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神の花
言い争いを余所に、暢気に紫煙を風に弄ばせていると、憂刃の傍らへと視線が辿り着く。
当たり前に一緒に居たのだろうが、すっかり憂刃に気を取られてしまい、いつの間にかナギリから意識が逸れていた。
相変わらず憂刃の傍らにて静かに佇んでおり、口を挟むような事は滅多にしない為、声を聞ける機会にはなかなか恵まれない。
だが、話せないわけではないので、こうして視線が合えば会釈をされ、手招きをしてみれば素直に応じてやって来る。
「止めなくて大丈夫か」
憂刃から離れ、目の前へとやって来た青年を見上げ、静かに声を掛ける。
そよと風が吹く度に、鮮やかに染め上げられている紅い髪が揺れ、顔に掛かるのを邪魔臭そうに手で払っている。
一見すると、燃え上がるような髪色と、黙して佇んでいる印象から近寄り難さを与えがちだけれど、想像と現実には自然と差が開いていくものである。
「楽しそうにしているからいいと思います」
「アレが楽しそうに映るのか」
「はい。ああ見えても憂刃は結構、エンジュさんの事好きですよ」
「そうか。上っ面だけでは分からないものだな」
「そうですか? アイツかなり分かりやすいと思いますけど」
「それはきっと、お前にしか分からないだろうな」
視線を向ければ、憂刃とエンジュは相変わらずいがみ合っており、可憐な見た目からは想像も出来ないような罵詈雑言が放たれ、とても好意的とは言い難い表情を浮かべている。
それでもナギリから見れば、あれでも随分と楽しんでいる御様子であり、エンジュを毛嫌いしているわけではないようだ。
此方へと構う事もなく、ひたすらに盛り上がっている二人から視線を逸らし、目前にて佇んでいる青年を再び見上げる。
ナギリは未だに彼等を、憂刃を殊更熱心に見つめており、其処には確かに情が育まれていると感じる。
確か、子供の頃からの付き合いだと言っていた。
それだけ共に過ごしてきたのならば、些細な変化にも直ぐ様気が付ける事であろう。
ナギリが言うのだから、現状では愉快にじゃれついているのだろうが、エンジュは小馬鹿にされて素直に怒っているのだろうなと、飛び交うやり取りを聞きながらふと考える。
あれから多少は時間が過ぎただろうか、最後の一人が現れそうな気配はしていない為、まだ事を始めるわけにはいかない。
「座ったらどうだ」
「あ、はい。失礼します……」
突っ立っているナギリへと声を掛ければ、ハッと我に返った様子で少々の動揺が窺えるも、素直に応じて傍らへ腰掛けてくる。
「あの……」
「なんだ」
「漸さんも来るんですよね」
「ああ。何か問題か」
「いや、特に何も……。憂刃が喜びます」
「まあ、そうだろうな」
流れていく紫煙を尻目に、遠慮がちに紡がれた言葉へと答えれば、何処と無く靄でも掛かっている様子で返事をされ、何がそうさせているのかを考えるまでもない。
「漸と親しくしていた女をまた傷付けたそうだな。お前も現場に居たのか」
「あ……、やっぱり、気付いてますよね。すみません、漸さんの事になるとアイツ、見境無くて……」
「別に謝らなくていい。俺には何の関係もない事だ。数多の内の一人や二人、あの男もいちいち気に留めない」
「気付いてますかね……?」
「さあな。お前達は隠し事が上手い。今回の事も公にはなっていないのだから、漸が知っている可能性は極めて低い」
「そうですか……」
口ではそう言いながらも、漸は全てを知っているような気がしてならず、その上で放し飼いにしながら楽しんでいるのではないかと思えてしまう。
纏わりつく存在が悉く粛清されていくのだ、どんなに鈍くても何かしら異様な気配を察するはずである。
それでも黙し、何事も無いかのような顔をして過ごしているのは、現状を面白がっているのだろうか。
視界で戯れるのは、彼等が陰で行っている事を知っているからこそ、わざわざご丁寧に餌を撒いているのだろうか。
「俺には、分からないんですけど……、なんか最近様子がおかしいって言うんです」
「漸の様子がおかしいということか」
「はい。俺にはいつもと変わらないようにしか見えないんですけど、アイツは絶対に違うって聞かなくて……」
「そうか」
「ヒズルさんから見てどうですか? 何か今までと変わっているところはありますか」
「いや、特に無いな。いつもと同じ、分厚い皮を被った化け物にしか見えないが」
「あ。そう、ですか……。やっぱり憂刃の気のせいですよね。なんかもうすっかり夢中で、漸さんに助けられて以来、アイツの世界は漸さんを中心に回っているんです」
「腹が立つか」
「まさか。俺はその時、一緒に居られなかったから……、漸さんには本当に感謝しているし、今こうして憂刃の側に居てくれて有難いと思ってます。アイツ幸せそうだから、それだけで俺は……」
「憂刃の幸福の為なら、何を犠牲にしても構わないんだな。お前は」
「……申し訳ないとは思うけど、この先に何があっても俺は、アイツから離れる事はないと思います」
控え目な物言いながらも、譲れない想いが鎮座しており、憂刃への情の深さが窺える。
単なる友情とは違う、もっと色濃く、切り離せない絆が存在しており、それは憂刃にとっても同じなのだろう。
「でも、このまま漸さんへの想いが加速していけばいく程、いつか大変な事になるんじゃないかって、漠然とした不安もあるんですよね……」
「それでもお前は、憂刃を取るんだろう」
「……そうですね」
「その時は是非とも特等席で眺めていたいものだな。お前達の謀反を」
「ちょ、そんな気はないですからね! 言っておきますけど!」
「そんなにムキになるな。好きなだけ側に居てやればいい」
慌てているナギリを傍らに、煙草を吹かしながらそよ風に撫でられ、平和で退屈な一時を過ごしている。
火種が無いのなら、いっそ燻らせてやろうか。
内なる囁きに眉一つ動かさず、流石は日頃からよく見ているだけあって、漸の言動に敏感であると思う。
憂刃が感じている通り、徐々にではあるが、漸には何かしらの兆候が見え始めている。
明確には言い表せないけれど、それでも何かが確実にあの男へと干渉しており、影響を与えているような気がしてならない。
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