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Unknown

自分は今、一体何処で何をしているのだろう。 冷や汗が滲み、口の中は渇ききり、先程から息を殺してじっと佇んでいる。 あまりにも異様で、現実とは思えないような光景が広がっており、それなのに視線を逸らす事すら出来ないでいる。 血の気が引き、身動ぎ一つ出来ないままに立ち尽くし、何にも言えずに悪夢のような世界へといざなわれている。 明滅している照明の下、延々と繰り返されている鈍い音が鼓膜へと焼き付き、その度にくぐもった悲鳴が冷めた空気を震わせている。 ぼんやりと、何人かの背中が視界には収まっており、微動だにせず行く末を見守っている者も居れば、加担していたぶっている者も居るのだが、総じて感情が無く大層薄気味悪い。 然して歳は変わらないように思えるのだが、誰も彼も動じてはおらず場慣れしており、あまりにも落ち着いていて違和感ばかりが蔓延っていく。 「ぐっ……、もう、も……、許しっ……、うっ」 先程からずっと、渦中の人物から弱々しく紡がれていくばかりで、他には一切声が無い。 血反吐を撒き散らし、唾液を垂れ流し、冷や汗を振り撒いている様を前に、延々と容赦無く無言でいたぶっている。 どうしてこんな事に、と考えたところで答えには行き当たらず、気が付いたらもう取り返しのつかない事態に陥っていた。 何かがおかしい、そう思っているのは自分だけなのだろうか、周りは何とも感じていないのだろうか。 俺の感覚がおかしいのか……? いや、そんなはずはない。幾らなんでもこれは異常だと、自問自答を繰り返しながらも状況は変えられず、次第に気分が悪くなっていく。 「う、ぐっ……、もう、勘弁してくださっ……、う、うぅっ……」 この男が何をしたのだろうか、このままでは死んでしまうのではないかと、声も出せずに視線を注ぎながら思案し、やっとの思いでジリ、と一歩後退する。 赤黒い血に塗れていく男が、視線の先にて激しい暴力に晒されながらのたうち、言葉にならない懺悔を繰り返している。 喧嘩ではない、一方的な凶行であり、そもそも男は拘束されていて手も足も出ない。 足蹴にされ、煙草を押し付けられ、鈍器を振り下ろされ、数多を尽くして彼を散々なまでにいたぶっており、殺してしまうのではないかと身の毛が弥立つ。 見ていられない、一刻も早く離れたい、こんな奴等がいるなんて聞いてない。 吐き気が込み上げ、口元を手で押さえながら後退りし、踵を返して形振り構わず出入口へと駆けていく。 そうしている間にも、凄惨な見世物は色褪せる事もなく続けられ、彼等は淡々と責務を全うしている。 おかしい、狂ってる。 それならどうして自分は今、このような所で一時を過ごしているのだろう。 「はぁっ、はっ、う……、気持ちわり……」 吐き気を堪え、覚束無い足取りで当てもなくさ迷い、目を覆いたくなるような現場から逃れていく。 壁伝いに歩き、やがて立ち止まってずるずるとしゃがみ込み、瞳を閉じて落ち着こうと呼吸を整える。 肩を抱き、壁へと凭れながら口を閉ざし、先程の光景を脳裏から振り払おうと躍起になる。 人気は無く、通路の窓からは月明かりが射し込んでおり、仄かな明るさに包まれている。 不安を表しているかのように、袖をぎゅっと掴みながら縮こまり、うっすらと目蓋を開いていく。 辺りは雑然としており、照明は灯っていない為に薄暗く、幾つかの段ボールが無造作に置かれている。 雑居ビルの一室では、未だに凄惨な宴が続いているのだろうか、思い出すだけでもショックで具合が悪くなってくる。 行動を共にしてはいるけれど、彼等については何にも知らず、此処が何処なのかさえよく分からない。 もしかしたら自分は、何かとんでもない場所へ足を踏み入れているのではないかと狼狽えるも、すでにもう手遅れなのかもしれない。 「こんな所に居たのか。大丈夫? (らい)君」 身体を休めながら想いを巡らせていると、不意に声を掛けられて鼓動が跳ね上がる。 次いで目の前に何者かがしゃがみ込み、視線が交わると同時に認識し、見知った人物が現れた事を理解する。 「(あざみ)さん……」 弱々しくその名を呼ぶと、差し伸べられた手が頬へ触れてきて、心配そうに顔を覗き込まれる。 「顔色が悪い。気分を悪くさせてしまったかな。ごめんね、來君。あんな事に巻き込んでしまって」 「あ……、いや、そんな、気にしないで下さい。ちょっと頭くらくらしちゃって……、少し休めばすぐ良くなるんで……」 「俺を軽蔑した……?」 「え……? や、そんな事……、ないです」 「間が空いた。俺を怖い奴だと思った……? 本当はあんな事、俺だってしたくないんだ」 「分かってます……。薊さんは、あいつらとは違う……」 「俺にとってはあいつらも、君も、大切な仲間だよ。まだ慣れないかな? 無理もない。出会ってから日が浅いものね」 「えっと……、そうっすね……。あんま喋った事もねえし、何考えてんのか分かんなくて、ちょっと……不気味ッス」 「うん、そうだろうね」 頬を撫でられて、少しくすぐったい。 薊と呼ばれた青年は、物腰が柔らかく品の良い佇まいであり、男らしいと言うよりは綺麗と言い表すほうがしっくりとくる。 常時笑むように目を細め、それでいて色艶を孕んでいる彼に見つめられると、同性と分かっていてもなんだか落ち着かず、端からその気はないけれども逆らえない。 月光に晒されて、蜂蜜色の髪が煌めきを帯びており、肩に掛かりそうな長さである。 なんとなく恥ずかしいのでそろそろやめてほしいのだが、彼は微笑を湛えながらすりすりと頬を撫でており、反応を楽しんでいるようにも思えてくる。 「あの……、そろそろ、手……」 「ん~、來君可愛いなあ。あの程度で具合悪くしちゃうなんて耐性ないね。初々しくていいなあ、食べちゃいたい」 「えっと……、え?」 「ふふ、冗談だよ。慌てた顔も可愛いね」 「か、からかわないで下さいよ……」 「ごめんごめん。どう? 少しは体調良くなったかな」 「あ……、はい。だいぶ良くなってきました。勝手に抜け出してすみません」 「気にしないで。でも、此処に居てくれて良かった。帰ってしまっていたら寂しいからね」

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