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MIST

繋ぎ止めようとしてくれている優しさを拒み、今すぐ此処から離れてしまいたくてたまらず、腕を振り解こうと躍起になる。 揉み合いになり、一見すると線が細そうな兄の力は想像以上に強く、それがまた名の知れぬ苛立ちを沸々と増大させていく。 瓜二つ、とまではいかないけれどもよく似ており、血を分けた兄弟である事を嫌でも思い知らされる。 幼い頃は嬉しかった、周りから似ていると持て囃される度に誇らしく、かつては兄を慕っていた。 裏切ったのはお前の方だ、と心の奥底で兄を責め立てる声が上がり、いつからか憎しみに駆られるようになっていった。 激憤に溺れる理由は何処にある、今では怒りにうずもれて見当たらず、とうに探し方も忘れてしまった。 「離せ……! いい加減にしろよ!」 「それはお前の方だろ! 自分が何をしてるのか分かってんのか!」 「ンな事アンタなんかにいちいち言われなくても分かってる! アレはどう見たってまっとうなもんじゃねえ事もな!」 「だったら……!」 「それでも俺は! お前なんかと居るよりも薊さんを選ぶ! アレによって他がどうなろうと知ったことか! 手ェ出す奴が悪ィんだよっ!」 「お前……!」 「うるせえ! もうおせェんだよ!!」 怒気を孕んで猛り、一際力強く腕を引けば咲が段差に足を滑らせ、そのまま振り解いた手が青年へと当たってしまう。 光景が一瞬、ゆっくりと再生されて流れていき、体勢を立て直せずにぐらりと後ろへ倒れていく。 口論を聞き付け、居間へと通じる扉がいつの間にか開いており、母親が心配そうに顔を覗かせている。 「くっ……」 鈍い音を立て、廊下へと倒れた兄が低く呻き、たまらず母親が飛び出してくる。 「あっ……」 自らが招いた事態に愕然とし、言葉にならず呆然と立ち尽くす。 違う、俺が悪いんじゃない、アンタが俺を行かせてくれないからだと必死に言い訳を紡ぎ、居たたまれずに一歩後退して青ざめ、家族を傷付けてまで押し通そうとした事情すら分からなくなって、ただただショックを受けて見つめている。 こんな事をしてまで、違う俺は間違ってない、それならどうして罪悪感が降りかかるのだと混迷を極め、いやだもう見たくないと踵を返して縋るように扉を開き、呼び止める声を無視して外に飛び出していく。 「違うっ……、俺は、俺はっ……」 宛てもなく走り、答えの見当たらぬ台詞を吐露し、つい先程の光景がいつまでも頭から離れない。 嫌いなのに、憎んでいるのにどうして自分は、行いへと罪深さを感じているのだろうか。 「ハァッ、はっ……」 限界に達して立ち止まり、肩で息をしながら膝へ手を付き、上げていた前髪がまばらに垂れ下がる。 これからどうしようか、もう家には戻れない、一体何処を目指して歩いていけばいいのだろう。 どうしてこうなったんだっけ、と問い掛けても考えるのは嫌で、今度はゆっくりと歩き出す。 兄が謝ってくれた、本当に心からの想いであると察していたにもかかわらず、まともに取り合おうともしなかった。 「俺は……、どうしたいんだ」 今更優しくされても困る、もう随分と前から拗れてしまっているのに、今になってその手を差し伸べてくるなんてズルい。 「無くしちまったな……。どうしよ」 次第に辺りは薄暗くなり、とぼとぼと歩きながら溜め息を漏らし、彼は一体包みを何処へ隠してしまったのだろうと思う。 あのような形であったけれど、間近で咲と顔を合わせたのは久しぶりで、随分と印象が変わっていたような気がする。 変わっていた、というよりは、懐かしい記憶にて佇んでいる兄が戻ってきてくれたような、昔からよく知っている家族の姿が其所にはあった。 最近はもう家へ戻っているのだろうか、少なくとも母親との間にわだかまりは無いように映り込んだ。 物静かで、優しい兄が好きで幼い頃はよく後ろをついて歩いて、いつでも一緒に居たかった。 けれども彼はいつしか変貌し、冷え冷えとした双眸で此の身を突き放し、やがて団欒から外れて夜を渡り歩き、そのまま関係は拗れて気が付けば許せない相手へと成り変わっていた。 どうして素直に受け入れられないんだ、と自問がうるさくて、打ち消そうと必死に前だけを見つめる。 兄の真似事をしているだけだ、と脳裏でからかう声から目を背け、誰でもいいから殴り付けたい衝動に駆られていく。 「こんな時に誰だよっ……」 苛々しながら歩いていると、着信を知らせる奏でに耳朶を擽られ、粗雑に衣服をまさぐって携帯電話を取り出す。 「あっ……」 そうして映し出されている名を見て息を呑み、一瞬どうしようかと躊躇いが生まれる。 それでも無視を決め込むなんて出来ず、どうしてか息を殺しながら通話へと指を滑らせて、その物を耳に当てるとすぐにも穏和な口調が聞こえてくる。 『こんばんは、來君』 「薊さん……」 『ん? 元気がないね。どうしたの、何かあった……?』 「いや、そんな事は……。何にもないです」 一声で変化を見抜かれ、気遣われる事がくすぐったく思うも、今はどうしてか縋り付きたい気持ちで一杯になってくる。 この人なら燻る気持ちを分かってくれる、否定せずに最後まで話を聞いてくれる、きっと優しく受け入れて甘やかしてくれる。 それでも、口を開いてもなかなか紡ぐ事は出来なくて、沈黙が訪れる。 『……時間はあるかな』 「あ、はい」 『そう、良かった。今何処に居るの? 迎えに行くよ』 「えっと……」 暫しの間を置いて、柔らかに紡がれた提案へと飛び付き、目印になるような物を探して周辺を見る。 そうしてまだ、自宅から大して離れていない事に気が付き、なんとなく気後れして思案し、駅を指定した方が良いと結論付ける。 『分かったよ。それじゃあ、また後でね』 落ち合う駅を告げ、快く聞き入れてくれた薊との通話を終え、急いで向かおうと小走りになる。 いい人ではない、きっとそうなのだろう。 それでもこんな自分へと向けてくれる笑顔は優しい、包み込んでくれる腕は温かい、そこから離れようなんて思えないくらいには大きな存在となっている。

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