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淀みと共に

「ねえ、どう思う? 似合うかな」 振り返ると、其所には一人の男が立っている。 黒髪を短く刈り上げ、整髪剤で整えられており、精悍な顔立ちをしている。 額に傷があり、褐色の肌をしていて体格が良く、黒のスーツを着用している。 その者から視線を注がれ、うっすらと笑みながら声を掛ければ、しかめっ面をして何事か考えている。 「自分にはよく分かりませんが……」 「そんなに深く考え込まなくてもいいのに。似合うって言ってしまえば俺も幸せなんだから。ね?」 はあ、と曖昧な返事をしている男を見て、楽しそうに口角を釣り上げる。 そうして視線を逸らし、再び鏡へと向き直れば、全身が映し出されている。 見慣れた白のスーツ、とは正反対な装いであり、現在は麹塵(きくじん)色のミリタリージャケットを羽織っている。 中には薄手の白いシャツを着ており、黒のボトムスで合わせている。 黒い縁の眼鏡を掛け、首からはネックレスが淡く輝きを帯びており、まるで変装でもしているかのような出で立ちである。 唯一、髪だけは変わらず黄金色であり、右の側頭部だけ編み込まれている。 「それにしても、どうしてそんな恰好を?」 「ん~、そうだねえ。いつもの恰好じゃあ、流石にちょっと目立つかなあと思ってさ。念には念を入れておいた方がいいだろう?」 「そうですね。自分達はともかくとしても、貴方は面が割れてますから」 「そうそう。あの辺は許枝(このえだ)さんのシマだからねえ、俺が悪戯しているなんて知られたら大変な事になっちゃうよ。それだけは何としても避けておかないとね」 映り込む己を見つめ、襟元を整えてから満足げに笑うと、鏡から離れていく。 悪戯とは言え、慎重に事を運ばなければいつ火種が燻るとも限らない。 「あ、君もいつまでもそんな堅苦しい恰好してないでさ、早く着替えておいでよ」 「え、自分もですか」 「当たり前だろう。せっかく俺がこういう恰好してるのに、あからさまに堅気とは思えないそれで混ざられたら、一気に台無しじゃないか」 笑い掛け、寝台に腰掛けながら衣服を探り、些か形の崩れた煙草を取り出す。 一本を引き摺り出したところで、彼が火を点けてくれようと一歩を踏み出すも、片手を上げてやんわりと制する。 伏し目がちに煙草を咥え、次いで衣服の物入れからライターを取り出し、仄かな揺らめきを眼前に灯す。 ふう、と紫煙を燻らせながら笑みを湛え、無骨な青年へと視線を滑らせる。 「それで、どうかな。もう足並みを乱そうとする悪い子は居ないかな」 「その辺は大丈夫かと。元々、薊さんに反感抱くような奴なんて居ませんから。アレは異端です」 「そう、それなら良かったよ。嫌われちゃうのは悲しいからね。でも、足を引っ張るような奴は置いておけないし、あの時の彼もきっと分かってくれるよね」 「分からなくていいっすよ。分からねえからアイツは去った。それだけです」 「そうだね。俺達は仲良くしよう。一時であれ、大事なチームだからね」 先日、愚かな為に群れから蹴飛ばされた塵芥の姿が、ふっと脳裏へ過る。 思出話に花を咲かせても、目の前の男からは特に何の感慨も湧いておらず、そもそも興味がないようだ。 彼に限らず、一団はそういう輩ばかりであり、人の生き死にに鈍感である。 そのような出来事は、後ろ暗い闇へと属していれば掃いて捨てる程に蔓延っており、いちいち気に留めてなんていられない。 群れで動いている限り、一人でも不穏な動きをしようものなら一息で牙城は崩れ、其れは即ち我が身を窮地へ晒す羽目になる。 誰もが分かっているからこそ、排除するべき相手にはより非情になる。 至って当たり前の世界であるが、かの青年には少し刺激が強過ぎたようであり、青ざめていた様子が未だ記憶に新しい。 「そういえば、彼は元気かな。暫く顔を見ていない気がする」 「毎日のように見てるじゃないですか。いいんすか、アイツこのまま置いといて。部外者ですけど」 「いいんじゃない? 彼いい子だよ。とっても優しいし、素直だし、それでいて従順だ。見た目に反して真っ直ぐな子で、恐ろしく染めやすいよね」 來を思い浮かべ、今頃は何をしているだろうかと微笑みを絶やさず、巻き込まれた哀れな青年を想う。 「アイツの手ェ借りる必要なんてありましたかね」 「まあまあ、可愛らしいからいいじゃない。少なくとも俺は癒されてるよ」 「人が悪いですね。連れては帰れませんよ。それに、あんまり内情を知られるわけにもいかない」 「はいはい、分かってるよ。目障りな事にはならないと思うけど、知り合ってしまった以上はいつまでも側に置いてはおけないからね」 「それを分かっていて構うんすから、貴方は本当に悪い人ですよ。それでいて最低です」 「アハハッ、辛辣だなあ! そういうところ、とっても好きだよ」 煙草を片手に、愉快とばかりに腹を抱えて笑えば、目前から溜め息が漏れる。 確かに、わざわざ來に教えを請わなくても、降り立った地について何もかもを把握していた。 分かっているからこそ、あえて此処へ来た。 薬の売買なんてついでだ、本当に成し遂げたい事は別にある。 「まあ、ついでとは言っても稼げる時に稼いでおかないとね。お金は生きていく上で、とっても大切なものだから」 「かなり気に入られて、リピーターも増えてるようですけど、そろそろ感付いてますよ。ヴェルフェでしたっけ」 「ああ、気付いちゃったかな?」 「そうっすね。大分捌いてますし、色々と事件も起きてるみたいですから」 「へぇ、どんな?」 「薬使ってまわしたとか、金品奪ったとか、まあよく聞く話ですけど」 「わあ、大変だね。怖いなあ」 まるで他人事であり、悪びれもせずに言い放っては笑んでおり、男との会話を楽しんでいる。 感付いているのなら好都合であり、寧ろそうなる事を望んでいる。 來と関わりを持ち、新たな事情を仕入れる事が出来たので、決してリスクばかりの出会いではないと思っている。 それに、どうしても邪魔になってしまうのならば、初めから居ないものとすればいいだけの話であるから何も問題はない。

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