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神の花

「一旦持ち帰る。追って連絡する」 あまり猶予はないけれど、直ぐ様取り掛かれるような案件ではない。 机上を眺め、目前では淹れ立ての珈琲が湯気を立ち上らせ、芳しい香りを惜し気もなく漂わせている。 会話が途切れ、静けさが一室を支配しているけれど、別段気にも留めない。 折角だからと前傾し、目の前に置かれていたコーヒーカップへと手を差し伸べ、どんなものかと一口飲んで味わってみる。 香ばしさが広がり、丁度良い温かみを孕んでおり、少なからず気持ちを落ち着かせてくれるであろう一杯であった。 「ええ、分かったわ。首を長くして連絡待ちわびてるわね!」 摩峰子が静寂を打ち破り、相変わらず華やいだ笑みを浮かべながら、すんなりと呑み込んで返答する。 顔を向ければ、ごく自然に摩峰子と視線が交わり、朗らかに諾と頷かれる。 元より、受け入れる以外に道は無いのだけれど、それでも摩峰子は快く笑いながら了承している。 「それまで持ち堪えられるか」 淡々と紡げば、言い掛けるものの唇を開いたまま、周囲へと窺うように摩峰子が視線を向けている。 柘榴、雛姫、龍妃の順に見回し、笑みを湛えながらも少々の困惑を察する。 「大丈夫だよ、摩峰子姉。我が家には、こわ~い番犬もいるしィッ! 先の見えない状況で、沈静化するまで休業するわけにもいかないじゃ~ん?」 「誰が番犬だ……」 「もちろん、龍妃ちゃんだよ! あ、でもえっちの時は可愛いにゃんこに」 「うるせえ! ややこしくするんじゃねえよ!」 「至って分かりやすいと思うんだけどなあ。ああもう、そんなに睨まないでよ~。はいはい、ごめんなさい。僕がわるうございました~」 雛姫が声を上げ、明るく笑いながら傍らへと腕を回し、見るからに獰猛そうな龍妃の頭を撫でている。 あからさまに不愉快な表情を浮かべられてもお構い無しで、雛姫は上機嫌に手慣れた様子である。 栗色の、さらりとしたすべらかそうな髪を揺らし、悪態をついている龍妃へと顔を寄せている。 なんだかんだで良好な関係を築いているようであり、言動の割には龍妃にそれ程敵意が見受けられない。 「そう言ってもらえると救われるわ。いつも頼ってばかりでごめんなさい」 「いざとなったら摩峰子姉のふっとい人脈でこわ~いヤクザでも連れてきてよ! アレ、その方が早くない?」 「嫌よ~! 借りなんて作りたくないわ! ていうか摩峰子そんな怖い人達と繋がりなんてないから」 唐突にしおらしくなるも、真に受けてくれるような輩は居ない為、エンジュの溜め息が聞こえてくる。 柘榴は特に参加せず、何も言わずに佇んでいるばかりであり、あまり意図を読ませてはもらえない。 「此方も情報を集めてみるわ! みんなで力を合わせて悪者退治よ~!」 尚も龍妃は雛姫に絡まれ、面倒臭そうに片手でしっしと追い払っている。 側では摩峰子がやる気を漲らせ、楽しそうに拳を突き上げて笑っている。 悪者退治、と言えば聞こえは良いけれど、正義を語るにはあまりにも悪辣な輩がヴェルフェには蔓延っている。 体制を整えるには、少なからず時を要する。 此方へと注ぐ人員は絞りたいけれど、それでもまだ足りてはおらず、穴埋めをどうするかこれから考えねばならない。 「コレ、貰ってもいい……?」 物思いに耽っていると、傍らから声が掛かり、見れば漸と視線が交わる。 件の包みを手にしており、にこりと笑い掛けられるも、微塵も真意を読み取らせる気はないようである。 「別に構わないが」 言ってから視線を巡らせるも、それぞれに会話を楽しんでおり、エンジュに至ってはとうとう倒れ込んで本格的に眠っている。 気にも留めず、今となっては包みが消え失せたところで、困る者なんて此処には誰も居ないだろう。 見渡して、再度傍らへと視線を戻せば、漸は微笑を湛えて前を向いている。 何を考えているのか、つい探るように見つめる。 眺めたところで何にも拾えはしないのに、それでも視線を注いでしまうのだ。 「そんな(あら)探しするような目で見ないでよ。何にも出ないよ……?」 双眸に気が付き、柔らかに声を掛けられるも、突き放すような冷ややかさを孕んでいる。 答えず、それでも視界に収めていると、いつしか彼がまた顔を向けてくる。 白銀を揺らし、造りもののように整った顔立ちへと、品の良い笑みを湛えている。 けれどもそこには、つい先程まで周囲へと見せていた柔和さに紛れ、獰猛さが確かに孕まれている。 自陣と言えども隙を見せれば容赦無く喉元を喰い破りそうな凶猛さを、美しい微笑みに紛れさせている。 「そういえば、エンジュが真宮に会ったそうだ」 静かに二の句を継げば、彼は尚も微笑みを絶やさずに視線を合わせている。 「ふうん、そう。それで……? そんな事をわざわざ伝えて俺の何を探ろうとしているの」 「単に知らせたまでだ」 「頼んでもいないのに知らせてくれるなんて、ご丁寧なお仲間だよなァ」 「お前が最も欲している情報だと思ってな」 「無駄な勘繰りどうもありがとう。お前って本当、嫌な奴」 「お前には及ばない」 方々での喧騒に紛れ、静かに話しながら煙草を取り出し、新たに一本咥える。 火を宿し、流れていく紫煙を見つめながら、これもまたいつも通りの軽口を言い合っている。 何処までが本気で、何処までが偽りで、何処まで探られているのか分からない状況を、互いに少なからず楽しんでいるのだろうか。 もう一方へと視線を向ければ、つい先程までは眠れないと騒いでいたのに、今では気持ち良さそうに寝入っている姿がある。 何とはなしに腕へと触れてみるも、全く起きそうな気配すらない。 収拾がつかない現状に、面倒とは思いながらも煙草を吹かし、暫しぼんやりとする。 漸も率先して収束させようという気持ちは更々ないようであり、珈琲を飲みながら時を過ごしている。 すでに事が起こっている割には、今この場所にはあまりにも平和な空気が漂っている。 内輪にて思い当たる顔を浮かべては、宛がうにふさわしい人員を値踏みしながら暫くを過ごし、紫煙を弄ぶ。 現在が最もうるさい気がするのだが、どうしてエンジュはすやすやと眠れているのだろうかと疑問に感じつつ、巻き起こる会話に耳を傾けていた。

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