にもいないはずであり、みな等しく同列である。 それなのにどうしてあの男ばかりが鬱陶しくちらついて離れないのだろう。 クラブで真宮と出会し、彼が骸とぶつかっていることを知って、悪戯な心が芽生えて少年達へと手を出し、結果として思い通りに弄んで楽しんだ。 真宮が現れたから、気紛れに素性を暴きながらも放っておこうかと思っていた少年を巻き込み、マガツをけしかけ、彼を組み敷いていつまでも其の身を汚した。 まるで、彼の為に重ねられた悪行のようで、手元へと手繰り寄せて、支配して、その目に宿すのは自分だけでいいと、有り得ない言葉が(にわ)かに湧いてきて馬鹿らしいと溜め息を漏らす。 辺りにて蔓延っている輩とは少し違う、それはよく分かった。 身を挺して他者を守ることも、我が身可愛さで掌を返さぬことも、真っ向から立ち向かってくることも、決して逃げないことも、と巡らせながらふと我に返り、そんな事別にどうだっていいだろと悪態をつく。 見せかけではない、無理をしている様子もない。 あれが彼なのだ、そこにはなんの卑しい損得勘定も存在しない、素のままの姿なのだ。 「そんな奴いるのかよ」 「何か言ったか」 「別に。何でもない」 「ならいい。そろそろ着く」 然程意識せず、流れていく景色をただぼんやり見つめていると、そろそろ目的地へ到着することを告げられる。 言われてから視線を向け、先の様子を窺ってみると確かにそれらしき建物が見えており、ようやくスタートラインへと辿り着くらしい。 未だ事は始まっておらず、一体どれだけ篭っていればいいんだかと溜め息を漏らしつつ、まあ暇潰しくらいにはなるかと観念する。 視認出来るだけあって、それから程無くしてライブハウスへと到着し、緩やかに路肩へと逸れては正面に停車する。 「先に行ってろ。車を置いてくる」 「まさかお前、そのまま俺を一人だけ取り残して……」 「戻って来るから安心しろ。また後でな」 駐車場が無いらしく、何処かへと停めてから向かうようであり、先に入っていろと促される。 元から予定に無く、別段楽しみにしているわけでもないので停めてから共に向かっても良かったのだが、まあどちらでもいいかと紙片の一枚を彼に託しながら扉へと手を添える。 ロックを外され、助手席のドアを開けて地へと降り立ち、閉めればそのまま互いに目を合わせることもなく別れ、何事も無かったかのように車が離れていく。 一人になり、会場を見つめながら暫し佇み、このまま通り過ぎてしまうのもありだなと考える。 だが、なんとなく気が向いたのと、此処から何処かへ行くなりするのも面倒臭いと思ったこともあり、渋々ながらも僅かな好奇心と共に足を踏み出していく。 開演時刻を過ぎているので、外はがらんとしていて人気が無く、見えているのはスタッフばかりである。 「マジで何してんだろ」 思わず呟きながらも歩み寄り、差し出したチケットの半券を受け取り、中へと入っていく程に歓声が、演奏が、歌声が絶え間無く鼓膜へ滑り込み、渦中に通じているであろう扉を開ければ一気に押し寄せてくる。 先程までの静けさが嘘のように、別世界が広がっている此処は薄暗く、独特の空気を帯びている。 席は無く、誰もが舞台を熱心に見つめながら背を向けて立っており、乱舞する照明に彩られては楽しそうに盛り上がっている。 なかなか人気はあるようで、数え切れない程の観客で埋め尽くされており、会場もそこそこ広くステージまで奥行きがある。 勿論混ざって飛び跳ねたりするつもりは更々ないので、早々に壁際へと移動してから凭れ掛かり、音の波へと身を委ねる。 最後尾からは少し離れており、目の前を楽に行き交えるくらいの間隔があり、側に立っている者も居ない為に見やすいが、流石に舞台からは距離があるのではっきりと件の人物を認識するのは難しい。 しかし乙が誰であるかはすぐにも分かり、一際存在感を放ちながら間違いなく彼が今この世界を統べており、一身に視線を浴びて堂々と歌い上げている。 男らしい声ではあるが、何処と無く色艶を孕んでいて伸びやかであり、不快に感じさせずにすんなりと耳に入ってくる。 羅列も聞き取りやすく、摩峰子が熱を上げているだけあって顔立ちも整っているようであり、これだけの人気を博していても不思議ではないかと耳を傾ける。 『行き場を断たれた心が、終わりにしてほしいと涙する。親愛も、安寧も、切望も、真実も、全てが無慈悲な光だ』 マイクを片手に乙が視線を巡らせ、凶猛な雰囲気を湛えながら汗を滲ませ、一人一人へと語り掛けるように歌唱する。 摩峰子が言っていたけれど、確かに愛だ恋だと歌ってくれそうな気配は微塵も有らず、凛々しい面立ちで力強く歌声を届けている。 誰もが聞き入る中、滑り込んでくる歌声から余計な思考を巡らせてしまいそうで、こんなところにまで来て何を考えているのだろうかと呆れる。 まるでいずれ辿り着くであろう答えをすでに知っていて、恐れているかのようだ。

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