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MIST
陰影を纏い、猫撫で声で妖しく微笑まれ、躊躇いが生じて言葉を奪われる。
外界は暗く、けれども大通りを走行しているだけあって、映り込む景色には目映い煌めきが宿っている。
歩道を行き交う者も多く、老若男女様々に何処かを目指しており、当たり前に此方へは見向きもしない。
退路を絶たれ、先程から嫌な汗が止まらず、かといって衣服が纏わり付いても気にも留めず、目先に囚われて思考が働かない。
つい先程までは、彼に会いたくて仕方がなかったはずなのに、今では追い詰められたような気分になっている。
賑やかな街、対照的に静やかな車内では駆動音だけが囀ずり、会話が途切れて気まずい沈黙が訪れる。
居たたまれなさを感じているのはきっと自分だけで、薊は微笑を湛えたままじっと此方を見つめている。
何を考えているのか分からず、それでも良いと思っていたはずなのに、迫り来る不安が此の身を煽る。
「いや……、いいです」
やっとの思いで告げ、一瞬視線を交わらせるもののすぐにも逸らし、重苦しい沈黙を再び呼び覚ます。
つい先程までは、あんなにも代物を欲していたというのに、今では躊躇して果ては断ってしまう。
きっと冗談、とは思いながらも効果は抜群で、溺れていた心が揺らいでいる。
殺すなんて、消すなんて幾らなんでも有り得ない、嘘だよなと、止まぬざわめきが胸中を支配している。
今更すんなりと離れられもしないのに、兄の事なんてどうだっていいはずなのに割り切れず、薊の顔をまともに見られない。
「お兄さんの事が好きなの? 心配してるんだ」
「違う……。そんなわけないじゃないすか……」
「そう。目障りな気持ちが本当……?」
「それは……、その……」
そうだと肯定してしまえば、一体どうなる。
アイツの事が嫌いだ、顔も見たくないと思っているし、目の前から消えて欲しいと願ってきたはずだ。
叶えてくれると言っていて、彼ならば本当にそれが可能なのではないかと思えてきて、急に案を差し出されて酷く恐ろしくなる。
自分でも矛盾している事に気付いてはいても、そこまでしてほしいなんて願った覚えはなかった。
家から離れれば会う事もない、それで良いと思っていたのに彼は容易く飛び越えて、元を絶ってしまおうと涼しげに語ってくる。
このままではいけない、話を変えなければと無駄な抗いを試みても、雀の涙程の時を稼いで終焉する。
「そろそろさ、此方も動き出そうと思ってね」
「え……、あ、そうなんですか」
「うん、それでこの恰好。ほら、いつもの恰好じゃ流石に目立ち過ぎるしね。素性が知られると面倒な相手もいるからさ」
「面倒な相手、ですか」
「ああ、それはこっちの話。ヴェルフェだっけ、彼等もう気付いてるみたいだからさ、せっかくだし遊んであげよう」
「え、冗談ですよね……? 前に俺が話したこと忘れちゃったんすか」
「もちろん、覚えてるよ。來君の言葉を俺が忘れるわけないじゃない」
「だったら……、直接手ェ出すなんて、やめたほうが……。いや、薊さん達が強いのは分かってますけど、でも……、無事では済まないですよ!」
どうやら関わりを持とうとしているようであり、顔色を変えて薊を見つめる。
伴って装いを変えているようだが、少なくともヴェルフェを意識しての変装ではなく、もっと他に警戒している何かがあるのではと思わせるも分からない。
勘が鋭いようで、もう何者かが領域を密やかに侵している事実を察しているらしく、薊達を意識してあちらこちらで件のチームが目を光らせている。
だが、それを把握した上で飛び込もうとしており、幾らなんでも無謀だと捲し立て、流石に無事では済まないからやめてくれと説得するも雲行きは怪しい。
「心配してくれてるんだ。優しいね」
「俺は……、だって」
「お兄さんの件も、一緒に進めていってあげようね。大丈夫だよ、そんなに不安そうな顔をしないで」
告げられても何にも言えず、視線だけを合わせて静止し、何をどうする事も出来ずに薊と向き合う。
本当に望んでいた事はなんだ、今更心中へ問い掛けても全てはうずもれ、最早純粋に願えもしない。
複雑な心境を察してか、再び彼の手が優しく頬を滑るも、それでも笑って冗談とは言ってくれない。
何を考えているのだろう、知らない事が多すぎる。
けれどもそれで構わないと、ずっと上っ面だけで接してきた自分にも責任はあり、逃げてきたツケが今になって少しずつ覆い被さってきている。
結局のところ黙している事しか出来ず、流れに身を任せて溺れていき、最後には何が残るのだろうか。
何かが残るのだろうか、この掌に。
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