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鬼事遊び 〈1〉
じり、と一歩を踏み出される度に後退し、彼に近付かれる事を拒む。
無理に抗えば、取り返しのつかない事態へ陥りそうな気がして、迂闊に手を出せないまま時が過ぎ行く。
こんなところで躓くわけにはいかず、まだ自分にはやるべき事が残っている。
何としてでも弟を、行方知れずの來を連れ戻さねばならず、いつまでも油を売っている場合ではない。
早く片をつけなければ、過らせながら相対するも不安が残り、回復までにはもう少し時間を必要とする。
手を使わずとも攻めれるが、白銀がそっとしておいてくれるとは思えず、弱味を突かれてしまえばひとたまりもない。
それなら何もせず、彼が近付いてくるのを待つか。
それこそ危険だ、と目まぐるしく思考が展開し、狭まる距離を前に取るべき行動を決めかねている。
落ち着けと言い聞かせても、遅れをとっている右腕が疼き、きっと力を出し切れはしないだろう。
「そんなに怯えないで。もう何にもしないから」
「……誰が何に怯えてるだと」
「違うの……? もう続きはしたくないんだろ」
「勝手に打ち切ったのはお前だろ」
「それはまあ、そうなんだけどさ。何……? まだ続きしたい? 俺は別に構わないけど……、やれんの? お前に」
微笑を湛えながらも、今にも喉元を喰い破りそうな威圧感が押し寄せ、取り巻いている影に引き摺られてしまいそうだ。
夜風が肌を掠め、目前では白銀を揺らめかせ、美しい青年が歩みを進めている。
改めてどういう関係なのか気になるも、今のところ知れる術はない。
一つ確かな事は、此処で挫かれるわけにはいかないという事であり、立ち止まって再び構える。
「まだやるの? もうお兄さんのこと傷付けたくないんだけどな」
「あの程度で何言ってやがる」
「まだ足りない? そんなにどうなってもいいわけ……? お兄さんて結構浅はかなんだ。それとも自棄になっちゃった?」
「気になるなら確かめてみればいい。言葉より早いだろ」
逃れる気は端から有らず、そのようなか弱き姿勢を己に許してはいない。
迫り来る漸を見据え、先に仕掛けるべく踏み出し、俊敏な蹴りを叩き入れようとする。
風を切り、勢いよく放たれていく最中で痛みが走り、動きに一瞬ぎこちなさが生じる。
それでも無理矢理に黙らせ、押し切って繰り出すも躱されてしまい、追撃を試みようとするも攻め入られ、視界に彼が飛び込んでくる。
不味い、と思うもすでにどうする事も出来ず、胸ぐらを掴まれて引き寄せられ、殴られる覚悟でいれば唐突に抱き締められている。
「……は?」
一体何が起こったのか、数秒間頭の中が真っ白になり、未だに状況を把握出来ずに固まっている。
諭すように頭を撫でられ、温もりに包まれて何がなんだか分からず、ますます彼の事が分からない。
「な……、お前、何して……」
やっとの思いで声を掛けるも、相変わらず困惑する頭を優しく撫でられており、誰か頼むから解説してくれと藁にも縋りたい。
「だからさ、もう終わり。何にもしないって言っただろ……? これで信用してくれるかな」
「お前、どういうつもりだ。まずこれを何とかしろっ。離れろ」
「え~、やだ。もう少しいいじゃん。抱き心地いいね、お兄さん。本当可愛い」
「おいっ。なんなんだよ、お前は……。まだ殴り合ってたほうがマシだ」
「あ、もしかして照れてる?」
「そんなわけないだろ! ちょ、おい、真宮!」
「あ~、ムリムリ。ほら、彼等今忙しいから。もう疲れたしさ、ちょっと休憩しようよ」
「なら離れろ」
「もう少しだけ」
わけが分からない、と思いながら引き剥がそうとするも、抱き締められたまま時間だけが過ぎていく。
頼みの綱へと視線を向けても、忙しなく対峙する二人は見向きもせず、溜め息をついて頭が痛くなってくる。
つい先程までの雰囲気とは一変し、今では甘えるように抱き付いており、一体どれが本当の顔なのであろうか。
「やらないならもうそれでいい。頼むからそろそろ離してくれ……」
「落ち着いた……?」
「げんなりしてる……」
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
「どうしたらそう見えるのか聞きたい」
「あ、そういえばお兄さんの恋人ってさ、どんな人なの?」
「……何の事だか分からない」
「うわ何、ぎこちないね~。はぐらかすの下手くそ」
「うるさいっ、どうでもいいだろ。俺に構うな」
何なんだこれは、と思うも振りほどけず、顔を背ければ頬に口付けをされ、ハッと気付いた頃にはようやく漸が離れていく。
「お前な……」
半ば呆れながらも頬を染め、掛ける言葉も見つからない様子で顔を向け、すぐそこでは漸が満足そうに悪戯な笑みを浮かべている。
「ありがとう、楽しかったよ。真宮のお友達なら、この先もきっと会う機会あるよね。宜しく、お兄さん。仲良くしてね」
未だ正体が分からず、何と答えたら良いものか分からないまま立ち尽くし、沈黙が流れていく。
それでも漸は優しげに笑い、言葉を求めようとはせずに見つめて佇んでいる。
「終わるまで一緒に見てようか。いつまでやるんだろうね。こっちにおいでよ、お兄さん」
「いや、俺は此処で……」
「やだ、隣に来て」
「何でだよ……。子供か、お前は」
「子供でいいよ。こっちにおいで。一緒に居よう」
などと言われてしまえばどうにも出来ず、溜め息をつきながら言う通りにしてしまうのもどうかと思うが、不思議と身体が動いてしまう。
すっかり戦意は消え失せ、包んでいた空気もがらりと変わってしまい、何がなんだか分からないまま並んで立っている。
ふ、と微笑んだ漸の視線が流れ、倣えば二人の攻防がすぐにも目に留まり、まだ決着はついていないようで拮抗している。
「う~ん、どっちが勝つかな」
「真宮に決まってるだろ」
「へえ、すごいね。言い切れるんだ」
「お前は……、どっちに勝ってほしいんだ」
「……さあ、どうだろうね」
ちらりと覗き見るも、笑みを浮かべて眺めている横顔からは何も読み取れず、返答からはますます真意を知る事など出来ない。
何かしらの想いは、隠されているのだろうか。
自分でも気付かぬような感情が燻っているのだろうか。
過れども分からぬまま、視線を二つの影へと戻す。
過ぎ行く風の心地好さに気付き、ようやく少なからず落ち着きを取り戻していた。
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