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安息のクレマチス
応えるように、金髪の青年からも笑みが零れ、会話が途切れた二人の間には静寂が揺蕩う。
周囲の談笑や音楽、光景が徐々に鮮明さを取り戻していき、自分が今何処で何をしているのか実感する。
葛藤は止まず、すぐにもまた暗闇へ囚われてしまいそうだが、一時的にでも解放されて安堵の笑みが零れているのだろうか。
辛辣に突き刺さるような言葉でも、僅かにでも理解を示されていると思えてしまい、救われた気持ちになって自分を慰めているのだろうか。
「あ? 誰だよ」
物思いに耽っていると、突如として賑やかな電子音が滑り込んできて、目の前の青年が面倒臭そうに声を上げている。
どうやら着信音であるらしく、ごそごそと衣服を探ってから取り出されたのは携帯電話であり、発信者を確認したのであろう彼から「げ」と言葉が漏れる。
渋々ながらという感じで、親指を滑らせてから機器を耳へ当て、何処かの誰かと通話を始めている。
『何処をほっつき歩いてる』
「あ~? 何処でもいいじゃねえかよ。間の悪りぃ奴だなァ~」
『まあ、いい。これから来れるか』
「たりぃ、めんどくせ。何か用かよ」
『問題が発生した。今すぐ戻ってこい』
「て始めから選択肢ねえじゃねえかよ。ンだよ、問題ってよー。くっそどうでもいい案件じゃねえだろうなァ。カマ野郎絡みの」
『当たらずも遠からずというところだ。放置すれば此方にも影響が出る。というわけで戻ってこい』
「ハァ~? わっけわかんね、て切るかよフツー! 返事聞けよ!」
相手は不明だが、どうやら話している途中で切られたらしく、眼前にて怒りの声を発している。
「問題発生か?」
「あ~、そうみてえなんだけどよォ、ろくに説明もしねえで切りやがってあの野郎……。まあいつもだけどな。突然切るからな、あの仏頂面野郎……」
「ああ、今のが例の奴か」
「おう、ろくな死に方しねえよアイツ。つうわけでだ、テメエとの時間はこれでおしまいみてえだなァ」
「ようやく解放されるってわけか」
「つれねえ言い方すんなよな~。結構楽しかったろ? そのうちまた会おうぜ」
「あんまり気は進まねえけど、まあその時はその時だな」
バチン、と顔の前で両手を合わせてごちそうさまと示し、立ち上がった青年が無造作に衣服から紙幣を取り出すと、乱暴に机上へと叩き付ける。
音の出所を見て、次いで見上げると笑みを浮かべている青年と目が合い、くしゃりと頭を撫でられる。
「じゃあな、真宮。残さず食ってけよ」
「釣りが大分返ってくるぞ」
「やるわ。元気でな~」
代金よりも余程多いであろう金額だが、気にする事もなく軽い調子で答え、ひらひらと手を振って彼が去っていく。
嵐のような男であり、立ち去れば一気に静けさが舞い戻ってきて、すぐには状況の変化に慣れずなんだか落ち着かない。
結局何だったのだろうかと、短時間に色々な事があり過ぎて夢でも見ているようであり、空席になった向かいをぼんやりと眺める。
一体どのような形で再会する事になるやら、もしかしたらもう会う事も無いかもしれないけれど、彼の強烈な個性はなかなか忘れられそうにない。
「連れ込んだかと思えば居なくなるし、勝手な奴だな」
溜め息混じりに呟きつつ、もそもそと残っている料理を口にして、暫し思考を休ませながら無心で過ごそうと努める。
賑やかというか、単に騒がしいだけというか、とにかく明るい男が急に居なくなった事でなんだかどっと疲れたような、気が抜けてしまって力が入らない。
外は相変わらずの空模様だが、まだ降り出さずになんとか持ち堪えており、往来も止むことはない。
すっかり冷めてしまったが、それでも美味しく感じられ、残さず食べながら先程の青年を思い浮かべる。
問題とは何だろう、自分には無関係な事であろうが何となく引っ掛かり、答え合わせも出来ないのに考えようとしている。
彼には彼の繋がりがあり、自分と同じように様々な存在が身の回りで息づいている。
当たり前の事なのだが、なんだか不思議に思えてくるというか、そこから更に連綿と続いていく縁は興味深くもある。
敵であると認識する者もいれば、味方であると受け入れる者がいる。
今のところ金髪の青年の位置付けは定まらないけれど、なんとなく味方とは言えないだろうなという予感は少なからずある。
あの男も、誰かにとっては……?
過る新たな情念に溜め息が漏れ、結局はまたしてもあの男について考えてしまうのかと呆れる。
その度に振り払いつつ、どのような存在であろうとも受け入れる理由にはならないと律し、さっさと食べて病院に戻ろうと次なる行動を決める。
本当ならとうに赴き、もしかしたらもう見舞いを終えて外へ出ていてもおかしくなく、見事なまでに予定を狂わされてしまった。
「腹一杯で眠くなりそうだな……」
態度の大きさは自信の表れか、先程の青年はなかなか腕が立ちそうであった。
殆ど売られてばかりでむやみやたらと吹っ掛けることはないが、血生臭い争いは寧ろ好きである。
金髪の青年ともいずれ機会があれば一戦交えてみたいと思いつつ、これまでの事を断片的に思い出していく中でふと、一人の人物に行き当たる。
そういえば……、最近アイツ見てねえな。
過去の一時が急に脳裏を過り、灰我達のままごとなんて及びもつかないような熾烈さで、方々を荒らし回っていた青年がかつて存在していた。
短期間に色々な事が起こり過ぎてすっかり失念していたのだが、その者とは結局勝敗を決していなかったなと思い巡らせる。
いつの間にかぱたりと見掛けなくなったが、今どうしているのだろうか。
族潰しだなんて恐れられていたものだが、見た目からの雰囲気ではそのような名に見合う荒々しさは感じられず、静寂の似合う寡黙な青年である。
名前、なんて言ったっけな……。
その青年との喧嘩はとても楽しく、もちろんきちんと決着をつけるつもりでいたのだが、いつしか姿が見えなくなってしまった。
もうやめたのだろうか、それとも誰かに負かされたかと思うも、それはまず有り得ないだろうとすぐに考えを改める。
「あ。芦谷 だ」
唐突に思い出した弾みで呟き、そうだそうだと納得しては記憶が鮮明に蘇っていく。
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