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鬼事遊び 〈1〉

彼はエンジュ、と漸に呼ばれていた。 額にはゴーグル、後ろで一つに纏め上げられた髪は長く、照明により金色がより一層輝いている。 好戦的な眼差しが辺りを見つめ、背の高い大柄な青年が一歩を進み、ゆっくりと渦中へ向かってくる。 「アイツが……」 噂には聞いていた、有仁と一戦を交えた男だ。 夜暗に紛れながらも、湛えられる笑みには自信が漲っており、相当の手練れである事が窺える。 有仁が苦戦するわけだ、と思いながら金髪の青年を見つめ、少々不味い状況になってきたなと佇む。 目の前にはヒズル、そして漸が行く手を阻むように立っており、共に仲間であろうエンジュを見ている。 雑魚ではない、確実に両者と肩を並べられるであろう実力の持ち主が、こうして今加わってしまった。 あまりにも不利だ、流石にこの面子に牙を剥かれてしまえば、無事では済まないどころか全てが終わる。 争いに来たわけではないが、果たしてこのまま悠長に会話なんて出来るのだろうかと、一触即発の空気に眉根を寄せて警戒する。 「久しぶり」 思案を巡らせていると、何処からともなく掛けられた声に気が付き、顔を向けてすぐにも後悔する。 いつの間にか振り返っていた漸が笑みを浮かべ、あろうことかヒズルの前で話し掛けてきた。 久しぶり……? よく言うぜ、この前会ったばっかだろうが……。 何食わぬ顔で大嘘をつく男に苛立つも、選ぶ言葉には気を付けねばならない。 「そんな怖い顔しないでよ。ねえ、ヒズル」 会話を放棄し、じっと漸を睨み付けていると、彼は艶美に微笑を深める。 声を掛けられたヒズルが顔を向け、視線が纏わりつくも、特に何も語られずに時間が過ぎていく。 「あァッ? つうかよォ、そこに突っ立ってんのって……」 何から言うべきかと考え、敵対者を前に機を窺っていると、大股でゆったりと歩いていたエンジュが声を上げ、凝視している。 「うおっ、やっぱそうだ! 真宮じゃねえか! 久しぶりだなァッ! いやそんなでもねえか!?」 次いで何を言われるかと思えば、全く予想もしていなかった台詞であり、思考がなかなか追い付かない。 エンジュと言えば豪快に笑い、嬉しそうに近付いてきており、友人と再会したかのような空気である。 何がなんだか分からず、起こっている出来事に付いていけず、一度も会ったことねえぞと困惑する。 「あァッ? ンだよ、反応ワリィな! もしかしてもう忘れちまったのかァッ!? この薄情者!」 「お前との思い出は早々に消し去りたいそうだ」 「うるせえぞ、ヒズル! あんなに語り合った仲だろうがよ!」 「いつの間にか仲良くなってたんだ。俺も仲間に入れて欲しいな」 「おう、いいぜ! つっても本人がこれだからな! おい、真宮! 俺だ、俺! 見覚えあんだろ!」 辿り着いたエンジュが立ち止まり、眼前にてぎらついた笑みを浮かべている。 こんな奴に会ったら忘れねえだろ……。 見るからに荒事が好きそうな青年を前に、このような出で立ちの男には会っていないと思うも、エンジュは聞いてくれそうにない。 コイツ有仁と勘違いしてんじゃねえのか……? エンジュであろう事は間違いなく、有仁が以前話していた輩なのだろう。 「テメエなんかに会った覚えねえぞ」 「なっ……! 冗談だろオイッ! この俺を忘れただと!?」 「お前が会っていた男が、真宮ではなかった可能性大だな」 「真宮じゃねえ、だと……? じゃあ俺があの時に会ってたのは一体……て、どう考えてもテメエだよ!! ふざけんなコラッ! くだらねえ寸劇させんなヒズルのクソ野郎!」 「勝手にお前が乗ってきたわけだが」 「うるせえぞ! コラ真宮! 覚えてんだろよく見ろ……!」 ズイ、と顔を突き出してきたエンジュが間近に迫り、過去に会っていると言って聞かない。 だから会ってねえって言って、と溜め息つきながら言い掛けて視線を絡め、何だか面倒な事になってしまった。 険悪な空気からは不思議なくらい離れているが、現在は別の問題にぶち当たっている。 「そんな目立つもん付けてたら、幾ら何でも覚えてんだろ。でも……」 「あ? おっ、そうか! そういやそうだったな~! んじゃ、こうすりゃいいのか!」 困っていると、急にエンジュが何かに気付いた様子で声を上げ、ゴーグルに手を掛けたかと思えば外し、結っていた髪を下ろす。 わしゃわしゃと無造作に髪を掻き混ぜ、目の前に現れた男を見つめてフッと過っていった一つの記憶。 「あ……、お前」 「どうよ、これで思い出せたかよ」 「もしかして……、あの時の……?」 「そうだぜ! からあげくんて呼んでくれていいぜ~! なァ、真宮!」 「からあげくん」 「テメエに呼べとは言ってねえよ喧嘩売ってんのか!」 ヒズルを小突くエンジュを見て、いつかの病院で巻き起こった出来事が蘇り、まさかのアイツがコイツでヴェルフェだと、と暫し混迷を極めて呆然とする。 唐突に現れたかと思えば強引に食事へ付き合わされ、最後には勝手に居なくなってしまった青年が実はエンジュで、漸の仲間であったと今更ながらに気付かされて頭が痛くなってくる。 「あの時のテメエがまさかエンジュだったとはな……」 「おうおう、そうだぜ! 結構早い再会だったなァッ! 嬉しいぜ!」 「テメエ……、騙しやがったな~! 最低だテメエなんか!」 「ハッ!? いや別に騙してはねえだろ!」 「何がからあげくんだコラふざけやがって! どういうつもりだ!」 「まあ、何も考えていないだろう事は確かだ。安心しろ、この男の頭の中は空っぽだ」 「割って入ってきて言う事それかオラァッ! テメエは黙ってろ仏頂面! ややこしくなんだろ!」 「すでに十分ややこしいと思うが。精々真宮の信頼を取り戻せるよう努力するんだな」 そもそも信頼するような間柄じゃねえ、と密かに思いつつ、いつの間にか大層賑やかになっている。 ヒズルや漸とはまた違い、エンジュは底抜けに明るく豪快で、裏表が無さそうに見える珍しい人物だ。 似ても似つかないはずなのに、どうしてか有仁を連想してしまう。 そういえば彼等は今頃何をしているだろうかと気に掛かり、少し離れた位置で佇んでいる芦谷を見つめる。

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