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鬼事遊び 〈1〉

階段を尻目に、真っ直ぐに伸びている通路には人気が無く、心なしか寒々しい空気に満ちている。 たった一枚隔てれば、異世界とも思えるような時が流れており、切り離された此処は現実その物である。 大の男が三人並んでも、まだ一帯のスペースには余裕があり、悠々と引き連れて前へ進んでいく。 暴威を振るっていた轟きも、夢であったかのように遠退いており、歩んでいる音と声だけが響いている。 壁面は白く、客層の割には美しく保たれており、守りの高さを物語っている。 反する行いを知られようものなら、あっという間に消されてしまうような薄ら寒さが漂い、まるで何かに監視されているかのようだ。 「すっかり大人しくなっちまって。まるで俺が悪者みてえじゃねえか」 「まあ、そう見えても仕方ないな。お前悪人面だし」 「なんだと、芦谷。聞き捨てならねえな」 「事実を言ったまでだ」 「おい、俺の何処が悪人面なんだよ! 笑った顔とか結構可愛いぞ!」 「て言われてもな。……わざわざ笑顔見せんな。頼んでねえよ」 ニッと笑い掛ければ一蹴され、面白くない奴だと大袈裟に溜め息をつき、先を目指して歩を進める。 角を曲がればまた一直線に伸び、その先には外へ続いているであろう開き戸が見え、周囲の気配を探る。 一応、大事な証人として男を引き連れ、肩に腕を回して逃れられないようにしながら束の間の散歩を楽しんでいる。 男を挟み、芦谷と共に肩を並べて歩調を速め、来たる追っ手へ警戒を強める。 「ゆ、許してくれ……。もうアンタには絶対近付かねえからっ……」 「それがいいな。真宮に関わるとろくな事がない」 「それは俺の台詞だ、取んな。なんでこんな所で俺と遊びたくなっちまったんだよ」 「たまたま見掛けて……、此処で不意打ち狙えばいけるんじゃねえかと思って、それで……」 しどろもどろに語る男を見て、それから自然に芦谷と視線を絡め、呆れたような溜め息が零れていく。 結果としては不意打ちにすらならず、こうして簡単に捕らわれているような輩では、きっと前回も大差ない展開だ。 いちいち覚えていなくても仕方がない、そういう奴等がごまんと現れるのだから。 そんな御大層な身分ではないのに、いつしか人から人へ流れていく話に尾ひれがつき、こうしてあわよくば首を狩ろうとする者が時おり現れる。 それでも、ヴェルフェと揉めてからは大分減ったような気がするなと、ふっと脳裏を過っていく。 「あいつら何処行きやがった! くそっ、イテェッ……!」 「まだ近くにいるはずだ! あいつ捜さねえと!」 一瞬、荒々しく開け放たれる扉と共に腹へ響く音色が流れ込み、追い縋るような怒声が聞こえてくる。 すぐにも追っ手と気付き、捕らわれている男はハッとした表情をし、咄嗟に振り返ろうとする。 芦谷が輩の背中を押し、後ろを警戒しながら足を速め、彼等の動向を窺う。 「この先にいるはずだ! ゼッテェ逃がさねえ! すぐ追い付いてっ……」 「ん? おい、どうした!」 頭に血が上り、誰も彼も興奮しているようであり、一矢報いたくて仕方がないようだ。 面倒な事になっちまったなあと思いつつ、ひとまず此処からは出なければと足を止めずにいると、何やら緩やかに空気が変わっていく。 「は? なんだテメエ。何見てんだ、失せろ!」 姿は見えずとも、苛立った声は波紋のように響き渡り、急激に不穏な気配を感じ取って振り返る。 あいつら以外に誰か居るのか……? そうは思っても何も聞こえず、彼等の声ばかりが反響して薄気味悪い。 「邪魔すんならテメエ容赦しね、うっ!」 「なっ、テメエいきなり何して! うわっ、ちょ、何なんだよ! ぐぅっ……!」 思わず立ち止まって振り返り、得体の知れない存在が角の向こうに居て、追っ手の呻き声が背筋をぞくりと撫でてくる。 なんだ……、何が起こってる……。 怒声はやがて悲鳴へと変わり、助けを乞う懇願や啜り泣きが聞こえ、それでも容赦無く振るわれる暴力が地を這いずって此処まで届いてくる。 殴り付ける鈍い音に混ざり、逃げ場を求めて形振り構わず叫ぶ声が聞こえ、一気に取り巻いている雰囲気が変わっていく。 芦谷と顔を見合わせるも、何が起こっているかなんて分からず、見えぬ光景に恐怖した男は顔面蒼白で声を失っている。 とりあえずは、此処を出るべきだと踏んで再び歩き始め、すっかり物音が聞こえなくなった現場から不気味な空気が漂ってくる。 緊迫し、つい先程までの軽口は潰え、互いに無言でただ先の扉を目指す。 そうして聞こえてくる足音に気付き、何者かが追ってきているようであり、その頃には扉に辿り着いて開き、大きな音を立てて外界へと導かれていく。 「な、なんだよアレッ! 何が起こってんだよ! なあ、あいつらは!? アンタ何したんだよ!」 周囲の景色を楽しんでいる暇はなく、大きな音を立てて閉ざされた扉を見つめながら、じりと後ずさる。 やっとの思いで声を上げた男が、状況が呑み込めずに半狂乱になって掴み掛かってくるも、納得させられるような台詞はない。 寧ろこっちが聞きたいと引き剥がし、近付いてきているであろう何者かを見据え、扉から徐々に離れる。 「お前らにとっても予期しない相手か……」 ぼそりと呟き、通り過ぎていく風を感じながら、迫り来る人物に心当たりが全くない。 ナキツや有仁は大丈夫だろうかと急激に不安が込み上げるも、現状では確かめようもなく、正体を知れない限り安易に離れるわけにはいかない。 今はただ、その扉を開くであろう何者かを待っているしかなく、時は刻一刻と近付いてきている。 街灯によりぼんやりと辺りを照らされ、聳える建物の内部では未だ眠らない宴が続いているであろう。 そうして扉から距離を置き、佇んで注視しているとギィと軋むような音が鳴り、ゆっくりと眼前にてそれが開いていく。 黙して見守り、片側だけを開いて現れた姿を見つめ、全身を視界に収める。 その者は煙草を咥え、紫煙が過ぎ行く風に流されていき、背後でバタンと音を立てて扉が閉ざされている。 離れていた事と、周りの薄暗さで始めはよく見えなかったけれど、時の経過と共に細部まで視界に収められるようになっていく。

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