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MIST
「來……」
戸惑うように名を紡がれ、思わず顔を背ける。
何か言いたそうにしており、聞きたくないとばかりに荒々しく音を立てながら遮り、ごった返している机上を更に乱れさせていく。
二の句は不明、けれども自分にとって都合が悪いであろう事は明らかであり、頑として言わせたくない。
最早何を探しているのか、さ迷う手の平はとうに迷子になり、意思を奪われて盲目にただ移ろいでいる。
夕闇が迫り、窓から射し込む茜へとあらゆる色彩が呑み込まれ、夜の訪れを知らせてくれている。
気まずい沈黙が漂い、掻き消すように書類や文房具を引っ掻き回し、一心不乱に触れては放っていく。
思考が縺れてまとまらず、単調な作業を繰り返しながら苛立ち、どうしてこんなにも憤懣へと囚われてしまうのかが分からない。
「アンタと話す事なんか何もねえ。いい加減出ていってくれよ……」
落ち着け、冷静になれと幾ら言い聞かせても、僅かに震える声へと静まらぬ怒りが込められている。
悠長に話なんて出来ない、話したくない、そもそも話になんてならない。
表情を強張らせ、しかめっ面で手元を睨み付けながら黙し、忙しなく探る。
「お前が探しているのは……、黒い包みか」
そうして投げ掛けられた言葉に、またしても何が起こったのか分からなくなり、ぴたりと一瞬動きを止めて立ち尽くしてしまう。
巡り行く台詞が、何度も何度も脳裏を通り過ぎていき、暫くは頭の中が真っ白で鼓動が乱雑に主張する。
黒い包み、黒い包みと何回か反芻したところで唐突に我に返り、即座に顔を向けて兄を凝視し、散らばる点が線へと紡がれていく。
「どうりで何処にもねえはずだ……。アンタが隠し持ってたんだな」
沸々と、天を貫く程の憤怒が絶えずあぶくを放ち、目前にて佇む青年を睨む。
そして同時に、在処が知れた事で少しだけ冷静になり、安心を掴み取る。
「勝手に部屋ン中漁んのが趣味かよ。急に干渉しやがって迷惑なんだよ。さっさと寄越して消えてくれ」
散らかした机へと寄り掛かり、夕陽を背に拳を握り締めて兄を見据え、一歩も譲らぬ台詞を浴びせる。
それでも青年は、咲は怯む事もなく相対し、見透かすような視線を注いで突っ立っている。
「それならもう此処にはない。……お前には渡さない」
「なっ……」
彼が持っていると信じて疑わなかったというのに、想定外の事態へと直面してたじろぎ、無いなんてどうしたらいいのだとまた焦りが這い上がってくる。
言葉を失い、到底受け入れられない事実を告げられて息を呑み、思い通りにならない現実に苦しむ。
自分を置いて勝手に遠くへ行ってしまったくせに、今更戻ってきて今度は邪魔ばかりしてくる。
憎い、煩わしい、どうして今になって、ほっといてくれ、どうだっていいくせに、寂しい、寂しい、と次から次へわき上がる想いが足早に過ぎ去り、全てが怒りに変わっていく。
「何勝手な事してんだよっ……。返せよ!」
「お前、何に首突っ込んでる。アレは何処で手に入れた」
「うるせえな、アンタには関係ねえだろ!」
「アレがどういう代物かお前は知っているのか。本当は、お前だってもう分かってるんじゃないのか……? お前の居場所が其所にはない事を」
「黙れ! テメエになんかとやかく言われたくねえ!」
「來っ……、俺の話を聞け」
「聞きたくねえ! もううんざりだ! ねえんならもういい、どけよ……!」
此処に居ても仕方がないと、目的を遂行するよりももう一秒でも早く彼から離れたくてたまらず、喧嘩腰で捲し立てながらそこをどけと兄へ促す。
けれども咲は一歩も動かず、まだ話は終わっていないとばかりに立ち塞がり、真っ直ぐに見つめてくる。
「お前の事が心配なんだっ……」
「何を今更ッ……、アンタなんかに心配されても迷惑だ!」
「何に関わってる。これから何処に行くつもりだ、いい加減に目ェ覚ませ……!」
「そんな事が言える立場かよ! いいからもう構うなよ、俺に……! どうなろうが知った事かアンタには迷惑掛けねえよ!」
半ば自棄になりながら声を荒くし、其処から動こうとしない兄に機嫌を損ね、どうして邪魔をするのだと腹立たしくて仕方がない。
居場所がないと言われてこんなにも気に入らないのは、本当はもう分かっているからと脳裏で紡ぎかけて制し、離れたら何処にも行く場所がないと追い縋る。
いつからこんなにもしがみつくようになってしまったのだろう、人のいい笑みを湛える美しき青年に惑わされてしまったのであろうか。
離れた方がいいのでは、と問い掛ける理性を幾度も欺いて、いつしか考える事をやめて薊へと溺れ、快く受け入れてくれる甘やかさに沈んでいった。
後ろ暗い群れであろう事に薄々感付いていながらも、それでも最早容易くは離れられない。
「お前を行かせるわけにはいかない」
「アンタが何を言ったところで変わらない」
「お前には悪い事をしたと思ってる。お前だけじゃない、両親にも……」
「別にどうだっていいっ……。反省会でも開きてえなら一人でやってくれよ」
「俺は逃げてた、何もかもからっ……。全てを自分のいいように解釈して、周りのせいにして、お前も傷付けた。寂しい思いをさせて悪かった……。側に居られなくてごめんな……」
「なに言って……」
頭ごなしに否定してしまえばいいのに、調子を欠いて一瞬怯んでしまい、謝罪を述べられて狼狽える。
でも、もう後には引けないからとたぶらかすように何者かが意識の奈落で囁いて、引き下がりかけた背中をとんと後押しして、きっと正直な気持ちであろう台詞を見てみぬふりして勢いよく足を踏み出し、隙をついて脇をすり抜けると部屋から猛然と出ていく。
「來! 待て……!」
包みは無い、探しても無駄だ、きっとあの人は口を割らないと胸がざわめき、苛立つ足音を響かせて階段を駆け下り、すぐ後ろから呼び止める声がしている。
聞こえていても構わず、返事もせずに歩いて玄関を目指し、棚から靴を取り出して放ると急いで履き、さっさと忌まわしき場所から出ていこうとする。
一刻も早く立ち去りたいのに、腕を掴まれて舌打ちを漏らし、顔を見ずとも背後に立っている輩を理解する。
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