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鬼事遊び 〈1〉

「悪い……」 思い掛けない台詞に顔を向けると、伏し目がちな芦谷の横顔が映り込む。 静寂を知らず、およそ雑音のように話し声や楽曲が混ざり合い、箱庭の隅々までをも埋め尽くしている。 仄かな照明に彩られ、時おり乱舞する光線に晒されながら、それでも辺りは薄暗さを保っている。 影を纏い、前髪に邪魔をされて表情までは分からないけれど、酷く申し訳なさそうな雰囲気を感じ取る。 聞き間違い、と一瞬思い巡らすものの、様子を窺えばすぐにもそうではない事が分かってしまった。 「ハァ? 何言ってんだよ、お前。熱でもあんのか?」 即答出来ず、返答に困り、けれども何にも言わないわけにはいかず、言わんとしている事が分からないまま傍らを覗き見る。 そうしてついでとばかりに、俯いている彼の額へと手の平を重ねてみれば、溜め息混じりにやめろと払い除けられてしまう。 「茶化すな」 「テメエが突然ワケ分かんねえ事言い出すからだろが。ンな事急に言われても何て言えばいいんだよ」 「ワケ分かんなくはねえだろ。それに……、悪いと思ってるのは本当だ」 「どうした、お前。そんな頭下げるような奴じゃなかったじゃねえかよ」 「お前な……、一体俺を何だと思って……。て、何やってんだよ。お前……」 「随分と可愛いげのある奴になっちまったよなあと思ってよ。て、急につねんじゃねえよ離せ。イテェ」 「お前がなっ……」 「お前もなっ……」 軽い気持ちで芦谷の頬をつねると、平然とやり返されて痛い思いをし、暫くみっともない状態に陥る。 負けん気の強いところばかり似て、子供のような争いを繰り広げながら一歩も引けず、そうしてしょうもない言い合いに発展する。 何処と無くぎこちない空気から一変し、馬鹿だの阿呆だの言いながらいがみ合い、暫し目的を忘れて互いの頬がひりひりする。 端から見れば仲睦まじい戯れだが、本人達は至って大真面目に鎬を削っており、いつの間にか我慢比べに発展していて頬が赤い。 「何でこんな事になってんだ、イテェぞ!」 「知るかよ、先に手を出したのはお前だろ!」 「いい加減離せ、この野郎……!」 「お前がなっ……!」 「じゃあ……、分かった。同時に離すぞっ……」 「そう言ってお前騙すつもりだろ……」 「ばかやろ俺がそんな事するわけねえだろ、オラ離せっ!」 意地を張り合い、ようやく同時に手放す事で不毛な諍いが終焉し、喚き散らして両者息が上がっている。 その上、長らくつねられていた頬が痛み、じんじんと疼くように燻っている。 だがそれはお互い様なようであり、芦谷も頬を擦りながらあからさまに不愉快そうにしており、眉間に皺を寄せて不貞腐れている。 何の話をして、何をしようとしていたのか見失い、いてえとぼやきながら頬へと触れ、思い出したように辺りへ視線を向けてみる。 そういえば手掛かりを求めて、ヴェルフェの人間を探しているのであったと気付き、様子を窺ってみる。 けれども、こういう時に限って現れてくれないものであり、それらしき人物を見付けるには至らない。 そもそも今夜居るとは限らず、一縷の望みに縋るようなものだけれど、此処以上に出会す可能性が高い場所を知らないし、よく訪れると本人が言っていた。 会えたからといって、確実に進展するとも限らないけれど、今のところは他に良さそうな手立ても無い。 「そういえば、お前。あれから弟とはどうなってんだ?」 じんわりとした痛みも大分和らぎ、落ち着いてきた事でふっと思い付き、再び歩きながら問い掛ける。 「……一度会った」 「そうか。それで? 少しは話せたかよ」 「いや……、前と同じだ。殆ど話にならなかったな。酷い嫌われようだ。まあ、仕方ねえんだけどな……」 まるで言い聞かせ、懸命に納得させようとしながら折り合いをつけ、平穏を保とうとしているみたいだ。 そうして先の言葉が、巻き込んでしまって悪いという意味合いにも思え、暫し黙して横顔を見つめる。 彼はそっぽを向き、ばつが悪いのか視線をさ迷わせ、辺りを観察している。 「馬鹿だよな。いつも自分から手離して、そうしてようやく気付かされる」 独り言のような台詞が零れ、一番に誰を思い浮かべているのかは明白であり、聞きながらおもむろに煙草を取り出す。 言葉を望んでいるわけではない、そう感じ取っても放ってはおけなくて、肩を二、三軽く叩いてやる。 一本咥え、火を灯そうかと思いながら後方へ気を配り、傍らに話し掛ける。 「ところでよォ、お前気付いてるか?」 自然と唇が笑みを浮かべ、先程からずっと密やかに感じていた事を匂わせると、すぐにも返答がある。 「つけられてる事か」 「お、なんだよ気付いてたか。てっきりもうすっかり鈍っちまって分かってねえのかと思ってたぜ」 「舐めるな。あれだけあからさまに見張られて気付かねえわけねえだろ」 「そうか。お前の客じゃねえのか?」 「お前だろ……? それか捜してる奴等とか」 「違うな」 「どうしてだ」 「なんとなく」 「は? お前な……、なんとなくって、適当にも程が……」 二手に分かれ、散策を始めてから程無くして、人波から捧げられる気配に気が付いていた。 強い意思を感じ、人混みに紛れながらも途絶えず、殺気にも近いような暴威を延々と飛ばされている。 素知らぬ振りをしていたが、全く諦める様子もなく迫ってきており、そろそろ鬱陶しくなってきた。 ヴェルフェの可能性を疑いもしたけれど、狡からい奴等がわざわざこのような所でまで、目立つような行動を選ぶだろうかと考えて候補から潰える。 徐々に距離を詰め、一瞬の隙を狙っているようであり、投げ掛けてみれば芦谷もとうに察していた。 「相変わらずお前に関わるとろくな事がない……」 「そんな事ねえだろ。楽しい思い出しかねえはずだぜ」 「どうせまたお前へのお礼参りだろ……」 「ンな事言ったらテメエもだろ。族潰して回ってたお前の方がよっぽどタチわりぃし、恨まれてんだろ」 「なっ、ちげぇよ。別に俺は潰そうと思って喧嘩してたわけじゃねえよ。向こうから勝手に絡んでくるからつい……」 「へいへい、そういう事にしといてやるよ。めんどくせ」 「お前なっ……」

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