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鬼事遊び 〈1〉

何処からともなく風が流れ、さらりと黒髪を揺らしながら、身構える事もなくヒズルが佇んでいる。 四方を金網で囲まれ、敷地の外へと通じるような出入口は、相対している場所から確認出来ない。 静けさが広がり、黒髪の青年から視線を逸らせず、隙を見せようものなら一気に詰め寄られてしまう。 漸と芦谷の動向が気になるも、先程の攻撃を躱した事で位置が変わってしまい、奇しくも今は彼等から背を向けている。 涼風により、目元へと掛かる前髪が視界を阻むも、彼は気にする素振りも見せずに泰然自若としている。 そうしてじっと此方を見つめ、相変わらず感情の機微を窺わせず、機械でも相手にしているかのような気分になってくる。 「芦谷! そいつに近付くな!」 どのような状況になっているのか分からず、焦りが込み上げるも集中力を散らそうものなら、目前にて佇む静やかな獣が牙を剥く。 息つく暇もない攻防に汗を滲ませ、じんわりと身体が熱を纏っており、風が通り過ぎる度に気持ちがいい。 ヒズルと視線を合わせたまま、後方に居るであろう芦谷へ声を掛け、なんとか想いを伝えようとする。 だが、どうして離れなければいけないのかは説明出来ず、元より詳細なんて言えるわけもない。 じり、と足を滑らせて対峙し、未だ睨み合いを続けている後ろでは、声を掛けられた芦谷が困惑した表情を浮かべている。 「何がどうなって……」 事態が急変し、いつの間にかすっかり複雑化しており、芦谷は置かれている現況を理解出来ずにいた。 どうやら見知った間柄ではあるらしい、という事だけはかろうじて読み取るも、それならばどうして戦っているのかと首を傾げる。 「人聞きの悪い事を言わないでほしいなあ。ねえ、綺麗なお兄さん」 情報が余りにも少なく、頭を働かせるも呑み込めるわけもなく突っ立っていると、声がして顔を上げる。 目前には、今しがた現れた青年が立っており、真っ直ぐに視線を注いでいる。 日常ではまずお目にかかれないであろう銀髪を靡かせ、造りもののように整った顔立ちへと笑みを湛え、穏やかな声を聞かせている。 全ての視線を、声を、意識を瞬時に奪えそうな程に、見目麗しい青年が柔らかな雰囲気を帯びて其処に立っている。 「外は気持ちいいね。静かで落ち着く」 「お前は……」 「漸、て呼んでくれていいよ。お兄さんは、真宮のお友達かな」 「……まあ、そんなところだ」 「そうなんだ。お兄さん綺麗だね、モテるでしょ」 「何言ってんだ……。そういうお前こそ引く手数多だろ」 「そんな事ないよ。でも、お兄さんみたいな綺麗な人にそう言ってもらえるのは、ちょっと嬉しいかな。気に入ってくれた? 俺の事」 ふ、と白銀の青年が微笑み、優美に佇んでいる。 漸と名乗られ、やはり顔見知りであろう事が分かるも、何故近付いてはいけないのかが分からない。 警戒をしながらも、今のところ敵意を注がれるような事もなく、悠長に立ち話なんてしている。 本来の目的は、彼等と顔を合わせる事とはまだ知らず、戸惑いを隠しきれないまま唇を開き、つい漸と会話を続けてしまう。 いちいち絵になるような男で、誰もが放ってはおかないのではないかと思う。 正体は謎めいたまま、それでも青年は温和に微笑んでおり、注意深く観察しても一向に意図が見えない。 「そんなに警戒しなくてもいいのに。取って食べたりなんてしないよ」 「アイツとは……、真宮とはどういう関係なんだ」 「ん? 真宮か……、そうだね。そんなに気になる……?」 小首を傾げ、含むような物言いをしながら見つめられ、芦谷は言葉に詰まる。 一連を眺め、そうして逸らされた視線が注がれた先には、攻防を繰り広げている姿が映り込んでいる。 視線を追えば、先程まで対峙していた影が再び忙しなく動いており、目の前の標的に手一杯な様子だ。 「あの男は、お前の仲間か?」 「そういう事にしておいてくれていいよ」 のらりくらりと躱され、結局何にも聞き出せていない事に気付くも、口を割らせたところでそれが真実とは限らない。 「何か面倒な事に巻き込まれていたようだったけど、大丈夫?」 どうしたものかと思案し、ぼんやりと二つの影を目で追っていると、漸の声が思考を遮ってくる。 面倒な事、と言われてすぐには何を指しているのか分からず、芦谷は眉を寄せて漸を見つめる。 しかし程無くして、尻餅を付いている男を思い出し、そういえば絡まれていたのだったと記憶が蘇る。 「此処へ来る途中、仲良く伸びてたからさ。運ぶのも大変そうだったから置いてきちゃったけど」 即座に通路での事が頭を過り、やはり察していた通りの状況になっている。 それでも彼は、このような事態に遭遇していても冷静であり、全く意にも介していない。 情報が足りず、判断しきれず、目の前で微笑んでいる男とどう向き合えば良いのか分からない。 黒髪の青年の仲間であるならば、良き相手とは言えず、正体が掴めない以上は安易に警戒を解くわけにはいかない。 「真宮と一緒に居るくらいだから、君もそれなりに出来るの?」 「え……?」 「コレ」 読み取れずにいると、徐に漸が両の拳を構え、そうしてようやく不穏な気配が立ち込めている事に気が付き、視線を絡めたまま間合いを取る。 「まだ時間掛かりそうだし、ただ突っ立ってるのも退屈だろ? それなら俺と、少し遊ぼうか」 「どういう意味だ……」 「言葉通り、単なるお遊びだよ。大丈夫、手加減してあげるから。安心してかかっておいで」 状況が呑み込めず、けれども向こうで行われている事が、此処でも今まさに始まろうとしている。 何を考えているかなんて、問い掛けたところできっと理解出来ない。 避けては通れないようだが、手加減という言葉が引っ掛かり、奥底で眠りに就いていた闘争心が仄かに熱を帯びていく。 沈黙が流れ、両者の間を夜風がすり抜けていき、一歩も動かずに視線だけが交わる。 「手ェ抜いて怪我しても知らねえぞ」 軽く息をつきながらも、白銀を見据える双眸には戦意が宿り、これから起ころうとしている事を静かに受け入れている。 対する青年は、笑みを浮かべたまま見つめており、一見するととても手荒な真似をするような人物とは思えない。

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