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鬼事遊び 〈1〉

深入りは危険だ、瞬時に判断して間合いを測り、追撃を控えて出方を窺う。 目前では、美々しい青年が笑みを湛えており、涼やかな視線を寄越している。 じり、と爪先を滑らせ、謎めいた人物を捉えたまま相対し、刹那ですら気を抜けずに緊張感が迸る。 何処までも自然でありながら、どうしてか違和感が付き纏い、見れば見る程に彼の事が分からなくなる。 雅やかな雰囲気を侍らせ、佇む青年は惑わすように言の葉を奏で、判断を下せずに芦谷は眉根を寄せる。 袋小路に陥り、問い掛けたところで答えは出ず、余計に混乱するだけである。 本当に、単に手合わせしたいだけなのだろうか。 他に何か目的が、と考えて無駄な詮索だと追いやり、どうせ解答なんて今は得られないであろう。 それよりもまず、現状で何を最も信じるか。 揺らめく白銀を見つめ、今尚交戦している人物を思い浮かべ、逸る鼓動を少しずつ落ち着かせていく。 「そいつに近付くな。真宮はそう言っていた」 一言一句を思い出し、風に乗せて静かに紡ぐ。 「そうだったかな。急にどうしたの……?」 「どうやらお前と因縁があるらしい。身に覚えはねえのか」 「さあ、どうかな。言ってあげてもいいけど、彼はそれを望まないかも」 「言わなくていい。真宮の言葉だけで十分だ」 「それはつまり、俺の事が嫌いになったってこと……?」 「そういう事でいいぜ。誰だって素直な方が好きだろ」 ふ、と微笑みながら構え、隙を作らぬように警戒して青年を見つめる。 何の気なしに滑り出た言葉が、心の淵にて水面をざわつかせ、後に頑なな青年が脳裏を過っていく。 「來……」 静かに、撫でるように紡がれた名に声は無く、其処には何にも残りはしない。 けれども、胸裏ではずっと疼いて止まず、不意に弟を思い出してしまう。 そうして自分が何の為に此処へ来て、身勝手な申し出を受け入れて尽力してくれている者を過らせて、もっと冷静にならなければと意識して深呼吸する。 來の場合は、きっと素直になれないのだ。 そして自分も、素直になれないでいた。 原因を作ったのは紛れもなく自分で、今更悔やんだところでどうにもならず、過去の行いを変えられはしない。 何処で何をしているのだろうかと気に掛かり、早く追い付かなければと焦れる気持ちを抑え、底知れぬ青年を制する術を探る。 「何考えてるの……?」 「言うと思うか」 「そんな冷たいこと言われたら泣いちゃうよ」 「泣きそうには見えないけどな」 「我慢してるんだよ。ほら、お兄さんに嫌われたくないから」 「それならもう少し歩み寄れよ、お前がな」 言い終えるや否や駆け、より鋭敏な蹴りが漸を狙うも、咄嗟に体勢を低くして捉えさせてはくれない。 だが引き下がるわけにはいかず、行く手を阻むなら打ち破るのみであり、いつまでも遊んでいられない。 悠長に考えている暇はなく、迫り来る青年から拳が放たれ、咄嗟に後退して避けるも追撃され、脇へと逸れて事なきを得る。 しかし攻撃は止まず、足技が主体かと思えば拳で迫られ、素早い一撃を避けては反撃出来ずにいる。 敵ともなれば相当に厄介な相手だと、隙を与えぬ進撃を防ぎながら思う。 後退りし、背後に金網が迫っている事に気付き、このままでは袋の鼠だ。 繰り出された一撃を躱し、足技を警戒しながら脇をすり抜け、ほんの僅かな間だけ彼へと背を晒す。 直ぐ様反転するつもりであったが、素早く漸が身を翻して後ろを取り、右の手首を両の手で掴んでくる。 振り切ろうとするも引っ張られ、宙に浮いたかと思えば景色がぶれ、投げられている途中で窮地に気が付き、勢い良く背中から地面へと近付いていく。 咄嗟に左手を出し、背から接触する前に地へと手を付き、次いで足から着地してすんでのところで投げ技を回避する。 しかし未だ右手を取られ、立ち上がっていた視界には漸が映り込み、にこりと微笑みながら腕を引く。 抗い難い力に引き寄せられ、体勢を崩して頭から地へと突っ込むも、それだけは避けなければと左手を付いて接触を避ける。 先程と同様に回避を試みれば、取られていた腕に急に痛みが走り、事を察するよりも早くに白銀の脇腹へと蹴りを入れ、離れた身体が一瞬宙をさ迷ってから冷ややかな路面に転がる。 「お前……」 瞬時に上体を起こし、視線は逸らさぬままに片膝を付き、右腕を押さえる。 脂汗が滲み、恐ろしい奴だと思いながら腕を擦り、最悪の事態は免れた事に安堵する。 投げられている途中、右腕を捻られて痛みが走り、回避出来なければ骨を折られていたかもしれない。 ほんの一時でも、腕を逆に捻られた余韻はすぐには拭えず、違和感に加えて僅かな痛みが走っている。 拳を握り、解いてを何度か繰り返し、二の腕を擦りながら少しずつ落ち着かせ、漸を見つめてそろそろと立ち上がる。 変則的な攻めに翻弄され、なかなか癖を見極める事が出来ず、次なる一手を読みきれずにいる。 「上手に逃げられたね。やっぱり相当手慣れてる。お兄さんて、どういう人なの?」 衣服を手で払い、ゆっくりと立ち上がりながら漸が声を掛け、絶えず笑みを浮かべている。 まるで実力を試されているかのような、そんな気さえしてくる手合わせの数々であり、本調子を挫かれた今は危機であった。 難なく動かせるが、十二分の力はまだ込められず、だらりと右腕を垂らしながら左手で擦っている。 「お兄さんが強いって事はよく分かったから、もういいよ。これでおしまい。腕は大丈夫? 痛めてしまったかな」 「勝手に終わらせるな……。まだやれる」 「無理しないほうがいい。まだ痛むんだろ?」 「これくらいなんでもない」 「やっぱり負けず嫌いなんだ。そういうところも嫌いじゃないよ。ますますお兄さんのこと気に入っちゃうね」 「お前に気に入られたところで別に嬉しくない」 「そう……? 喜んでくれる人は結構いるんだけどな。残念」 柔らかに答え、一歩を踏み出す漸に気付いて後退するも、次第に距離は狭まっていく。 仕掛けるしかない、しかし現状では不安が残り、切り抜ける手立てを何とか探り当てようとする。

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